「産む性」について一言・・・

このところ、脊髄反射エントリーばかりになってしまっている。この次には、マジメに日本の携帯電話業界の大騒ぎについて書くつもりなのだが、なかなか頭の余裕がないので、またまた脊髄反射をひとつ・・

当地では、サンフランシスコのイケメン市長、ガビン・ニューサムの不倫→アルコール依存で毎日大騒ぎだし、日本では「産む機械」発言とそのあとの一連の柳沢厚相の話が続き、毎朝新聞とネット見て大笑いで一日が始まり、実にありがたい。

柳沢発言自体はやや揚げ足取りみたいなものだろうけれど、ある程度以上の年代の男性が、根底にああいった思想を持っているだろうことは想像に難くない。まぁ、仕方ないだろう。もう50年とか、そういう思想で生きてきちゃったんだから・・これからを担うもっと若い層の方々は違う考えを持っているだろうから、あまり心配はしていない。

ただ、一言言わせてもらえば、女性というのが生物学的に「産む性」というのが定義であり、それはそのとおりなのだが、では男性というのは何か?「仕事をする性」でも「創造的活動をする性」でもない。同じレベルでいえば、「タネをまく性」であるに過ぎない。先日日本に行ったときに、偶然テレビをつけたらなんたら討論会で少子化の話をやっていて、相も変わらず「産む性」のほうにどうやって産ませるか、の話ばかりで、「タネをまく性」のほうにどうやってその仕事をきちんとやってもらうか、という話をしていたのは一人だけだった。

なんで?これはフェアじゃないと思うのだ。日本の現在の労働環境では、男性がその役割を果たせないんじゃないの?男性はタネをまいてそれを育てる役割が大変だから、「仕事」に逃げちゃってるんじゃないの?(自分もすぐ逃げてしまうので、そのへんのキモチはわかるが・・)その話はどうなってしまっているの?・・・と、いつも思う。

それともう一つ。産む役割の人にどんどん産んでほしいんだったら、昔と違うんだから、インセンティブがないと難しいだろう。お金がかかるから子供を育てられない、という、よくアンケートなどにありがちな「建前」の話は、「子供を生むことが女性にとっていかなるインセンティブにもならない」、ということのわかりやすい表現に過ぎない、と思うのだ。子供を育てながら仕事を続けることももちろん大変だけれど、それもさることながら、子供をもつことは、世の中的に「子持ち」「おばさん」「ばばあ」と切り捨てられる世界へと閉じ込められることが背景にあるような気がする。歳をとっても、仕事でそれなりに業績をあげればその面でリスペクトされるが、子育てに専念した女性はそれも望めない。一方、日本の多くの男性がたとマスコミは、子供を産んだことのない若い女性ばかりを大切にする傾向がある。

前にもこのブログで書いたように思うが、フランス語では既婚女性を指す「マダム」の呼称のほうが、「マドモアゼル」よりも地位が高いので、未婚か既婚かわからなかったら「マダム」と呼ぶ、と習った覚えがある。まー、フランスも最近まで少子化がひどかったようだから、もちろんそれだけの話ではないのだけれど、考え方として、子供を育てている最中の女性や、育て終わった女性が、社会のいろいろな場所でもっと尊敬されるようにならないものかと思う。

人間、一人で全部のことをできるワケはない。男性でも女性でも、子供を産み育てるためにはものすごいエネルギーを使うので、それをせずに別の面で社会に貢献するという役割の人もある。それはそれ、これはこれ。しかし、子供を産み育てる役割の人が足りなくて困る、というなら、その大切な役割を果たした彼女らを大切にしましょう、リスペクトしましょう、という話もアリじゃないのかな・・・・?つまり、産まないヤツを非難するんじゃなくて、産んだヤツをほめる、ポジティブ・フィードバック、というやつ。

ちなみに、今住んでいるアメリカの子育て雑感については下記を参照。「リスペクトする」とは、なんとか手当てだのというお金をやる、という話とは違う、というのが、わかっていただけると思う。

アメリカ人の育て方3 - 親に甘〜いアメリカは高出生率 - Tech Mom from Silicon Valley

<2/7追記>

はてブコメントに、「お金がないから・・」というのが切実だ、というのもいただきました。確かに、個人レベルではそう感じている方も多いと思いますが、マクロ的に見たら、昔の子供の多かった頃の日本のほうが間違いなく貧乏だったし、今でも少子化は先進国特有の現象です。つまり、絶対額として子供を育てるお金がない、というより、「子供を育てることで得られる幸福感や生活の安定などすべてをひっくるめたプラス」よりも、「物理的にかかるお金や、そのために失う自由時間、仕事で成功する機会、社会的な尊敬などすべてをひっくるめたマイナス」のほうが今は大きい、ということだと思います。(昔の、「子供を育てることで得られた幸福感」というのが、「お家の断絶」だの「石女として追放される」などといった社会的制裁から逃れるという、ネガティブなものも含めて、ということですが。)このプラスとマイナスの要素の中で、政府や多くの人の意識で操作可能なものとして、「お金」と「仕事の機会喪失」というものがよく論じられますが、「社会的尊敬」というのは、上記二つのように社会的にガッチリ固まった構造を動かす必要もなく、イメージや人の心だけで操作可能なのにもかかわらず、あまり論じられていないのはもったいない、というのが私の言いたいことでした。