戦うか、逃げるかの話、再び

日経新聞でこんな記事をハッケン。

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昨年、「パラダイス鎖国」本の発売イベントで中島聡さんと対談したとき、今いる環境が住みにくい場合どうするかという質問に対し、中島さんは「戦え」、私は「逃げればいいんじゃな〜い?」と言ったことがけっこうウケたが、どうも本当にそうなってきたらしい。とはいえ、上記の総務省による背景分析(「海外に移り住む女性が増えている」)が本当に正しいかどうかはもちろんわからないのだが。(出生と死亡の差による「自然減」でなく、入国と出国の差の「社会減」が原因、というのは事実なのだが、フィリピンなどからやってくる女性が不況のために減っただけかも、といったあたりの詳しい中味は私にはわからないので。)なにしろ、なにかと「女性には住みにくい」とされる日本から、いよいよ女性が逃げ出すという話になってきたなら面白いな、と。

外国語ができれば、日本語という「現在の社会制度を守る障壁」の外に出ることは、いまや比較的簡単。女性のほうが語学が好きという傾向がもともとあるし、だからもう女を日本の旧来の仕組みに閉じ込めておくことができなくなった、ということなら、ヒジョーに面白い。

先日のJTPAに関する日経ITPlus記事の中でも触れられている、「戦うか、逃げるか」の選択肢の件が会議中仲間内でも話題になった。
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もうちょっと正確にいうと、これは「日本の会社にどうなってほしいですか」という質問だったのだが、パネリストは「会社を変えようなどと思わないほうがいい。他人は自分の思うとおりには変わらない。自分のほうが合う環境を探して動いたほうがいい。」と答えた。私も同感。今の状況は、それなりに理由があってそうなっている。長年かかって出来上がった仕組みをひっくり返すのは並大抵ではない。それを可能にするためには、ひっくり返すことで有利になる人を集めて団結して戦うか、それとも自分はよりよい環境に移って幸せになるかのどちらか、ということになる。後者だと、長期的には「ストライキ」と同様の効果をもつようになるが、そこまでは時間がかかる。例えば農村には嫁の来手がないと言われて久しいが、それでは農村のほうで女性が住みにくい状況が大幅に変わったかというとそこまでは至っておらず、「こない女性のほうが悪い、最近の女は楽をしたがって云々」みたいな論調がいまだにあるように(出典:発言小町など)思う。

他人を変えることなんてできない。まして、巨大な日本という国のエスタブリッシュメントの人々を変えることは不可能に近い。一人でも戦う力のある人や、みんなをまとめて戦うことができる人はともかく、そうでない人はやっぱり「逃げる」のがいいように思う。逃げるにもいろいろあって、別に海外脱出までしなくても、国内でも「よりよい環境」にみんながどんどん移れば、そちらにだんだん力が集まっていくはずだ。それもせずに愚痴ばかり言っているのは、ミクロ的にもマクロ的にも最悪の選択肢。転んで「いたいよー」と泣いても、ママが助けに行ってやるのは、小学校ぐらいまでかな、私的には。

<参考記事>
勉強しか取り柄がなかった私から。「逃げよ。」 - Tech Mom from Silicon Valley