ニューオーリンズの哀しみと惨状

展示会時の目抜き通り。今はここも冠水


アメリカの地方都市の中で、ニューオーリンズは私にとって、最も縁のある都市だ。携帯電話の展示会がよく開催されるので、2〜3年に一回は行っている。今年の3月にも訪れ、街を歩いたり食事を楽しんだりした。そのニューオーリンズが、ハリケーンのせいで、今やひどい状況になっているという。

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20050317/1111085662


私のニューオーリンズの印象は、必ずしもいいものではない。ホテルが足りないので、展示会期間中は特に、宿泊費が高い割りに、遠くてボロいし、うっかり半年前に予約し忘れれば、空港の近くなどトンデモナイところに泊まる羽目になる。

街全体が、アメリカの中都市には珍しく、昔風の退廃の雰囲気が漂っている。旧市街であるフレンチ・クオーター、特にその中心の通りであるバーボンストリートは、道路の下水口から排泄物の匂いがする。街角に娼婦が立ち、街路では観光客の女性が胸をはだけると、店の二階のベランダから見ている男達から安物のビーズの首飾りが投げられる。白人の身なりのいいおっさんが、酒を飲みながら道を歩いている。それも、すごい人数が歩いている。展示会の期間中は特に、毎晩歌舞伎町を上回るほどの混雑だ。展示会で某電話会社の担当者とミーティングをしたら、「おー、昨夜はハリケーン(!地元名物のカクテル)を飲み過ぎた」と称して、酒臭かった。まず、他のところではお目にかからない現象だ。まるで、ピューリタンな他のところで抑圧されているアメリカ人男性の欲望が、「ここならオッケー」と言われて思いっきり発散しているようだ。そして、街全体が、「それ」を売り物にしている。

ビジネス街には高層ビルもあるが、一本裏の道にはいると、一気にうらぶれる。展示会が開かれるコンベンション・センターがあるのは、港が盛んだった頃の倉庫街の一角で、今はモダンアート・ギャラリーやショッピングモールやレストランもあるが、全体的にはやはりうらぶれている。風でゴミが舞い上がっていた様子が目に浮かぶ。フレンチクオーターの一番端にある定宿ホテルの窓から見えるのは、繁華街の外側に延々とどこまでも広がる、黒ずんだ低所得住宅や旧式の煙突の古びて貧しい町並みだ。例えばニューヨークでも、高級コンドミニアムオフィスビルと貧民街のコントラストはあるのだが、ニューオーリンズでは高級な部分がものすごく薄っぺらくて、その下に厚い人種差別時代の遺産と貧困の地層が重なっているような印象を受ける。

おっさんたちが騒げば騒ぐほど、なんだか、哀しくなってしまうのだ。

ハリケーンの被害自体は、アメリカでも毎年1回か2回はどこかであるので、まぁその一つだと思って流して見ていた。しかし、すでにハリケーンの去った今朝になって、被害のその後の様子を読み、「なんだか途上国のことを読んでいるようだ・・」とショックを受けた。そして、あのホテルの窓から見える、南米を思わせる途上国的な風景を思い出した。

あの、薄汚い街が、「ハリケーン」の泥水に呑まれてしまったのだ。何人死んだかもわからないが、千の位になるらしい。フットボール・スタジアムだけでなく、展示会のあった巨大なコンベンション・センターも避難所になって、10万人の避難民が押し寄せているという。避難所にいるのは、車がないために脱出もできなかった、貧困層の人たちだ。食料も水も不足して、衛生状態も悪く、略奪や暴行が頻発しているという。

そう、確かに、日本では、神戸地震の時、略奪行為もなく、皆で助け合ったと聞いている。確かに、ずいぶん違うのだ。この、アメリカの下腹部を一気に引き受けてしまったような、哀しい退廃の街では。

とりあえず赤十字に寄付をしようと思う。もしかしたら、街ですれ違った人や、タクシーの運ちゃんや、ホテルのおじさんが、困っているかもしれないから。

それにしても、きっと名物の「ハリケーン」は、これから先もう出されなくなるだろうな。今年、たくさん呑んでおいてよかった。いや、そんな呑気なことを言っている場合ではない。これから先、展示会をあの場所で開くことができるかどうかさえわからない。あの街は、果たして再建できるのだろうか。