パンドラが難関を突破!そして「アメリカ版電凸」の感想
ちょっと嬉しいニュースがあったので、書きとめておく。
最近ではiPhoneアプリでも随一の人気を誇るネットラジオ、Pandoraが、音楽ライセンス料をめぐる議会やRIAA(レコード会社の業界団体)やNAB(既存放送局の業界団体)との泥仕合を戦い抜き、「ライセンス料倒産」という存亡の危機をなんとか免れた。
http://news.cnet.com/8301-1023_3-10052966-93.html?part=rss&subj=news&tag=2547-1_3-0-20
Pandoraは、もとはウェブベースの「音楽発見サービス」。創業は2000年というから、この世界では老舗である。YouTubeなどのWeb2.0系画期的サービスがまとまって出現した「特異期」2006年前半頃に話題になり始め、私はその頃から仕事中に聴くBGMとして愛用している。
アメリカでは、音楽のデジタル配信ライセンス料をめぐってすったもんだがずっと続いている。そもそも、音楽配信の商売では、下記の二つのライセンスをクリアする必要がある。
- 著作権(Copyrights):音楽を作った作曲家の権利=「曲」そのものの使用権
- 演奏権(Performance Rights):音楽を演奏するアーティストと、アーティストと契約して音楽を販売する権利を持つレコード会社の権利=曲を演奏して録音した「演奏作品」を利用する権利。日本では「著作隣接権」と呼ばれる
このうち、1.のほうはASCAPという民間団体(日本のJASRACにあたる)に申し出てお金を払えばいいだけなのだが、2.が問題。ネット業界で悪名高いDigital Millennium Copyright Act(DMCA)では、2.は法律で決めるということになり、それを運用するために、RIAAの息のかかったSoundExchangeという団体ができた。
地上波ラジオは1.しか払っていないのに、ネットラジオ(+そのほかいくつかのデジタル音楽配信サービス)では、1.だけでなく2.のほうも払うことが義務付けられ、その対象となるための細則(巻き戻しや曲の指定はできないとか、どの曲がいつ流れるかの予定はユーザーには知らせられないとか、なんやらかんやら・・・)がえらく細かいことまで、DMCAに規定されている。でも、逆にこのDMCAの規定に沿った方式でデジタル配信をするならば、「強制ライセンス」として自動的に演奏ライセンスが得られるので、Pandoraはこの仕組みに乗っかった、いわば「法の網の目」を利用したサービスだったわけだ。
Pandoraのサービスで「なんでこういう制約があるの?」と思う点は、すべてはこのDMCAの細則にあわせるために存在すると思ってよい。例えば、「好き」(親指を上げる)「嫌い」(親指を下げる)の指定は1時間あたり一定の制限数までしかできないとか、好きな曲を指定してもすぐにそれ自体は流れないとか、次にどの曲かは隠れていて見えないとか、すべてそうだ。
それと、(iPhoneアプリとして日本で使えるのかどうか、実は確認していないのだが、ご存知の方があったら教えてほしい)下記のようにアメリカとイギリス以外からの利用を制限していたのは、↑のような普遍的にライセンスを付与する仕組みがあるのがアメリカとイギリスだけだったから。(ん?今見ると、「アメリカだけ」という字が見つけられないのだけど、最近はそうでもないのかな・・・?)
Pandoraの海外配信中止とDigg炎上 - Tech Mom from Silicon Valley
ところが、このDMCAに基づいてSoundExchangeに払うライセンス料をべらぼうに引き上げる法律が2007年に施行されてしまった。*1ただ高くなるだけでなく、これを過去に遡って適用する、しかもこの先だんだん高くなっていく、というべらぼうな法律で、ネットラジオはまともにこれを払ったら、ライセンス料倒産をしてしまうことになった。Pandoraはこれに反対する団体の中心として活動を続けてきて、ついに、今回「この法律に定められた料率よりも低いライセンス料を、レコード・レーベルとネットラジオが個別に交渉して決めもよい」という「The Webcaster Settlement Act」なる法律が、下院を通過し、RIAAはこれに対する反対を取り下げたため、上院でも可決される見通しとなった。
実際の交渉はこれからということになるが、「いよいよパンドラももうおしまいか・・・」という危機はとりあえず脱した。ほっ・・・よかった。
で、この反対運動というのは、いわゆる草の根活動である。私はせいぜいネット署名したぐらいだけれど、パンドラは、「自分の選挙区選出の議員に、パンドラの言い分を支持する手紙を書いたり、メールしたり、電話したりしてほしい」と呼びかけていた。これは、子供の通う公立小学校のPTAが、州の教育予算カットに反対したときのやり方と全く同じで、まー、アメリカ的な民主主義の基本中の基本なのだろうな。送り先の議員の名前・電話番号・住所のリストが配られ、毎日お友達のお母さんたちが、定型レターを大量にコピーした紙をもち、学校の前でみんなにサインと自分の住所氏名を記入してもらい、まとめてわが選挙区の議員に送りつけていた光景を思い出した。
アメリカでは基本中の基本でも、日本人の私にはこの光景は衝撃だった。こういうのは、やったことがなかったし、こういうやり方は知らなかった。政治に関する活動って、どうやればいいのか、自分で選挙に出たり組合や市民団体などを通して活動する(またはそういうところの署名に協力するなど)以外、知らなかった。「普通の人」がこういうことをやってもいいんだ、と驚いたのだ。
この驚きは、「パラダイス鎖国」第三章の中で、「アメリカ人は、リアル世界での『クラスター化』活動をやるのに抵抗がないけれど、日本人はシャイだから、なかなかできない」と書いたくだりにも反映されている。
でも、日本でも最近では、こういうことが徐々に起こるようになっている。私の故郷で、海岸に大規模な商業施設を作ろうという市がいつの間にか決めた方針に対し、若いサーファーたちが反対運動をして署名を集め、つぶしたという話をだいぶ前に聞いた。*2昔でも、生命や生活がかかっているような重大なことなら、被害を受ける当事者たちが必死にそういうことをやっただろうが、それは往々にして「成田空港闘争」のような、思想・政治的な色の濃いものになりがちだった。しかし、今の若い人たちは、そうでなくても、普通の人でもこういうことができるのだな、と感心した。
ネット関連でいえば、毎日新聞のWaiwai問題における「電凸」がその典型だろう。ネット住民が政治に対して、(たとえ匿名であっても)リアル世界におけるよりもずっと積極的に意見を言っている様子を見ると、毎日のような民間企業だけでなく、リアル世界での電凸の矛先が議員に向くのは時間の問題のような気がする。それを、悪いことのように言ってはならないと思う。至極まっとうな民主主義の姿が、ようやく普通の人にも許されるようになってきただけ、と思うからだ。*3 そして願わくば、これが
「誰かを叩いて引きずりおろす」というネガティブな方向だけでなく、「何かを支持して新しいものを世に送り出す」というポジティブな方向でも、力を発揮するようになってほしいと思う。