超わかりやすいNOSQL入門書「NOSQLの基礎知識」

NOSQLの基礎知識 (ビッグデータを活かすデータベース技術)

NOSQLの基礎知識 (ビッグデータを活かすデータベース技術)

ビッグデータ勉強中のところ、ちょうどこの本の著者の一人である本橋さんにこの本をいただきました。ありがとうございます!

私はエンジニアでも専門家でもないが、営業・企画的な立場からビッグデータの技術に興味を持っている。この本は、ちょうどそんな立場の人が、ビッグデータ向け技術の重要な一要素である、「データベース」の世界を理解するのに超オススメである。Hadoopのオーバービュー的な説明もはいっていて、Hadoopの適用領域と、各種NOSQLの位置づけがよくわかる。

最初にNOSQL(「Not Only SQL」、従来型のリレーショナル・データベース「以外」のものとの意味)のオーバービュー、次にその中でいくつかの視点からの分類と定義を示し、そのマトリックスの中にNOSQLの代表的なものを位置づけていくというやり方で、さすがデータベース屋さんだけあって(?)、定義と分類がキレイにできて、体系的に積み上げられているので、とても理解しやすく、サクサク読める。後半はかなり専門用語が連打されるが、ちゃんとついていけてるので自分でもビックリした。

専門家でない方が、ビッグデータ関連の文献を読んだり、カンファレンスでの議論を理解したり、エンジニアの話を理解して評価するなどの場面に、とてもよい体系的な参考書である。

環境vs.開発 「日本人の知らない環境問題」

日本人の知らない環境問題 (SB新書)

日本人の知らない環境問題 (SB新書)

著者大賀敏子さんは、私の大学時代の友人。もう長いこと会っていないのだが、最近同級生女子会メンバーの間でメーリングリストがまわるようになったおかげでe-再会。この本が出たときに紹介された。

大賀さんは環境庁(今は省)出身で、現在、UNEP(国連環境計画)のケニア・ナイロビにある本部で働いている。世界における「環境問題」の現実・意義・課題・取り組みなどが、「中の人」の立場から生々しく紹介されている。

ちょうど今月20日から、ブラジルのリオデジャネイロで「リオ+20(国連持続可能な開発会議)」が開催されるが、この会議のことを理解するのにも役立つだろう。

環境保護」は、貧困から脱出するための「開発」とは対立すると思われそうだが、実はそうではなく、「環境問題」はすなわち「貧困問題」である、というのが世界の場では常識となっているそうだ。その意味が、アフリカでの実際の生活の様子を通して描写される。

短期的に、また狭い範囲に関しては対立するのだろうが、長期的・広範囲に見れば確かにそうだ。しかし、過去の歴史をひきずり、長期的にわたり、国境を超えた影響が複雑にからみあう問題を、一気に解決できる方法はない。

国連の会議といえば、よくも悪くも世界規模の「政治」であり、種々のかけひきの経緯もわかりづらく、「まどろっこしい」などと批判するのは容易だが、その中の人である大賀さんの「武力を伴わずに国際合意をとりつけるには、会議は今の国際社会が使えるたった一つの方法だ」という信念が心に残る。どんなにまどろっこしくても、何十年もかかっても、淡々と仕事を続ける当事者の方々の努力に頭が下がる。

それは、本の中で紹介されているケニアノーベル平和賞受賞者の「普通のおばさん」、ワンガリ・マータイさんの言う、「火事になった森に、小鳥がくちばしで水を湖から運ぶ」ようなものかもしれない。でも、それを続けていくしかない、というのが現実なんだろう、と思う。

それから、国連や世界の舞台ではなかなか目立たない日本だが、武力を伴わない枠組みである環境問題に関しては、日本が長年にわたって力を発揮しているということも、正直言って意外な発見だった。

地味で難しいトピックだが、日々の節電努力の意義が世界の中でどういう意味を持つのか、そんな壮大なことに思いをはせられる本である。

キャプテン・ティーグの自伝!「Life」オーディオ版

日本出張のために見逃していた「パイレーツ・オブ・カリビアン」第四作をようやく週末に見ることができた。アメリカでは少々出足が遅いが、世界では大ヒットだそうで、私自身は、ようやくジャック・スパロウが本来の主役になったお話で、彼の恋人もようやくちゃんと出てきて、第一作のオマージュ的なアクション満載で、とても楽しいと思った。

