「パプリカ」の今敏監督がいいこと言った件について

ちょっと前になるが、昨年日本で最も評価の高かった劇場用アニメ映画、「パプリカ」の今敏監督と、「時をかける少女」の細田守監督が、たまたま相次いでアメリカに来られた。いつも映画関係の記事素材を提供してくださるハリウッドの映画ライター、はせがわいずみさんが、お二方にインタビューしたものを、私が現在、慶応大学デジタル・メディア・コンテンツ機構の英語ニュースレター記事に仕立て直しているところだ。

はせがわさんのインタビューは、いつも面白い発言を引き出していて、記事を書きたい意欲がわく。今回も英語だけではもったいなくて、日本語でも書きたい良いネタがいろいろあるのだが、日本語記事ははせがわさんご自身がどこかに書いておられるだろうし、彼女は仕事でやっているので、このような個人のブログに書くわけには本当はいかない。でも、彼女の記事はだいたい映画専門誌なので、ギーク世界の皆様の目にはあまり触れないだろう、ということで、フェア・ユースの引用という範囲で、どうしても言いたい件をとりあえず一つご紹介したい。

「パプリカ」のストーリーは、人の夢の中にはいっていける機械が盗まれ、悪用されるのに対し、主人公の女性医師が「パプリカ」というスーパー・ヒロインになって戦う、というもの。カラフルでクールな映像の「不思議感」、スカッとした気分の後味がよくて面白い。5月25日から、アメリカで限定公開されている。

その話の中で、夢だけでなく、パソコンの中での「バーチャル・デート」「バーチャル・セラピー」などの場面も登場する。これに関して「バーチャル世界だけでしかコミュニケーションのできない現代人を皮肉ったものでは?」という質問に対して、今監督はこんなふうに答えている。

別に皮肉のつもりはありません。人間同士が直接触れ合うことが理想的なコミュニケーションだという前提そのものも疑ったほうがいいと思いませんか?そうした前提が世の中の基本になっているとは思いますが、実際問題として現代ではコンピューターが介在しないコミュニケーションは考えにくいでしょう。顔をつき合わせて付き合う関係が本物で、ネットを介する関係は本物ではない、と思いたい向きも理解はしますが、しかし、コミュニケーションのあり方は時代と共に変化するものですから、そこに本物とそうでないものといった境界線を引くのは『昔は良かった』式の繰言に過ぎないように思います。

(中略)

ネットの普及に伴って、青少年への悪影響や無責任な誹謗中傷、犯罪に利用されるなど、ネットの不健全な面ばかりが取り上げられますが、それらは現実といわれる社会と大差ないものだと思っています。そもそもバーチャルとか現実といった二元論そのものを私は懐疑していますし、いい加減「バーチャル込みの現実」が前提にされるべきではないかと思っています。

出典: はせがわいずみ Hollywood Newswire


いいこと言う!!全く、すべて同感だ。映画も好きだったけれど、今監督も大好きになってしまった。

他にも、面白い話がたくさんある。まだ記事は書きかけで、ネットにアップされるまでちょっと間があるが、掲載されたらこの場でお知らせするので、是非読んで欲しい。