孤高なるマイノリティ、アジア人、日本人、そしてパラダイス鎖国

昨日、また次なるネタの伏線を張っておいたのだが、その話でうまく上の句となるエントリーを書いてくださった方がおられる。

イチローからは『もっとも遠い』日本国民たち : " Moon Blue "

とても共感する内容だが、一つ付け加えたい。

昨日のエントリーで、アジア人はアメリカにおいて「独特のマイノリティ」と書いた。ヒスパニック系や黒人と一緒の立場で頑張れるワケではないのだ。

アジア系の現実の壁とイチローのポジショニング - Tech Mom from Silicon Valley

昨年のアメリカの国勢調査結果を数ヶ月前に新聞で読んで驚いた。人種別に見た平均所得で比較すると、アジア人は白人よりも高い。それも確か15%ぐらいだったと思うが、はっきり差が出るほどの違いがあるのだ。

マイノリティといえば、人口比率が少ないだけでなく、社会的に不利な立場に置かれ、そのせいで所得も低いのが相場だ。黒人やヒスパニックはもちろん、白人よりも低い。だから、低い立場でも差別しちゃいけないとか、平等になるよう引き上げてあげようとか、ポリシーの話は単純である。で、それは建前として、「身分」の違いのない現代アメリカでは、「持っているお金」で差をつけ、高い家ばかりの地域には住めないとか、高い学費の学校には行けないとか、高い会費のスポーツクラブには行けないとか、そういうことで、お金持ち=マジョリティは、自分たちだけの安全地帯を作っているワケだ。

しかし、マイノリティでも、アジア人は勉強ができる。ものすごく、勉強する。それで、所得が高くなってしまった。いまや、全米屈指の高得点を誇る、クパティーノ市の公立高校は、アジア人ばかりとなってしまい、白人がついていけなくて引越し去ってしまう。(Wall Street Journalの特集記事より)お金で線を引いた「お金持ちクラブ」は、アジア人なら平気で入っていくことができるようになってしまった。ある意味で、ユダヤ系と似たような立場ということができる。(ユダヤ系は人種ではないので、国勢調査では数字が出ない。)つまり、白人にとって、アジア人というマイノリティは、「あんたたち、お金なくて大変ね、がんばってね」という優越感を持てる相手ではないのだ。一方、アジア人自身も、黒人・ヒスパニックの典型的マイノリティとは、同士として一緒に頑張る感じではない。

お金持ちアジア人の多いシリコンバレーにいると、それが当たり前で、特に違和感もなく、普通にお友達をつくることができるが、ここを一歩離れると、やはりアジア人は数が少なく、見かけも生活習慣も違う、異質な人々と見られるのが現実。それでいて、優越感を持てない相手ということで、一種の屈折した、「差別」ともいえない、「異質感の壁」があるのだ。(だから、昨日書いた「なんとなく、安心できるポジション」という話になる。)

さらに、アジア系の中でも、日本人は他と違う。中国系や韓国系、あるいはベトナム系などはもっと顕著に、自国よりもよい生活を求めて、あるいは自国の大学や職場では得られない名声を求めて、この国にやってくる。自国に帰ることは、後退を意味する。だから、続々と渡米し、またアメリカでお互いに助け合いながら根を下ろそうとする。しかし、日本人は、今の日系人がその昔移住してきた頃は同じ事情だったが、今では日本に帰ることが後退ではない。むしろ、「本社での栄転」という、前進だったりする。生活水準は、日米では一長一短で、決定的な差はなく、またアメリカの大学よりも日本の一流大学のほうが、日本ではよほど重みがある。だから、アメリカに根を下ろしている日本人というのは、そういったシンプルな動機ではなく、(あまり好きな言葉ではないが、くくるとするとこれしか思いつかない)「自己実現」を求めている(または、逆に日本で落ちこぼれて・・というケースもかなりあるが)と言えると思う。それなりに助け合うが、数も少ないし、職場も立場もいろいろ散らばっているし、仕方なく一生懸命一人で頑張っている人が多い。

そして、そういう在外日本人に対して、国内に住む人は一般的に冷ややかである。(というか、マスコミが、といったほうが正確かも・・)

Don't get me started on this.. この話を書くと長くなるのでこれでやめておこうと思ったが、あ〜止まらない・・・イチローほどのセレブですら、日本に住む人にとっては「他人事」なのである。私がミーハー魂をささげる真田広之についても、同じ怒りを感じている。何かいい話があるときだけ、持ち上げるに過ぎない。(野茂やイチローが渡米したとき、冷ややかな論調が多かったように記憶している。)

アメリカに住む日本人の孤独は、他の誰とも違う。アメリカにおける白人マジョリティからも、他のアジア人からも、そして祖国日本に住む日本人からも、離れてしまった孤独なのである。海外で頑張る日本人とは、わざわざそういう苦労を好き好んでしょいこんだ、変わり者でしかないのだ。

だから、パラダイス鎖国して、じっと日本にいるほうが、当たり前という結論になる。でも、ニッポンのためには、それではイケナイ、と思うのだ。イチローがいなかったら、WBCではどうなっていただろう?世界の中で日本がリスペクトされるようになるには、そういう変わり者がもっといないといけないと思う。

なお、下記の「パラダイス鎖国」の記事も参考に読んでほしい。

パラダイス的新鎖国時代到来? - いいのかいけないのか?(その1) - Tech Mom from Silicon Valley