ドコモは「幕末の日本国」なのかも

明日になったら、どうせ3G iPhoneの話一色になるだろうから、その前に、日本のiPhoneの話関連のアンカテさんのエントリーに、ちょっとコメントを付け足しておきたい。(拙著もご紹介いただき、ありがとうございます)

ドコモはアップルの出入り業者になる覚悟があるのか - アンカテ

ここで「ドコモの内部方針としてこう思っているとするならば〜・・・」というくだりがあるのだけれど、問題は「ドコモの内部方針」というものが一本だけ存在するのではない、というのが、ドコモに対する、アンカテさんのモヤっとした感想の原因では、と思う。

つまり、ドコモの内部で、上記エントリーで言う「鎖国派」と「開国派」が大抗争を繰り広げた(そしておそらく現在も進行中)のではないだろうか、と想像するのだ。

NTTという組織は、私が「パラダイス鎖国」で書いた日本の特徴に似てるところがある。その昔ならば「積滞解消」*1とか、最近であれば「携帯電話の普及」「iモード普及」「光回線ウン千万」みたいな、「広くあまねく」みんなにサービスを行き渡らせることは得意で、そういった「みんなが賛成しやすい」目標がはっきりしているとガンガンやるし、中の人もそれに意義を感じて一体になって頑張る。でも、その目標が達成されてしまうと五月病に陥り、「広くあまねく」以外の価値を生み出そうとすると、それが何であるべきかに関して内部で分裂して抗争を繰り広げ、なかなか先に進まなくなってしまう。そんな体質があると思う。

時折、独裁者が出現してどーっとそちらに流れるときもあるが、その人がいなくなるとまた反動が起こる。どうも、今のドコモはその時期なんじゃないか、と推測できるのだ。そこにiPhoneという黒船がやってきて、国内は「鎖国派」(アップルの出入り業者なんぞになりたくない)と「開国派」(そーはいっても時代は変わったのだ、なんとかしなきゃ)に分裂して、薩長新選組がガンガン斬りあっている、という構図なのではないか。

外から見ると、日本国代表は徳川幕府なのか朝廷なのか、サッパリわからない。何を目指しているのかわからない。そういうことなんじゃないのかな。

NTTにとっては残念ながら、通信ネットワークの世界は、「広くあまねく」だけのシンプルな世界じゃなくなってしまっている。NTTやドコモが、早く「幕末」状態を抜け出して、複雑系ネットの世界での価値をもっと生み出せる体質に脱皮してほしい、と、OGとしては切に願っている。

*1:電話を申し込んでも待たされるという、今では信じられない状況が1970年代まであったのだ