さて、おそらくは第三作での人気にお応えして出てきたんだろうけど、あそこに出てきた意味はなんだか不明、でもやっぱり出てきて嬉しい!のが、キース・リチャーズの「キャプテン・ティーグ」!彼とジャックの親子という組み合わせがたまらない!という私のようなファンにオススメなのが、キース・リチャーズの自伝「Life」。

Life

Life

日本語版も出ているが、「親子」のファンなら、英語版オーディオブックが断然オススメ。

Life

Life

本の内容自体も、「ロックスター」というステレオタイプを世界で一番よく表象しているキースの波乱万丈人生は、まさに小説よりも奇で面白いが、オーディオブックは、最初と最後の章をジョニー・デップが朗読しているのだ。特に冒頭、アメリカ南部のド田舎で、キースが麻薬容疑で警察につかまり、泥酔した裁判官やワルっぽい警察官とのやり取りをジョニーが一人芝居するくだりなど、「これ、ぜったいネタだろ!」と思いながらも笑い転げてしまう。それ以外の章は他の人が読んでいるが、キースのあの話し方をうまくなぞっていて、とても面白い。

私自身は、彼らの全盛期に、彼らの泥臭いロックがわかるほどの年齢でもなかったので、ストーンズはそれほど好きではなかったが、これを聴いて、またまたストーンズベスト・アルバム大人買いしてしまった。

電子書籍を自動音声で読み上げるサービスもあり、それで十分という人もいるが、オーディオブックは長いものだと何十時間も聴くので、会話部分を違う声で読み分けたり、上手に演技して読むことのできる専門の「声優」が読むオーディオブックのほうが、楽しくて長続きするように私は思う。さらに、この作品のように、オーディオブックならではの楽しさもある。

英語勉強中の方なら、文字の本と両方の組み合わせもいいかも。ただし、「勉強」するには少々というかかなり不適切な言葉遣いが多いので、その点は十分ご注意の上、お使いください。

Clay Shirky "Cognitive Surplus"(知的余剰)とソーシャル

クレイ・シャーキーは、ネット世界に関する著述家としてよく知られている。例えばティム・オライリークリス・アンダーソンなどといった人々と同じようなカテゴリーに属する。ニューヨーク大学で教えていたり、コンサルタント業もしているようだ。彼の「みんな集まれ」(Here Comes Everybody)という本は日本でも翻訳が出ている。

彼の「Cognitive Surplus(知的余剰)」という考え方は、私はだいぶ以前、2008年のオライリー主催「Web2.0 Expo」での彼の講演で聞き、面白いと思ったので、これまで講演会などでは何度も引用している「ネタ」の一つである。クリス・アンダーソンの「Free」などと並び、「なぜ人は無料で自分の書いたものや作成したものをネットに公開するのか」「それがどういった社会的な意義をもつのか」をわかりやすく解説しており、シリコンバレーとネット界での「シェアの哲学」についての代表的著作の一つといえるだろう。

「ネット上での無料」の話はもう旬を過ぎたのだが、先週日本に出張した際、3つ行った講演会のうち2つ(うち一つは非公開のもの)が「ソーシャル」をテーマにしており、それと関連してまたネタに使おうと思い、それなら原典をちゃんと読んでおこう、ということで読んでみた。実は、この本自体は昨年出たもので、比較的新しいことにちょっとビックリ。(なお、いつものとおり、本でなくオーディオブックで聴いた。)

Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age

Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age

いつものプレゼンのネタ、「ジンとテレビと知的余剰」とは下記のようなものだ。

Gin, Television and Social Surplus – Clay Shirky

  • 産業革命後のイギリスでは、急激な生産性の増大と都市化による知識的「余剰」をどう使っていいかわからなくなり、その不安を忘れるためにジンを飲んで酔っ払うことが社会現象となった
  • それが一世代続いた
  • その後、ようやくこの「余剰」を結集して「民主政治」や「芸術」や「知的活動」のために使う道筋が整備された
  • 20世紀、第二次大戦後における急激な社会変化の際、急激に増大した生産性と自由時間を持て余した人々にとって「ジン」に当たるものは、テレビの「Sitcom(コメディドラマ)」であった
  • それが一世代続いた
  • 最近になって、この余剰時間を組織化して知の役に立てることが始まった
  • 現在のWikipediaができるまで費やされた人・時間の累積は、世界中で推定1億時間。これに対し、アメリカでテレビを見るのに消費される時間は、年間2000億時間。
  • 現在はこの「知の余剰」組織化の草創期であり、種々の試みが行われるが、それにより出てくる結果は全く予想がつかず、人々はひたすら試行錯誤を続け、失敗を積み上げることで新しいプロセスを作り上げている段階である

このエッセンスの部分は、2008年の講演会で聴いた部分であり、本の中でももちろん中心的な部分を占めるが、本ではこうした「知的余剰」と「ソーシャル」の関連についても記述している。私は自分のオリジナルの絵だと思っていた「コミュニケーション三分割モデル」は、この本の中でも語られており、「知的余剰」を集めて「クラスター化」するためのツールとして、ソーシャル・メディアが有効であることを説いている。(「クラスター化」とは、私の著作「パラダイス鎖国」の中で使っている用語で、同じ興味・思想・傾向を持つ人達が自然に集まり、なんらかの行動を起こすことを指す。彼もこの記述の中でやはり「クラスター」という言い方をしている。私はマネしてませんからね!彼のほうが後ですからね!(^_^;))

いろんな意味で、私が本などに書いたことや講演で話していることと似たような話が多く、興味深い。(というか、私のオリジナルだと思っていたのに先をこされた!くやしい!という微妙な気分もあるが。(^_^;))

「知的余剰」という考え方そのものにも、いろいろ語るべきことはあるのだが、長くなるので、今日はこれにて。ご興味のある方はまずは本をお読みください。

<参考>

みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす

みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす

理念がなければ成功できない - 「フェースブック 若き天才の野望」

日経BP社中川ヒロミ様より献本いただきました。ありがとうございます。

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

まず最初に一言だけ苦言を呈しておく。この日本語タイトルはちょっと違うと思う。原題はThe facebook Effect、「フェースブック効果」ということで、たしかに日本語にするといまいちインパクトに欠けるために、手を加えるのは仕方ないが、この本はザッカーバーグのことを書いているだけではない。このフェースブックという現象を通して、「人」を中心とするネットが、世界の構造や人々の倫理基準などにまで、どういう効果を発揮するのかという、遠大なテーマを含んでいる。日本語タイトルでは、映画「ソーシャル・ネットワーク」のような人間ドラマのお話かと思ってしまう。誤解を与えかねない。実は私もそう思って読み始め、いい意味で裏切られた。

ということで、要するにそれほどの遠大な本である。取材の量がハンパなく、丁寧かつ誠実に経緯を追っている。映画と、その原作である「The Accidental Billionaire」は、いずれもザッカーバーグをめぐる裁判記録に取材し、ザッカーバーグ自身も協力を拒み、おもにザッカーバーグと敵対する人々の視点から創作を加えて「ドラマ」として描いてある。このため、フェースブックの成功の理由といった重要な部分がまったく含まれておらず、またあれだけトラブルを起こしながらも、それを上回るほどのザッカーバーグの魅力とは何かということがわからない。これに対し、この本の著者デビッド・カークパトリックは、ザッカーバーグ自身のほか、フェースブックの誕生と成長を助けた人々の大量のインタビューに基づいて、こうした疑問に答えてくれる。映画では「ヘンなやつ」に過ぎなかったショーン・パーカーの貢献、私の造語を使えば「厳しいぬるま湯」として彼を支えたジム・ブライヤーやマーク・アンドリーセンなどシリコンバレー錚々たるメンバー、フェースブックとユーチューブ、リンクトイン、ジンガ、グーグルなどとの人脈のつながりも含め、シリコンバレーというのはそれ自体が強力な「ソーシャル・ネットワーク」であることもよくわかり、面白い。

