2010年代に、「世界をよりよくすること」はできるのか

皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく(=お手柔らかにww)お願いします。

考えてみれば、2010年代に突入したのだ。前回10の位が変わった2000年は、Y2Kとかいろいろ大騒ぎだったのに比べると、今回は静かなものだ。

正月の日経新聞に「ITの進化が人々の幸福をもたらす」みたいな特集があって、タイトルだけでなんだか無理してるなー、と疲れてしまって、とても読む気にならなかった。企業のイメージビデオでもよくそういうのがあるが、「ああ、確かにこれは私の問題を解決してくれる、ありがたい」と思えることはほとんどなかったからだ。しかし・・・

1990年から2000年までの変化と、2000年から2010年までの変化を同じ10年で比べてみると、体感としては1990年代の変化のほうが凄かったと思う。なんせ、1990年には、ネットも携帯もまだ「ないに等しかった」のだ。一応両方とも、この世に存在していたけれど、特殊用途のニッチなもので、私はまだ使っていなかった。2000年には、まだグーグルはなかったけれど、YahooもAmazonもすでにあり、ネットバブルの真っ最中だったのだ。その後の10年は、もちろんGoogleだのYouTubeだのFacebookだの、いろいろ出てきたけれど、90年代ほどの、ゼロが一になる、というほどの大変化じゃなかったように思われる。それはもしかしたら、ただ単に私が年をとって感動できなくなっているだけなのかもしれないが。

90年代がいかに特別な時代だったか、ということは、以前にも書いた。
デジタルがもたらした夢の時代の終焉 - Tech Mom from Silicon Valley

これから先、2010年代はどうなんだろう、とぼんやり考えてみると、ひょっとしたら、目に見える「IT・ウェブそのもの」の進化はますますスローダウンするんじゃないだろうか。少なくとも、通信の世界から見ていると、「携帯電話」という商品そのものの魅力はすでにやや色褪せたというか、登場時ほどのインパクトはなくなっているし、動画やスマートフォンなどの分野でも、2005〜6年をピークに、その後は「改良版」が徐々に出てきているだけで、素人が見てもハッキリわかるようなインパクトのある製品やサービスというのは、現在の技術インフラ(チップとか通信速度とかコストとか)の制約の中では難しくなってるような気がする。

だから、通信の世界では、例えば携帯電話とか、テレビ電話とか、そういった「そのもの」の進化よりも、進化した技術をどうやって他の産業に応用して、問題を解決するのか、もっと大袈裟にシリコンバレー風に言えば「どうすれば世界をよりよくすることができるか」といった方向にエネルギーが向きだしているような気がしている。1月15日号の「日経コミュニケーション」に、医療・ヘルスケアでのIT/モバイルについて書いたコラム(もうすぐ出ます、ウェブ掲載は2ヶ月ほど先ですが・・)も、その流れの一つだ。そこに書いたように、少々「特需」の性格もあり、お金になりそうだからみんなやっているだけなのだが。

もちろん、ユーザーの目から見えないところで、今日もサーバー群の中ではものすごい進化が進行中だ。それはたぶん、生のままで製品になって派手なCMで販売されて大衆的に消費されるというのではなく、深く静かに、他の産業の「縁の下の力持ち」として価値を発揮するんじゃないか。「クラウド」とは、そういう性格のものではないか。目に見える部分はほんの少しずつ、地味に使い勝手が向上する程度かもしれないし、90年代のように「諸手を挙げてみんなどーっと移行」というふうにはならないけれど。ここしばらくの業界の様子を見ていると、そんな気がしている。

それは、通信屋としての私の感覚では、「本来の姿」のように感じられる。

そういう意味で、やっぱり「IT/通信は人々に幸福をもたらす」ようになってほしいものだと思う。通信業界の片隅で、新しいdecadeの入り口で、「to make the world a better place」とぼそっとつぶやいてみようと思う。