デジタルがもたらした夢の時代の終焉

先週金曜日から土曜日にかけ、いろんな人にいろんなことをしゃべった。一貫したテーマできちんと整合性があるようにまとめる頭の体力が全くなかったので、そういうフォーマットは助かったのだが、少し体力が回復し、また梅田さんの講義録を読んで、あの渡辺千賀ちゃんとの「漫才」の中ではまとまった形でいえなかった最近の考えを記しておく気になった。最後の懇親会で数人の方には話した内容だ。

私が深く関わっている通信の分野では、80〜90年代というのはとても特殊な時代だった。光ファイバー、DWDM、携帯電話、デジタル携帯電話と、次々と画期的な技術が登場し、いずれもインフラ装置を導入すれば、数倍、100倍、1000倍といった単位で容量が増え、通話あたり・顧客あたりのコストは激減する。通信というのは航空会社と同じで、設備にかかる固定費が大きいので、そこにどれだけのお客さんを詰め込めるかが勝負の分かれ目。幹線光ファイバーの容量が100倍になるということは、時分割多重で100倍のお客さんを詰め込めるということと同義だし、携帯がアナログからデジタルになれば、一本の無線塔で3〜6倍のお客さんを詰め込める。しかも、こうしてがんがん詰め込んでもむしろ通信の品質は上がるし、多様なサービスが安価に可能になるので、お客さんはハッピー。投資すればするほど、ランニングコストは下がるので、機器への投資はどんどん進む、だから機器メーカーもウハウハ。大きな意味での「通信のデジタル化」とは、従来の使い方で回ってきた仕組みを壊すことなく、そのシステム全体のコストを下げ、マージンを上げ、顧客も含めたみんながハッピーになる、幸せな夢のような時代だったのだ。日経コミュニケーションの1月のコラムに書いた記事の「三方一両得」とは、そういう意味だ。(ここでは字数が足りなくてはしょってしまったので、やや意味不明だが。)
通信業界の時代の波と不況,カナダ発「夢の時代」の終焉 | 日経 xTECH(クロステック)

VHSからDVDになったときも同じ。DVDの製造コストはVHSよりも圧倒的に安く、流通コストは下がり、小売店は同じ面積により多くのタイトルを並べることができ、ユーザーにとっては品質が上がり、映画会社も少なくとも損はしない。コンテンツ制作も製造も販売も、何もシステムを変えることなく、全体のコストが下がってマージンが上がり、しかもお客さんはハッピーになった。

しかし、通信では幹線網技術の容量増大はペースが落ちてきた。容量を倍にするには、単純に倍のお金がかかる状況にそのうちなるかもしれない。現在焦点のブロードバンドでは、多額の投資をして回線速度を5倍にあげても、お客さん一軒あたりのコストは下がらず、かといってお客さんが5倍の料金を払うワケではない。携帯電話も、2Gデジタルから3Gへの移行がもたついたのは同じ理由。3Gになっても容量はほとんど増えなかった。ブロードバンド・アクセス回線や携帯のデータ速度が速くなるのは、いわば「コンコルド」を飛ばすのと同じで、たくさんお客を乗せられる「ジャンボジェット」は儲かるけれど、「コンコルド」は儲からないのだ。

DVDからブルーレイへの移行がもたつくのも同じ理由。流通経路のコストはDVDと比べて全く同じだし、ディスクや機器メーカーの製造コストは上がる。お客さんの品質は上がるけれど、全体のコストは安くならないから、価格を高くするしかない、だからなかなか買い換えない。そしてさらに、ネット配信など、得するのはユーザーだけで、従来の仕組みに関わる人々はほとんど不利益をこうむるので、反対する。そういうときには、グーグルのような「破壊者」や、アップルのような「調整者」が現れて、徐々には進むのだけれど、DVDの時のように、みんなが諸手を挙げてどんどん進めるわけではないから、ゆっくりしか進まない。

梅田さんのいう「ITを押し上げた時代の力」の一つの要因は、こうした「幸せなデジタル時代」に生み出された、膨大なマージンが原資だったんじゃないか。そして、今はどうも、その蓄積を食い尽くしてしまった状態なんじゃないか、と思っている。

だから、この先、IT分野での時代の変化はもしかしたらスローダウンするかも、とも思う。そのつもりでかからないと、いけないんじゃないか、と思う。少なくとも、通信の世界ではそうだとかなり思っている。他の分野ではもしかしたら、私が知らないだけかもしれないが。

そういう時代にどうするか、という話は、「漫才」の中でもお話したが、ここではまた別の機会に。

やっぱり、だからさー、私は「芸人型」コンサルタントより、「蛸壺型」のほうが性に合っているのだ。クラウザーさん状態の私。