全体のうち、初めの2/3ほどが、ジャーナリスティックにきちんと経緯を追った「フェースブック正史」である。映画とその原作でフェースブックザッカーバーグに興味を持った方が、抜けている部分や、映画では語られないザッカーバーグ自身の世界観を理解するのに最適な資料である。特に中盤、シリコンバレーの有名人や有名企業がすごい勢いで登場し、またベンチャー投資業界の専門用語やコンセプトも多数出現するので、この業界に馴染みのない方には読みづらいかもしれない。翻訳の滑川さん[twitter:@namekawa01]、高橋さんはさすがこの業界の文章に手馴れており、たいへん自然で読みやすいが、そもそも業界知識がない人には仕組みが理解しづらいだろう。(映画ですら、ベンチャー業界に疎い友人から「だって、広告は売らないと言ってるのに、どうしてあのボーヤがビリオネアなわけ??」と質問され、私は説明に苦慮した。こういうのこそ、電子書籍にして、「この人、だれだっけ?」「これどういう意味?」とクリックすると解説が出てくる、みたいな機能が欲しいものだ。)

しかし、もし読みづらいと思っても、そこは適当に流して、最後のほうまで読むことをお薦めする。「ネットは機械ではない。サーバーの向こうには人がいる」という実感をはるかブログの初期の頃に私は書いているが、リアルの友人としての信頼関係をベースとして、実名主義をとるフェースブックでは、この傾向がはるかに強くなる。そして、そのことが現実の世界のあり方や人と人との関係を変えていく可能性がある。「透明性の高い世界を作ることで、人はより責任ある行動をとるようになる。自分はそういう世界をつくりたいのだ」というザッカーバーグの理想には、反論も多いだろうが、こういうことを20代の若者がしれっと言えて、それに手を貸したり莫大なお金を投資する大人たちがたくさんいるというのが、シリコンバレーの存在意義でもある。

フェースブックはまだ完結した物語ではない。広告売上による収益化の努力は実を結びつつあるが、ザッカーバーグの広告への「アンビバレント(躊躇)」な態度の背景には、単なる好き嫌いでなく、根本的にフェースブックの体現する世界と広告との不適合の存在を示しており(私のこの過去エントリー参照)、この先サステイナブル(継続的)な事業として続けていくための方法論はまだ未完成である。この先フェースブックがどう変化していくかもわからない。しかし、一つ面白いと思うのは、フェースブックもまた、「理念」先行型のベンチャーであるという点だ。最初からそうだったのではないかもしれないが、会社とザッカーバーグが成長する過程でそれが固まっていった。たとえばマイスペースとの接触の後のザッカーバーグの一言、「そこがシリコンバレーの会社とロサンゼルスの会社の違いだ。われわれはずっと長く使われるサービスをつくる。この(マイスペースの)連中は何ひとつわかっちゃいない」。理念だけでは食っていけないが、理念がなければ成功できないのもまた、シリコンバレーの掟である。

フェースブックが世界の中でまだ征服していない国は、世界の中で中国、ブラジル、そして日本だけといわれる。日本にも、最近じわじわと普及しつつあるようで、最近日本から友達リクエストがよく来るようになった。*1

日本でも、やれ「実名文化は日本に合わない」だの、「プライバシー侵害」だの、という議論が蒸し返されることが必定だろうが、それに対するフェースブック側の言い分はすべてここに書かれている。遠大な理想の部分でなく、卑近な問題としても、フェースブックなど(リンクトインでもいいけれど)で、個人IDを公開してくれるほうがいいケースも多いと思う。「発言小町」を読んでいると、独身と偽って女性に近づくケシカラナイ既婚男性の話がよく登場するが、「男性がきちんとフェースブックでステータスを公開してない場合はおつきあい拒否、フェースブックを見ても誰も友達がいないならウソのIDだろうと思われるのでおつきあい拒否、本当は既婚なのに独身とステータスを書いていれば妻がそれを見てすぐバレる」というのが慣習になれば、日本の不倫天国状態も少しは改善されるのではないだろうか。友達承認しなければ個人情報詳細が見られないため、ストーカーしようとしたらまず自分の情報も公開しなければいけなくなるので、これによりストーカー被害が減ることはないかもしれないが、特に増えることもないだろう。不倫天国状態を続けたいオジサンたちは、例によって「プライバシー侵害」の錦の御旗を振ることだろうが、女性側はこの「透明性」を身を守るツールとしてうまく使いこなしたらよいと思う。(小町でも最近、「フェースブックしてね」という会話が登場しているので、そうなりつつあるようなのが面白い。)

