「国家の品格」是々非々(その1) −−− パラダイス鎖国編

例年のように、しばらく日本にいた。しっかりブログをアップデートせよ、と某所からプレッシャーをいただいたのだが、子供中心の休暇日本滞在中は頭が全く働かず、やはりできなかった。申し訳ない。

さて、日本にいる間に、藤原正彦著「国家の品格」を読んだ。だいぶ以前に、「パラダイス鎖国を勧める本だよ」と聞いて、きっと読んだらむかっ腹がたつだろうと思い、躊躇していたのだが、子供の本を買いに本屋に行ったら、未だにベストセラーの第一位だったのにちょっと驚き、読んでみた。

まぁ、ほぼ思っていたような内容だが、個別の話にはところどころ共感できるところもある。その意味では、思ったほどの「パラダイス鎖国」ではなかった。ただ、要するに「アンチ・アメリカ+アンチ・グローバリゼーション」なのである。そして、こうした本が、長期にわたってベストセラーになるほど、この同盟国日本ですら、アメリカは嫌われちゃっているのか・・・と、長嘆息してしまった。

もうだいぶ前に出た本でもあり、すでにいろいろ語りつくされているだろうから、やや間が悪いのだが、私がこれまでブログで書いてきたことに関連するいくつかの点について、ちょっと書き留めておこうと思う。

本日は、「パラダイス鎖国」について。「パラダイス鎖国」については、ちょうど一年前、やはり日本でしばらく休暇を過ごしてアメリカに戻ったときに、日本で感じたことを書いたこのエントリーで最初に書いた。日本は、国内市場が十分大きくなり、住みやすくなりすぎて、海外のことに興味を持つ必要のない、「パラダイス的鎖国状態」になった、と感じたのである。

パラダイス的新鎖国時代到来? - いいのかいけないのか?(その1) - Tech Mom from Silicon Valley

国家の品格」の中では、必ずしもパラダイス鎖国を勧めているわけではないと思う。日本独自のよさを生かして、国際社会の中で独自の地位を確立せよ、といった主張をしていると思える。それはそれでいい。ただ、とにかく、著者はアメリカが嫌いなのである。「アメリカの真似ばかりしていないで・・」というのが必ず枕詞につく。何にせよ、アメリカはことごとくダメな例に引用され、その割にイギリスはやたら良い例に引用されている。そして、英語など勉強するな、イギリス人が自国の伝統文化を尊ぶように日本古来の文化を勉強せよ、と言っていると思う。

さて、比較的均一な社会である日本でも、年齢や性別や居住地域により、気質や考え方はいろいろ違う。物理的に広い上に、国家の成り立ちからして、心の底から多様性を推奨するアメリカでは、その中での多様性が日本よりもさらに大きい。著者はアメリカにしばらく住んでおられたということで、知らずに批判しているわけではないのだが、著者が実感として知っていたり、日本で報道を通じて知っていたりするアメリカがすべてではない。飛行機で5時間かかり、時差が3時間あるカリフォルニアに引っ越してみて、ニューヨークとはずいぶん違うと思ったし、その昔、ものすごい田舎に住んだこともあるが、これもまた、全然違う。

藤原氏アメリカを嫌いなのは別にそれでよい。批判されても仕方ない部分が、アメリカに多くあるし、好き嫌いは人それぞれである。ただ、アメリカはいやなところばかり、と思われるのもいやだな、と思う。アメリカでは、多様性を尊重し、また伝統がない分、過去の前例にとらわれずクリエイティブに問題を解決することをためらわない、などといった、多くのよい部分がある、こういったところをきちんと評価する論も、日本の中にちゃんとないと困るな、と思う。(その意味で、この本と、梅田さんの「ウェブ進化論」がほぼ同時期にベストセラーを競ったというのは、興味深い。)

一方、藤原氏は武士道精神とか惻隠の情とか、日本人の繊細さや情の部分を称揚されている。これもよくある話で、それはそれでよいし、口当たりのよい論であるとは思う。しかし、この本で言われているように、「昔日本を訪れた外国人は、”皆”日本のこういうよい部分をべたほめしている」と頭から信じて、多くの人が夜郎自大国粋主義に陥ったらいやだな、と思う。たまたま、日本をほめた本ばかりが日本では知られているが、実際にはそれよりはるかに多く、「日本人は野蛮で遅れている」とか、こきおろしている文献が、世界全体では多かったりするかもしれない。私は専門家ではないのでその比率はわからないが、とりあえず斜めに見る。でも、そういう見方をしない人も、多いのではないかと思う。海外と実感で接していない人は、ベストセラー本の著者の言うことをまるごと信じてしまうかもしれない。

いずれも、「黒か白か」でなく、本当のところはその中間にあるし、また見方や切り取り方によってその中間位置は変わる。バランスの問題なのである。

世界の中の日本のポジションについて、すべて正確に把握することは一人の人には不可能だ。また、多くの日本人は海外や外国人とそれほど接する機会もなく、すべての日本人に「パラダイス鎖国」をやめて、日本の世界的地位について考えろ、というのも無理だと思う。ただ、だからこそ、パラダイス鎖国していない、異なるいろいろなバランス度で日本のことを理解している人が、たくさん必要なのだと思う。

藤原氏は、英語など勉強する必要はない、それよりも日本の文化や文学を学べ、とおっしゃっている。日本のことをきちんと学ぶのはもちろん大切だが、私から見ると、日本で脱パラダイス鎖国な人の数は、まだまだ足りない。語学が好きで自分から勉強し、それを仕事にする私のような人間はいつの時代にもいるが、今必要とされているのは、エンジニアや科学者、政治家や官僚、経営者や文化人といった、「語学専門」でない人が脱パラダイス鎖国することであると思う。そのためには、基礎知識としてある程度の英語を学ばせ、海外に出ることに対して、恐怖や拒否反応を取り除き、興味や意欲を持つことに成功した人の「母数」を増やすことは、意味のあることだと思う。

それをどの時期でどうやるか(小学校でやらせるか、云々)、の方法論はまた別。ただ、基本的な姿勢として、「英語など勉強する必要はない」とは私は思わない。そして、脱パラダイス鎖国な人の母数は、もっと増えるべきだと思う。