イノベーターと職人

前回のエントリーでは、「事業開発の職人」の話だけを書いたけれど、実のところ、本当にすごいイノベーションというのは、そのタネを思いつくすごいイノベーターがいないとできない。こちらのほうは、必ずしも訓練でできるようになるわけではなく、かなり天性のものだと思う。その違いを書いておいたほうがいいと思ったので、補足。

職人だけでももちろん技術やビジネスは進歩するけれど、それは「改良」であって、「不連続な変化」ではない。不連続な変化は、すごいイノベーターだけが起こせると思う。しかし、すごいイノベーターがいても、そうした「スパーク」が力を発揮するためには、エンジンの中に十分な燃料濃度が事前に必要であるし、またそれを連続的なエンジンの回転につなげるための仕組みが必要で、それはすなわち職人の仕事だ。両方いないと、本当のイノベーションは起こらない。イノベーターがスパークできる機会は限られているから、それをうまくつかまえるためには、普段からの職人による積み上げが必要だということになる。

私自身、ホンダで骨の髄までバリバリの「現場至上主義」を叩き込まれた上で、ビジネススクールに行ったものの、皆様のおっしゃる「MBAなど役に立たない」というイメージを自らバリバリに持っていて、それでは自分はどうするかというギャップにしばらく悩んだ時期があった。やっているうちに納得したのは、「MBAはとりあえず職人である」という割り切り。「簿記の試験に受かれば、簿記の仕事は必ずできる」というのとは違い、「MBA」というのは資格ではなく、職人になるための修行の一つのやり方であり、その中でもかなり効率のよいやり方である。社内だけで育てる場合と比べ、MBAだと「汎用的」な修行ができる。でも、いくら修行してもいい職人になれない人もいるし、またこの修行は必ずしも「イノベーター」になるための修行ではない。*1

なので、MBAに過大な期待を持ってもいけないし、またその裏返しでもある「MBAなど役に立たない」というのも極端だなと思うようになった。

イノベーターがいなくても、ビジネスは日々前進していかなければいけないから、そのための「改良」を重ねたり、ある日イノベーターが出現したときにその力を生かすための「仕組み」としてうまく動くために、職人は十分な数が存在する必要がある。私自身はイノベーターにはなれないと悟り、コツコツと日々地味な仕事をする職人に徹するとだいぶ昔に決めたので、「歯車」的な職人に徹することで今はハッピーである。私の業績など、どこにも名前としては残っていないけれど、普通に企業に勤める方々と同様、それでも別にかまわない。

一方、例えば、今話題の「セカイカメラ」の井口さんは、「すごいイノベーター」の一人ではないかと思う。彼自身もアントレプレナーとしての経験があるのも知っている。問題はこの先、こうした技術を「エンジン」として定着させ、産業を興し、雇用を増やすところに至るまでの長い道のりは、どんなに彼自身に力があっても一人ではできない、ということ。十分な数の職人が彼をサポートし、どこかの時点で必然的に起こるであろう逆風から守り、その周囲にエコシステムを作り上げていくことができるのかどうか。

さらに、こうしたイノベーターを一人だけでなく、次々と作り出していく仕組みができるのかどうか。やっても失敗することのほうが多いのだから、失敗しても敗者復活できなければ誰もやりたがらないし、またリスクが高いから成功したら大きな報酬もなければいけない。そのための仕組みを私も含めた職人たちがうまく作ることができるのかどうか。

特に、日本ではまだシリコンバレー的なベンチャー育成の仕組みが弱いので、その代わりに大企業の事業開発職人の皆様が、こうしたイノベーションをどう扱うのか、気になっている。

たまたま出現した「すごいイノベーター」に皆でぶら下がって細い蜘蛛の糸を切ってしまうのではなく、また「産業界のファッション・トレンド」として消費されつくして捨てられるのでもなく、周囲も協力して糸をどんどん太く、縦横に広げていくことができるようになってほしいと願っている。

*1:実は今から考えると、ホンダという会社は、当時から、職人を育てる仕組みも、イノベーターの出現を奨励する仕組みも、社内に持っていたと思う。たまたま私はそれに乗っかることができなかっただけで。そこがあの会社のすごいところだと今でも思っている。