なお、私の日経ビジネスオンラインの月例コラムでもフェースブックのことを取り上げており、まもなく公開されるので、そちらもぜひお読みいただきたい。その記事を書き終わった直後にこの本が届いたが、本を読んで、私が書いたものと矛盾はないのでほっとしている。

<参考: The Accidental Billionaireの日本語版>

facebook

facebook

*1:私は子供の写真などを公開しているので、かなり限定的にしか友達リクエストを承認しないことにしています。特に、顔写真なしだと誰だか思い出せないことも多いです。その点、ご理解をいただければ幸いです。私にとっては、長いこと連絡が途絶えている昔の友達を見つけられるのが、フェースブックの一番の楽しみです。

「お天道様」じゃなくて「グーグル様はいつも見ている」という、内ゲバHPへの教訓

副題--伏魔殿HPの懲りない面々 <==秀逸ブクマコメントを利用させていただきました。

たまたま、2006年の「HPプリテクスティング事件」(ヒューレット・パッカードの取締役会が違法すれすれの方法で、ボードメンバーや報道記者の通話記録を取得していた問題)に取材した「The Big Lie」という本を読んでいたところ、同社前CEOのマーク・ハードが辞めさせられた事件が、実は同じような根っこから発生していた、というウォール・ストリート・ジャーナルの記事が昨日出た。

The Big Lie: Spying, Scandal, and Ethical Collapse at Hewlett Packard

The Big Lie: Spying, Scandal, and Ethical Collapse at Hewlett Packard

Allegations Against Hurd Included Leak of H-P Plans - WSJ

プリテクスティング Pre-texting とは、ターゲットとなる人になりすまして電話会社に問い合わせを入れ、他で入手したその人の社会保険番号を使って、ターゲットの電話番号と過去の通話記録を入手することを指す。元NTT社員の私からすれば、そんなこと絶対ダメに決まっていると思うし、見るからに違法に見えるが、この事件が発生した当時は、明確にこの方法を違法とした法律はなく、判例などから見ても明確な違法の事例はなかったのだという。

この本によると、HPでは実際にプリテクスティングをしていた(それも取締役会にきちんとレポートせず、社内の担当部署の独走でやっていた)のだが、その背景には、それまで取締役会でも社内でも、個人的な怨恨やエゴの対立に基づく足の引っ張り合いと、そのための情報リークがあまりにひどく、特に2005年前後にカーリー・フィオリーナコンパック買収と、その後のフィオリーナ解任に至る過程で、手のつけられない状態になったということがあった。これに対し、当時取締役で会長であったパトリシア・ダンが、きちんとしたコーポレート・ガバナンスのプロセスを導入しようと戦ったが、そのためにもう一人の取締役でエゴの塊でもある、有名ベンチャーキャピタリストのトム・パーキンス(Kleiner Perkins創業者)を敵に回してしまい、彼が私怨からコトをわざと大きくし、ダンを意図的に引きずり下ろす結果になった。その過程でも情報リーク合戦はますます派手になり、後手にまわったダンは、結局証拠不十分で不起訴となったが、この勝負では「負けた」形になっている。この本は、そんなパトリシア・ダン側の「反撃」ともいえる告発本で、一貫してダンを擁護する内容である。ダンはこのスキャンダルのちょうど同時期に、乳がん卵巣がんが進行して、手術とキーモセラピーを繰り返していたが、議会聴聞会での証言のときの写真などを見るととてもチャーミングで堂々としており、この本を読むとパトリシアにどうしても同情する。本当のところ、どうだったかはもちろん、私には知る由もないが。

