文系日本人の「外向き国際化」の難しさ

先日、お声をかけていただいて、SF地区の一橋大学OB会(如水会)の集まりに出席した。途中中断した時期はあるものの、SF支部が最初に設立されたのはなんと1908年という、文字通り100年の歴史を誇っているそうだ。そもそも外国との取引のできる人材を育てるという目的で作られ、今でも「Captains of Industry」がキャッチフレーズというこの大学の面目躍如、ではあるのだが、改めて複雑な気持ちにもなった。

シリコンバレーに引っ越してから10年経つけれど、ここで一橋のOBに会うことはこれまで稀だった。ニューヨークでは、金融・商社などの人がたくさんいたが、私のつきあいの深い、通信・携帯・IT・ウェブ・コンテンツといった業界で、アメリカで仕事をしている人はあまり多くない。例えばJTPAの仲間のように、ここに根を下ろして、グーグルやオラクルやアップルで働いてます、という人には会ったことがなく、また先日の集まりに来ていた方々は、日本の銀行や伝統的産業のメーカーの方がほとんどだった。日本の家電メーカーはサンノゼにいっぱいあって、そこには同窓生がいるが、これは私の定義で言えば「伝統的メーカー」の一部だ。

一橋大学は、商・経・法・社という、社会科学系=文系だけしかない大学だから、なのだろう。

技術者やプログラマーの日本人が、日本と関係なく、アメリカでメインストリームのキャリアを築こうと思えば、特にアジア人差別のない北カリフォルニアでは、ウデ次第ではいくらでも可能だ。でも、文系人間が、日本と関係のない、営業や経理や広報といった部門で頭角を現すのは並大抵のことではない。日本企業か、アメリカ企業の日本相手の営業以外では、ほとんど仕事の口がないのが現実だ。*1

自分で長年苦労してきたから、よくわかる。私は、10年以上前にベンチャー企業で日本と全く関係のない営業(事業開発)をやろうとして、非常に苦労した挙句、ろくな成果を挙げることができなかった。独立して「業界専門アナリスト・コンサルタント」として携帯電話産業をウロウロしても、直接日本と関係のある人々以外には、ほとんど興味を持ってもらえなかった。独立後10年たって、ようやく最近、話し相手になってくれる仲間が少しずつできてきた。それでも、まだまだだ。

私自身の能力・努力不足をずっと恥じてきたが、身の回りで、文系日本人でアメリカの企業や産業に溶け込んでいる人が、理系日本人と比べて圧倒的に少ないことを見ても、どうもやはり、これはそもそも難しいことなんじゃないか、と思うようになってきた。

私も含め、文系日本人で海外と関わりのある仕事をやっている人というのは、水村美苗「日本語が亡びるとき」の用語を使うと、「外国の考え方や技術や制度を日本語に翻訳すること」を中心として、「日本語世界と外の世界の仲介」という役割を主に担ってきたわけで、自らが「読まれるべき言葉」の連鎖にはいっているわけではない。これは「外から中へ」の国際化であって、「中から外へ」の外向き国際化ではない。例えば、ウォールストリート・ジャーナルのYukari Iwataniさんのように、アメリカでずっと育って、英語も日本語もほぼ完璧なバイリンガルで、英語で一流紙レベルの記事が書ける、ぐらいの人はそういない。

JTPAの理念(追記→じゃなくて、もしかして期待される効果の一つ、程度かな)である、「この地に日本人をたくさん連れてきたら、そのうち一部が日本に帰って、日本を変えるかも」という話も、そういうわけで理系人間に関しては十分ありえる話だが、文系の人には、まず最初の就職口がない、というのが正直なところだ。仕方ないので日本企業に就職することになってしまうが、そこから「アメリカ企業や産業のメインストリーム」に入り込むためには、さらにまだいくつものステップが必要になる。

さらに言えば、シリコンバレーとネットを介してかなり「気分と人脈のつながっている」技術ベンチャーは、日本でも引き続き立ち上がるけれど、それを大きく育てる過程で必要となる経営・営業系の人材は、なかなか気分と人脈がつながらない。一橋出身のIT分野のアントレプレナーとしては、楽天の三木谷さんが最も有名だが、楽天もどちらかというと「小売業」の発展系であって、バリバリの技術ベンチャーではない。わが大学出身者のように、文系で経営系の知識やスキルを持つ人々も、シリコンバレーと人や気分がつながって、アメリカのメインストリームで仕事の経験を積んだり、その後日本で技術ベンチャーに参加したり、という流れがあればいいのに、と思うのだが、どうもうまくいかない。*2

・・・という「課題」に最近ぶち当たっているのだが、解決策は見えない。考え中なので、ご意見歓迎します。

*1:これは、必ずしも日本だけでなく、アジア系一般に言えること。そのため、アジア系米国人は、子供に理数系に進むよう、強力にプッシュすることが多い。

*2:私自身、自分でそのようにやってみたいと一時はずいぶん思ったが、家族の制約から、日本に帰ることはあきらめて、別の道を模索し続けている。