武士の末路

実はけっこう時代劇が好き(ただしイケメンが出ているやつに限る)で、日本にいないのでなかなかたくさんとはいかないが、ときどき見ている。

時代劇といえば武士が主役のものが多いのだけれど、最近の世の中の変化を見るにつけ、時代劇見ながら「武士という人たちの末路」をなんとなく考えてしまう。

江戸時代というのは、長いことかけて武士がリストラされていく時代だった。世の中が平和になれば、戦士は要らなくなり、武士は「官僚」になったわけだが、そんなにたくさん官僚は必要ない。それで、何かといえばお家取り潰しという名のリストラをやった。それで職にあぶれた浪人の救済策というのがないままだったので、やりすぎると由比小雪の乱とか赤穂浪士とかが起こった。
何年か前にみた「嗤う伊右門」という映画で、唐沢寿明が演じた浪人が、そういう意味ではすごかったな。ただただ真っ暗な絶望の中に一生住み暮らす浪人が、お岩より数段怖かった。

完全に浪人にならなくても、ほとんど「窓際族」として飼い殺しにされている下級武士というのもなかなかすごい。「たそがれ清兵衛」みたいな。他にも、藤沢周平の小説には、仕官を求めて各地を流れ歩く浪人というのがよく出てくるが、「お殿様に終身雇用」と思われている時代にも、実はそういう人たちが結構いたのか、とちょっと驚いた。

ああいう人たちが、日本中に一体どれほどいたんだろうか。

時代劇に出てくる、「幕府」とか「藩」とかの雰囲気は、現代の大企業によく似ている、というより、作っている人たちはきっと現代の大企業をモデルにして映像にしてるんだろうと想像する。その仕組みに順応している人はいいが、いろいろな事情でそこからはじき出された人たちの末路はいったい、どうなったんだろう。身分制度がきっちりしていたというのは、「これ以上武士の数を増やさない」という働きをしていた。でも、実際には刀を捨てて商売でもやったほうがいい生活ができたかもしれないが、それは彼らにとっては「落ちる」ことを意味していた。社会の流動性はきわめて小さかったから、敗者復活はほとんどありえなかった。

それが明治維新で超大リストラが起こり、武士の商法とか言われたりしたが、まぁたぶん、かなりの武士は、官僚や軍人や警察官とかになったんだろうな。ここでも西南戦争など「ラストサムライ」風の職にあぶれた武士の反乱がいろいろあった。うがった見方をすれば、彼らの生活を維持するために、その後も戦争がおこったりしたわけだ。そしてその後、武士の末裔たちは現代の大企業などの中に散り、消えていった。

社会構造の変化には、常にこうしてはじき出される人が存在する。短期的には、政策的に救済する必要もあるだろうが、長期的には、それをうまく吸収していくのは社会のフレキシビリティ以外にはない。江戸時代のような身分制度がない現代なら、職業を変わることは必ずしも落ちることではなく、また新しい仕事が常に供給される。

陽炎の辻」というNHKのドラマで、山本耕史演ずる主人公は、不定期で用心棒の仕事をする。「仕事ですよ」と声がかかると「ありがたい」といってクライアントのところに飛んでいく姿は、なんだかわが身を見ているようで・・・それでも、現代の私は「コンサルタントでござい」といえばそれで済み、それなりに安定しているが、彼は実は上流階級の出で、学問も剣の腕もあるのに、それを十分発揮する場を与えられない「浪人」なのである。

昔に生まれなくてよかったとつくづく思う。

そして、不景気で内定取り消しとかリストラとかいう声が聞こえ始めるとすぐに、「守ること」「短期的救済」ばかりに目が向きがちだが、それをやりすぎるとアメリカの自動車労組みたいになってしまう。長期的に、新しい仕事を供給すること、そして社会・仕事のフレキシビリティを増大させることのほうが、むしろ重要だろう。

その意味で、楠さんのこのエントリーにブクマさせていただいた。
問題は内定取り消しより新卒偏重では - 雑種路線でいこう

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