Clay Shirky "Cognitive Surplus"(知的余剰)とソーシャル
クレイ・シャーキーは、ネット世界に関する著述家としてよく知られている。例えばティム・オライリー、クリス・アンダーソンなどといった人々と同じようなカテゴリーに属する。ニューヨーク大学で教えていたり、コンサルタント業もしているようだ。彼の「みんな集まれ」(Here Comes Everybody)という本は日本でも翻訳が出ている。
彼の「Cognitive Surplus(知的余剰)」という考え方は、私はだいぶ以前、2008年のオライリー主催「Web2.0 Expo」での彼の講演で聞き、面白いと思ったので、これまで講演会などでは何度も引用している「ネタ」の一つである。クリス・アンダーソンの「Free」などと並び、「なぜ人は無料で自分の書いたものや作成したものをネットに公開するのか」「それがどういった社会的な意義をもつのか」をわかりやすく解説しており、シリコンバレーとネット界での「シェアの哲学」についての代表的著作の一つといえるだろう。
「ネット上での無料」の話はもう旬を過ぎたのだが、先週日本に出張した際、3つ行った講演会のうち2つ(うち一つは非公開のもの)が「ソーシャル」をテーマにしており、それと関連してまたネタに使おうと思い、それなら原典をちゃんと読んでおこう、ということで読んでみた。実は、この本自体は昨年出たもので、比較的新しいことにちょっとビックリ。(なお、いつものとおり、本でなくオーディオブックで聴いた。)
Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age
- 作者: Clay Shirky
- 出版社/メーカー: Penguin Press
- 発売日: 2010/06/10
- メディア: ハードカバー
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いつものプレゼンのネタ、「ジンとテレビと知的余剰」とは下記のようなものだ。
Gin, Television and Social Surplus – Clay Shirky
- 産業革命後のイギリスでは、急激な生産性の増大と都市化による知識的「余剰」をどう使っていいかわからなくなり、その不安を忘れるためにジンを飲んで酔っ払うことが社会現象となった
- それが一世代続いた
- その後、ようやくこの「余剰」を結集して「民主政治」や「芸術」や「知的活動」のために使う道筋が整備された
- 20世紀、第二次大戦後における急激な社会変化の際、急激に増大した生産性と自由時間を持て余した人々にとって「ジン」に当たるものは、テレビの「Sitcom(コメディドラマ)」であった
- それが一世代続いた
- 最近になって、この余剰時間を組織化して知の役に立てることが始まった
- 現在のWikipediaができるまで費やされた人・時間の累積は、世界中で推定1億時間。これに対し、アメリカでテレビを見るのに消費される時間は、年間2000億時間。
- 現在はこの「知の余剰」組織化の草創期であり、種々の試みが行われるが、それにより出てくる結果は全く予想がつかず、人々はひたすら試行錯誤を続け、失敗を積み上げることで新しいプロセスを作り上げている段階である
このエッセンスの部分は、2008年の講演会で聴いた部分であり、本の中でももちろん中心的な部分を占めるが、本ではこうした「知的余剰」と「ソーシャル」の関連についても記述している。私は自分のオリジナルの絵だと思っていた「コミュニケーション三分割モデル」は、この本の中でも語られており、「知的余剰」を集めて「クラスター化」するためのツールとして、ソーシャル・メディアが有効であることを説いている。(「クラスター化」とは、私の著作「パラダイス鎖国」の中で使っている用語で、同じ興味・思想・傾向を持つ人達が自然に集まり、なんらかの行動を起こすことを指す。彼もこの記述の中でやはり「クラスター」という言い方をしている。私はマネしてませんからね!彼のほうが後ですからね!(^_^;))
いろんな意味で、私が本などに書いたことや講演で話していることと似たような話が多く、興味深い。(というか、私のオリジナルだと思っていたのに先をこされた!くやしい!という微妙な気分もあるが。(^_^;))
「知的余剰」という考え方そのものにも、いろいろ語るべきことはあるのだが、長くなるので、今日はこれにて。ご興味のある方はまずは本をお読みください。
<参考>
- 作者: クレイシャーキー,岩下慶一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/05
- メディア: 単行本
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