「学校最適」の問題

長男Sは、来月日本語補習校(小学校)を卒業するので、保護者有志が卒業文集を作成中である。親だけでなく6年生の間でも、文集委員がいて、企画を立てたり、表紙の絵を描いたり、いろいろ頑張ってやっている。

そういうとき活躍するのは、器用な女の子である。いや、もちろん男女でもいろいろあるが、おおまかな傾向として、である。アメリカでも、「boys problem」とよばれ、席に座ってじっと先生の話を聞いたり、言われた課題をこなしたり、ノートをきちんととったり、器用に模造紙に絵を描いたり、といった「伝統的」な学校の活動は、どちらかというと女の子のほうが得意で、落ちこぼれは男の子に多い、という傾向は実際に多いようだ。

今回の文集作成作業でも、アンケートをとって集計したり、それを挿絵を入れてきれいにページを作ったり・・・といった、学校で「visible(見える)」な作業はほとんど女の子がやった。我が家のSは、作文も苦手、字は「暗号」かと思うぐらいの悪筆で、学校の授業には興味なく、得意なのはコンピューターとゲーム・・だから、お手上げである。全員が書いた作文も、数行パソコンで書いてプリントアウトして貼りつけることで、ようやく作成した。

ただ今回の文集では、スナップ写真集は印刷せずにDVDに入れる(カラープリンターのトナーが高い、という理由で・・)ことにした。「女の子」的な作業が苦手で逃げ回っていた私が、気がついたらその担当になってしまった。とにかく手を抜くことばかり考えている私は、友人に聞きまわって、「ただボコボコと写真ファイルを放り込むだけで、自動的にカッコいいフォトムービーにしてくれるソフト」というのを入手した。

そして、そのDVD製作では、Sくんは大活躍した。ソフトに写真を取り込み、場面ごとに合った音楽や画面効果をメニューから選ぶ、という作業はほとんど彼にやってもらった。全員分のDVDをコピー・製作するのは、彼がいつもゲームに使っている高速PCであっという間に仕上げた。

文集委員の児童たちに負けないぐらい、彼も貢献した、と私は思っている。でも、その作業は家のパソコンで黙々とやるだけで、学校ではvisibleでない。親の私が宣伝にあい勤めない限り、他の子たちには全く評価されないのである。

世の中的には、両方のタイプの人間がバランスよくいなければいけないのに、なんだか不公平な気がしてしまう。

親の贔屓目と怒られるかもしれないが、きれいな絵を書いたり歌を歌ったりできる能力と、パソコンやソフトを駆使できる能力とを比べたら、現実社会で「役に立つ」のは、圧倒的に後者なんじゃないだろうか。それなのに、前者は学校で「美術」や「音楽」のいい成績という形に反映できる。他にも、日本はアメリカよりも科目が多いから、「習字が上手」とか「漢文が得意」とか、「ゆかたを上手に縫える」(最近は家庭科でゆかたなんてやらないのかな?)とか、そういういろんな能力も学校でほめらるし、少しは成績の役にもたつ。しかし、後者は学校で何の評価もされない。

なんたることだぁ!!(怒)

学校というところは、職業訓練校でもない限り、すべてが「現実社会に役に立つ」ことに直結するとは限らないのはわかっている。だから、美術や音楽の能力が評価されることはよい。「国語」で俳句や詩を作らされるのも無駄とは言うまい。しかし、だ。「国語」「算数」などが比較的重要とされているのも、このあといろいろな学問や職業において、すべての基礎になるスキルだから、であるわけで、その意味では「パソコンの駆使能力」というのは、今の社会では圧倒的なほど、基礎となるべき重要なスキルだと思うのだ。

Sに関しては、小さい頃、学習困難で苦労していた頃に、「レゴ」を作るクリエイティビティだけはすごかったのだが、これを学校で発揮して先生や友達に評価される場が全くないのがかわいそうだとずっと思っていた。今は学校で、コンピューターラボもあるし、パソコンの使い方を教わる授業はあるが、それは「成績表」には全く反映されない。我が学区は世界のITの中心地、シリコンバレーにあって、子供たちの親の勤め先はオラクルやグーグルやインテルや・・・といった土地柄なのにもかかわらず、なのだ。

学校のカリキュラムや教師の能力が、世の中の動きについていけない、という問題は洋の東西を問わない。いや、もしかしたらインドでは違うかもしれない。とにかく本当に社会で役に立つスキルである「パソコン」や「ネット」を使いこなす能力よりも、「字がきれい」だったり「家庭科が上手」な子のほうが学校では「トクになる」という現象は、当の子供たちにとっても不幸だし、先生や親もどうしても、子供が「学校最適」になるように、その方向にリソースを割くように子供にプッシュすることになりがちで、それは実は「困った」ことではないだろうか。

わが学区の場合、現場の先生方はわかっていて、Sのことを理解して、それに応じた指導をしてくださるのが、まだ救いではある。

しかし、某国では、「俺はパソコンを使わない、原稿用紙に書く」というのを誇りに思っている方々が、カリキュラムを作っているような気がするので、ちょっとその国の子供たちが心配だ・・