現代の「タブー」

何を隠そう、大河ドラマの「平清盛」にはまっている。昔から時代劇が好きで、ここ数年大河はだいたい毎年見始め、途中リタイアする年も多いが、最近では「篤姫」や「龍馬伝」などは最後まで見通したし、「新選組!」はあとになってDVDで見た。(そういえば幕末モノばかりだな・・)当地ではTV Japanというケーブル局でやっていて、英語字幕つきバージョンを2ヶ月遅れぐらいでやっているので、「あー、この話ってあれの伏線だったのね」などを見つけられたりするのもまたヘンな楽しみ方。

これ、超低視聴率らしい。確かに、面白いとは思いながら、どこかに違和感というか、居心地の悪さをずっと感じていた。普通、大河ではなにかしら「メッセージ」が繰り返し語られることが多く、これがうまくはまらないとひたすらウザくなってしまうのだが、「清盛」では「メッセージ」が私には明確にわからないまま、ここまで来てしまった感じだったし、とにかくなにか「ザラザラ」した感じがある。私自身はヘンな映画とか、こういう「ザラザラ」を感じるものがかえって好きなのだが、普通の人はそうじゃないのだろうから、低視聴率も頷ける。

でも、先週の「祇園闘乱事件」でそのメッセージがようやくはっきりした形で出てきたように思った。それは、「タブーへの挑戦」。いや、NHKの方々が本当にそう思っているかどうかはわからないが、私が心惹かれる理由というのが自分でわかった気がする。

そう思ったら、ずっと感じているザラザラ感というのがソレだったというのもわかる。このドラマは小さなタブー破りをあちこちでやっているし、大きなものとしてずっと疑問に感じていたのが「朝廷の描き方」だ。

そういえば、と思って過去の大河ドラマを調べてみたら、80年代に3回ほど現代に近い時代を取り上げたものと、1978年「黄金の日日」という例外を除くと、1963年の第一回以来、テーマはほとんどすべて「武家」の物語。天皇や院が出てくることももちろんあるけれど、どちらかというと本流の話からは超然とした記号として存在するような扱い方だったように思う。(全部見ているわけではないので、違う例もあるかもしれないけれど、私の中ではそういう印象)これに対して、「清盛」では、これも主人公は武家だけれど、朝廷のドロドロ愛憎劇がこれでもかというほど本流の話として描かれている。(三上博史さんの鳥羽院の熱演、崇徳天皇と佐藤義清のあの描き方っていいの?などなど・・)「王家の犬」という言い方が最初の頃に叩かれたようだけれど、「タブー破り」はそもそも、この描き方にあるように思う。今までなんとなく日本の映像ソフト界にあったタブー(例えばロシア制作の昭和天皇の映画が日本では公開されない、というような・・)が、今やOKになったのか、それとも反発覚悟でNHKがあえてやっているのか?単に私の無知か?などといろいろ考えたりしていた。

祇園闘乱事件は、当時の、まさにタブーにがんじがらめにされた社会に対して文字通り挑戦したお話。史実としては本人が「神輿に矢を射た」わけではないのかもしれないが、まぁいいじゃない、これはわかりやすい。ストレートなタブー破り。そして、昨日の回では藤原頼長平家盛の関係。頼長の男色趣味は知っていたが、まさかそれをこういうふうに使うか!(山本耕史さんがノリノリ不気味なのに美しくてすばらしい・・)これは当時タブーではなかったが、現代のテレビドラマにおいては明らかに「タブー」の領域だったようで、ネットで話題になっている。

ザラザラ感が理解できて、すっきりしたところで、この先ますます楽しみである。タブー破りは、普通の人にとっては「不快感」「違和感」を引き起こすものなので、おそらくはこの先も低視聴率が続くのだろうが、幸い視聴率とスポンサーに振り回されないNHKだからこそ、私としては是非このままの路線で堂々と続けてほしいと思う。

このドラマの放映が決まったのは何年も前のことだけれど、たまたま昨年は日本で「原発」というタブーが否応なしに破られてしまったばかり。私の日々の仕事の中でも、魑魅魍魎の「日本企業にありがちなタブー」のようなものにぶち当たることが多い。先月の日経ビジネスオンラインのコラムで書いた「プライバシー」の件も、タブーの匂いがする。

タブーにぶち当たると、閉塞感を持つ。だから、世の中はその閉塞感を打破するヒーローを求める。メディアはそんな魔法の杖を求める論調でいっぱい。でも、実際にはタブーが破られたら多くの人は「不快」に感じ、反発し、叩く。ホリエモンはつぶされたし、グリーを叩く論調にも似たようなモノを感じる。両方のケースとも、私的には「本人たちももちっと、長期的に考えて行動すればいいのに」と思うこともあるので、タブー破りだけじゃないのだが、タブーにおののく周囲とは勝手なものだとも感じる。

現代にも、タブーはたくさん残っている。それを打破するのは容易なことではない。触りたくないから「タブー化」しているのだから。そして、そこに誰かが小さな小さな矢を射ようとすれば、妨害されたり無視されたりするのは当然で、それは覚悟の上でやらないといけない。クサッちゃいけないね。自戒、自戒。さて、今日はどこに矢を向けようか。