結局、誰が重要な情報をどうやってリークしていたかという本質の部分は明らかにされず、どちらかというとマイナーな件でのリークだけが解明されるにとどまり、それよりもそのための手段がもっと大きなスキャンダルになり、HPの内ゲバ体質は全く改善されないまま、ダンがスケープゴートとなって事件は終わった。で、この本が出たのが今年の5月。そのすぐ後、8月には、フィオリーナの後任CEOであったマーク・ハードが突然辞任。すごいタイミングだ。

この本によると、マーク・ハードはプリテクスティング事件の最中も、ダンからもパーキンスからも信頼されていて、特に最後の最後まで、ダンはハードは自分の味方と思っていたらしいが、その実、事件の発生直後から、責任をダンに押し付けて自分に火の粉が降りかからないように工作していたのだという。議会公聴会直前になり、ダンはハードの裏切りにようやく気づいたという。その後ハードは会社の業績を回復させ、スター経営者としての名声を上げていた。でも辞任。相変わらずの内ゲバ体質で、きっとまた何かゴタゴタがあったに違いないと思える。

さて、マーク・ハードが辞任した際の説明は、マーケティングコンサルタントとして雇ったジョディ・フィッシャーという女性とハードが「特別な関係」にあったらしく、フィッシャーがハードに対してセクハラ被害を訴えてきたので調査したところ、セクハラの事実は見つからなかったが、フィッシャーとの会食などの費用をウソの内容で会社に申告していたということがわかり、会社の倫理規約に反することがわかったから、だということだった。

ちなみに、ジョディ・フィッシャーというのは、こんな「いかにも」な美人。
Finally! We Learn The Real Reason Mark Hurd Got Fired - Business Insider

はぁ?何百万ドルとかもらっている大企業のCEOが、食事代数百ドルをごまかす?それで辞任に追い込まれる??

ヘンな話だとしてちょっと地元の話題になり、その後ハードをもう一つの地元大企業であるオラクルが社長に迎えるということでまたひとしきり訴訟騒ぎがあったが、「ああ、またやってるな」という感じでまた忘れ去られかけていたところである。

で、昨日のWSJの記事のキモは、「マーク・ハード辞任の本当のカギは、フィッシャーに対して、当時まだ交渉中であったEDS買収の情報を漏らした件」ということだ。本当に漏らしたかどうかはわからず、また漏らした結果、フィッシャーや彼女の関係者がインサイダー・トレーディングで儲けたという明らかな事実も見つからないらしいので、この件をどこまで情報公開すべきか、取締役会でも大揉めにもめ、最終的には、この件に関してハードの取締役会への説明がころころと変わり、取締役がハードの言うことを信じられなくなった、ということが決定的になった、ということだそうだ。前にプリテクスティングの件で、情報公開のタイミングや程度が問題となったために、取締役が異常に神経質になっていたこともあるだろう。

それにしても、またまたこの記事は誰がリークしたんだろう??えらく細かいディテールが描写されているし、ソースはあいまいなまま。ザル漏れ体質は変っていないようだ。そういうワケで、これはまたコーポレート・ガバナンスと情報公開に関して、経営的には重要な示唆を含んでいる事件。

なんだけど、そんなのは置いといて、それより「ジューシー」なディテール。フィッシャーはマーケティングコンサルタントという立場だが、テレビ・タレントでもあり、その前はアダルト映画に出ていた過去がある。それについて、取締役会はハードに「そのことを知っていたか」と質問したところ、「知らなかった」と答えたのだが、内部調査の結果、ハードは「ジョディ・フィッシャー」をググり、彼女のアダルト・サイトを見つけ、そのサイトに何度もアクセスしている、ということがわかり、彼の「ウソ」の一つとなった、のだそうだ。

本当かい??いつからのサーチ履歴やアクセス履歴を保存してあるんかい??社内ネットの履歴??だろうね、まさかグーグルから情報を入手するわけないよね・・・でもよく探し出したよね・・・

