「おサイフケータイ」が世界に広がらなかった理由

こんな記事を読んだり、日本から来た友人たちと議論した中で感じたこと。
日本で電子マネーの普及が進んだ理由 - Innovation Design

同じインドで生まれたのに、ヒンズー教はインドの外には広がらなかったのに対し、仏教は世界三大宗教のひとつとなったのはなぜか。ユダヤ教キリスト教の違い、といってもよい。それは、ヒンズー教ユダヤ教が、当該民族の特性や置かれた環境に深く依存していたのに対し、仏教やキリスト教は、そうした「コンテクスト」から離れた、より広い人類全体に適用できる、普遍的要素が大きかったからだと思う。

同じように、iPhone教(もしくはアップル教)なら世界に広がるのに、おサイフケータイ教が広がらないのは、日本市場という「コンテクスト」に依存する部分が大きすぎるからだと思うのだ。
電子マネー」およびその前触れである「非接触型カード」の「コンテクスト」については、上のエントリーによくまとまっている。これを読むとわかるように、まず、(1)混雑緩和というJRにとってもユーザーにとっても明確な利点と、(2)広い範囲に同じシステムを同時に展開できる規模と投資能力と既存ユーザーをもつJRという当事者、の二つの要因がたまたま同時に存在したから日本ではうまくいった。けれど、たとえばアメリカでは(1)は場所によってはあるけれど(2)がないので、「Suica」みたいなものは、多くの人がものすごく努力しているのに、どうしても広がらない。次の「携帯と電子マネーの融合」についても、さらに偶然的な日本独自のコンテクストが必要となる。マイクロペイメントが必要な場面が多いためにユーザーの利便が大きく、貨幣以外の支払い手段が未発達だから携帯電話を通じたチャージという面倒なやり方でも利便性が大きい。しかし、アメリカならクレジットカードが広く使われているし、車で移動するので電車賃のようなマイクロペイメントが必要な場面はあまり存在しない。コンテクストが違う。

さらに重要なのは、非接触型カードの利用できる場所を増やすためには、カードリーダーが多くの店に設置されているという「インフラ」が必要だが、これは巨大ドコモが人海戦術でリーダーを設置させたから初めて可能となった。ほっといてもお店は自然にはカードリーダーを置いてくれるわけではない。そのための人件費はちゃんと計算すれば膨大なのだが、日本の場合は「人は固定費」であり、コストの計算にははいらない(=企業がお金を儲けるより、今雇用している人をなんとか食わせるように仕事を作ることのほうが、社会通念上および経営判断上の優先度が高い)ために、企業の中でちゃんと成立する。しかしながら、この「おサイフケータイ」の仕組みは、ドコモの本来業務である「通信」にはまったく貢献しない。「端末をより魅力的にするためのオマケ」であり、またゆくゆくはそれではいってくるお金を運用する「金融業務」に進出しようという多角化の一環であった。

あまりに、「コンテクスト依存」かつ「偶発的」要素が大きいのだ。たまたま、たとえば香港のようなところは日本とコンテクストが似ていて、うまくいくことがあるかもしれない。でも、やはり「たまたま」似ているところまでしか広がらない。

だから、海外の別のコンテクストの中にある、他の通信事業者にとっては、まったく魅力的な商売ではない、ということになる。アメリカの事業者にとっては人のコストは変動費だし、端末主導の戦略じゃないし、金融業務には興味ない、それなのにコストばかりかかって本来の通信業務に益する部分は何もない。ベライゾンなら、ドコモとは異なる経営判断をする。

同じことがiモードにも言える。コンテンツ事業者とつきあうだけで大変な人数がかかるので、人件費まで含めるとえらいコストのかかる商売であり、それを10%程度の料金回収費では回収できない。「コンテクスト」の異なる海外キャリアではうまくいかない。コンテクストが似ていると思った欧州でも、やっぱりダメだった。

コンテクストを離れても、明らかに本来の通信業務の足しになるサービスならば、世界に広がる可能性もあるのだが。

iPhoneならば、「使いやすさ」「カッコよさ」といった、シンプルで普遍的な魅力とアップルの世界ブランドと、すでにある程度世界に普及したiTunesのインフラのおかげで、コンテクストを超越できる。かつてのウォークマンのような日本の大成功した家電ブランドや、自動車なども同じ。「魅力」の核となる部分が、シンプルで普遍的であり、コンテクストに依存しないことが、「世界」で成功するために必要な条件である。

日本の携帯業界は、世界の中でももっとも「進んでいる」と言われるけれど、具体的に何がどう進んでいるか、ということを考えると、「日本的」なコンテクストに深く依存した部分が、この非常に高度に発達したコンテクストの中で末端肥大的に進んでいるのであり、世界のユーザーや世界のキャリアに対して広く訴えかけられるシンプルで普遍的な魅力とはいえない。

日本というコンテクストの中での最適化を進めるあまり「普遍性」を失ってしまう。すなわち、これが「パラダイス鎖国」。

世界に通用するモノを作るためには、「普遍的」な魅力のあるものを作らなければいけない。グーグルの検索広告モデルやホンダのバイクのように、それがたとえ経緯としては偶発的にできてきたものであっても、提供側が「普遍性」の抽出と拡大再生産に継続的に注意を払うということが、必要と思うのだ。