iモードの評価と「馬跳び現象」
夏野さんと孫さんのツイッター喧嘩に端を発した「iモードの評価」について、池田さんが書いた記事をRTしてコメントをつけたら結構反応があったので、ちょっと解説しておく。
http://news.livedoor.com/article/detail/6054212/
iモードの価値評価については、世界のケータイ業界ではすっかり定まっていると思う。私の考えも、それ以上でも以下でもない。当時の携帯電話の技術水準や「音声オンリー」であった業界趨勢において、画期的なサービスであった。規模がモノをいう「コンテンツ・パブリッシングと課金を提供するプラットフォーム」を大手がブランケットとして提供し、その上で栄枯盛衰は激しいが小さい投資で作れるコンテンツ/アプリが百花繚乱するという「プラットフォーム+エコシステム」の考え方も画期的だった。2000年代初め頃は、このiモードの成功が携帯業界では世界的に注目され、アメリカのキャリアやアップルなどがこれをよく研究して、みんなマネしようといろいろ工夫した。その後大成功したiTunesにはこの「プラットフォーム+エコシステム」の仕組みが継承されている。
ただ、携帯電話の技術水準が上がってスマートフォンが登場し、データプランで稼ぐ比重が増しつつある業界趨勢においては、過去の「コンテクスト」から生まれてきたiモードが時代遅れになり、むしろ日本のキャリアは「なまじiモードで儲けているからスマホへの移行が遅れた」こともまた事実。で、上記の口喧嘩を見ていると、孫さんは「現在」の評価をしているのに対し、夏野さんは「過去」の評価までけなされたと怒っているという、チグハグな感じがする。
で、これに対して私が反応した点は下記の二つ。
1)その後iモードを世界展開しようとしたが、ドコモが海外企業買収をためらったために失敗した、という夏野さんの言い分。
私はアメリカからしか見てないけれど、その視点からするとそれはちょっと違うと思った。たとえAT&Tを完全に買収したところで、うまく行かなかったと思う。上記のようなiモードのコアとなる仕組みは、世界のどこでも通用する普遍性をもっており、「コンテクスト依存」ではなかった。でも、それを現実の商売に落としこんでいく過程で、どんどん「コンテクスト依存」になっていった。
外からはそう見えないと思うが、この仕組みは、意外に「人手に依存する」部分が大きい。課金には必ず「品質保証」「料金回収」「顧客対応」が伴う。タダのものなら必要ないが、お金をいただくにはそれなりの人手とコストがかる。ドコモが「公式サイト」やiTunesの「審査」があるのもそのためで、ちゃんとした品質のものを提供するためには、必ずなんらかの事前審査が必要となり、そのためにも人手がかかる。コンテンツやアプリの数が増えてくれば、そのままではユーザーの手に負えなくなるので、「ポータルの上位にどれを置くか」とか「オススメ」とかのようなディスカバリーのための仕組みも必要だ。「Walled Garden」と揶揄されるやり方は、それなりの必要性があって存在している。
で、どうしても「数多のコンテンツやアプリ」を作る人達のための窓口となる人がたくさん必要になる。結局は、「人的つながり」で対処せざるをえないグレーな部分がかなり残ってしまう。これは今に至るも、アメリカでも日本でも、そうなっている。アプリが増えすぎてカオスになってるアメリカでは、ますますグレー部分が増えている感じがしている。人手がほとんどいらないメールやSMSとの最大の違いはここだ。
で、当時のドコモはここに人を大量に投入して人海戦術をとることができた。iモードが急速にスケールすることができたのは、当時(開始当初ではなく、スケール段階)ドコモで「人が余っていた」からだ。NTT本体や、破綻した山一や長銀の人を大量に受け入れていたが、これらの「無線通信技術を知らない、設備企画や保守には使えない人たち」を、コンテンツ事業に投入した。端末を売ってくれる販売店対策も同様。その後、おサイフケータイにおいても、小売店に端末リーダーを配ってまわるのに、同様の人海戦術を発動して成功した。
しかし、アメリカで同じことはとてもできない。「今いる人を食わせる」ことが大事だった当時のドコモと、「人はコストであり、その効率化は至上命令」であるアメリカのキャリアでは事情が違う。ドコモがコンテンツ料9%でもやれたのは、人のコストを度外視してまずは人海戦術でスケールし、「広く薄く」の段階に一気に持っていくことができたからだが、キャリア一社のシェアがドコモほどないアメリカで同じことはできず、人のコストを回収しようとしたらコンテンツ料を高くせざるをえず、そのためにコンテンツ屋が儲からないという悪循環になった。おサイフケータイも以下同様。たぶん、欧州でも以下同様。
その後のiTunesの成功から見ると、それでも「エッセンス」の部分をうまく活かせば、アメリカでも成功するやり方というのがあったのかもしれないと思うけれど、それは「買収するかしないか」ではないと私には思える。そんな簡単な話じゃない。
2)「フランス病」と馬跳び現象
「なまじiモードが成功したからスマホ移行が遅れた」日本を、アメリカの業界仲間は「フランス病」とよぶ。フランスは、20年以上前に「ミニテル」という、日本でいえば「キャプテンシステム」のようなテキストによるサービスの仕組みを国家事業として普及させた。それがなまじ成功して普及してしまったので、初期のプリミティブなインターネットのほうがむしろ遅れて見え、ネットなんて必要ないよー、とみんな思っており、ネットへの移行が遅れてしまった。これは世界の通信業界で広く知られている事例で、日本のガラケーとスマホの話も、たぶん業界では後の世にこうやって語り継がれるんだろうな。ちなみに、別のアメリカ業界仲間に「日本ではガラパゴス携帯っていうんだよ」と教えてあげたら、ものすごく大受けした。
「イノベーションのジレンマ」の典型例といってもいいかも。
そういうアメリカは、なまじ90年代にすでにアナログが田舎の隅々まで普及して、端末が膨大な数出まわっていたために、デジタルへの移行がなかなかできず、2000年代初頭の「デジタル携帯革命」の波に乗り遅れていたのだった。それで、2Gガラケーでのサービス開発が遅れていたために、そこは一気に飛ばして3Gスマホにジャンプすることができた。
つまり、こういう「技術の馬跳び現象」というのは、弊業界ではわりとよくある話なのだ。通信設備は一度入れたら10年使うが、10年の間にはいろいろ環境も変化してしまう。その間に、負けていた他の国が、一つ先の設備とサービスを入れてぴょんと飛び越してしまう。
設備10年のサイクルは変えようがない、というのが通信屋の頭の痛いところだが、まーよくある話なので、当事者としては、こんどは自分がぴょんと飛び越すためにはどうしたらいいか、よく考えて頑張るしかない。