教訓。とにかく、まずは「李下に冠を正さず」、特に地位のある人ほど、あやしいと思われる可能性のあるサーチはやめよう。グーグル様はいつも見ておられるのだ。

スターに学ぶプレゼンテーション術 - 「スティーブ・ジョブス驚異のプレゼン」

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

解説を書いた外村仁さんより本をいただきました。ありがとうございます。

正直いって、私は、例えばスポーツに関しても「シャラポワのフォアハンドを盗む!」みたいな、日本の雑誌にありがちな「スターに学ぶ」というやり方が昔からあまり好きではない。(もちろん、モデルになっているスターがよほど好きである場合を除く。^^;)そんな大天才のスターのやり方が、体力も才能もない凡人の私に合う訳がない、と思うからだ。単に性格がひねくれている、とも言う。

この本も、「スターに学ぶ」という私にとっては苦手なカテゴリーではある。ジョブスは経営者・ビジョナリーとして尊敬しているが、この周辺に住む皆様ほどのアップル信者ではないし、ジョブスに関しても「好き」というほどではない。これも単に、直接ジョブスのプレゼンを見たことがないから、なのかもしれない。子持ち母親の私にとっては、前日からキャンプを張って列にならぶなど、はるかに手の届かない贅沢であり、だからジョブスのプレゼンもiPhoneなどの発売日の興奮も、実際には体験したことがない。

なので、この本を読むにあたっては、正直かなり勇気が必要であった。実際に、読んでいてあまりにジョブスを礼賛する同じ文句が繰り返される部分は、我慢して読みとばす必要があった。(ジョブス・ファンの方々には、ここがたまらない部分だろうと思うので、そういう方にはオススメ。)

しかし、読み通してみて、基礎部分になるプレゼンテーションのコツ、極意といったものは、とてもマトモであることもわかった。私はコンサルタントとはいえ、マッキンゼーなどの大手で、プレゼンテーション術についてきちんと訓練を受けたわけではない。ずっと昔にビジネススクールで習ったこと、仕事の中で先輩や仲間から学んだこと、それにあとはカンファレンスやミーティングなどで鼻から出るほどの大量のプレゼンを何十年も見続けてきた中で、取捨選択して身につけてきたものでしかない。そういう中で、最近はいつの間にか、あまり考えずに流してしまうようになったが、この本には、はるか昔に習った原則が、ジョブスというモデルを使ってきちんとカバーされていて、それを思い出して、改めて自分のプレゼンを見直している。

プレゼンテーションにもいろいろあり、どの場面でもこの本に書いてあることが当てはまるわけではない。ここで例に挙がっているジョブスのプレゼンは基本的に「商品紹介」に限られるのだが、このようにストレートに自分の意見をわかってもらうだけでなく、相手に考えさせるようにしたいとか、問題点を指摘するだけにとどめたいとか、いろいろな場面があるし、対象人数が少なければまた違うし、求められているプレゼン資料の性格も相手の要望によって異なる。私でいえば、舞台の上で演技しながらプレゼンという場面はほとんど皆無だし、準備に膨大な時間をかけるような贅沢も許されない。なので、もちろん読むほうは、必要なエッセンスを取り出し、自分なりに応用する必要はある。

アメリカ人のように、2歳のときからプレゼンの練習をしている環境(外村さんの解説にもあるし、私も子供の保育園で体験して恐れいった)ではないだろうが、日本人でもしっかり原則を押さえればよいプレゼンテーションができる。しかし、コンサル会社にでも就職しない限り、日本の学校や職場などで原則を体系だって教えてくれる場面はなかなかないので、この本はよい参考になるだろう。

なお、この本に関してもう一つ良いと思ったのが、「翻訳」である。訳者はテクノロジー業界の本を多く手がけておられるようなので、用語や表現がこのコミュニティの読者向けにこなれていて、無理なく読める。せっかく原典がよくても、日本語翻訳が直訳だったりすると読みづらいが、この本に関してはむしろ「おお、ここはこう来たか」と楽しみながら読めた。