「日本でのiPhone」に私が期待するもの

ある日の朝食時、私が「ねこ鍋」の話をしたら、家族の誰も知らなかったので、「日本におけるねこ鍋の定義およびその沿革」の説明をした。すると、亭主が早撃ちガンマンよろしく、腰のホルダーからiPhoneをサッと取り出し、YouTubeで検索して子供たちに見せた。動物好きの次男坊は「ふぁー、かわいい〜!」、ナナメに構えている長男は「なんじゃ、このエレベーター・ミュージックは!」との反応。「ねこ鍋」ぐらいの動画は、iPhoneで見てもちょうどよくキレイに見える。

iPhoneの魅力は、コレなんだろうと思う。「これまでの携帯電話やブラックベリーでできていた」機能を並べると、一つ一つは見劣りするところもある。でも、忙しい朝食時、パソコンのないキッチンでもすぐに、はるかに遠い日本で少し前にはやった「ねこ鍋」を見つけて、キレイな画面で見ることができる。「わー、こんなことができるの!」という、自分の世界が一気にひろがったときのあのフシギな気分。iモードを初めて使ったとき、YouTubeを初めて見たとき、ブログを書き始めた頃などに感じた、あの「ひろがり感」「ワクワク感」なんだろうと思う。

個人的には、今のところ安いブラックベリーで困っていない。テキストはiPhoneより打ちやすいので、私の目的には合っている。そのうちiPhoneもいいなと思うけれど、高い値段払って契約の変更までして切り替える気はまだない。3G 対応が出て、データ容量が少し増えたらゆっくり考える。でも、iPhoneにエキサイトしている人たちの気持ちもよくわかる。

日本の携帯電話の世界はスゴイ。スゴいサービスがいっぱいあるし、種類がめっちゃ多いし、電話のデザインもキレイだし、どこでも通じるし、とにかくスゴイ。でも、基本機能が「通話」と「メール」であることはダレも外していない。キャリアがそう望んでいるし、大多数のユーザーもそれがいいと思っている。だから、み〜んな耳にぴったりくる角度の「折りたたみ式」だし、番号ボタンも打ちやすいように微妙な角度で盛り上がっている。おサイフだのワンセグだの、てんこ盛りになっているのはすべて、おまけをいっぱいつけて買わせるためだ。

だけど、iPhoneはちょっとそのポイントがずれている。電話もメールも使いにくいのだ。はっきり言って。でも、iPhoneを使う人は、「電話もメールもおまけ」でいいと納得しているのだ。だから、以前私が自分でブログに書いたような、「タッチスクリーンは、電話としては使いにくいしテキストは打ちにくい」というのは、全然的外れの批判なのだな。さらにその上、「モバゲー」も「ワンセグ」も使えないけれど、それでもいいという人は、全体の中では少ないかもしれないが、日本にもそれなりにいるんじゃないかと思う。

日本もアメリカも、携帯電話は今、高原状態にさしかかっていて、次のブレークスルーを探している状態。アメリカよりも、より強固に「携帯産業」と「携帯文化」が確立した日本で、この「ちょっとだけずれた」「通信はオマケ」という世界は異質。携帯業界にとってiPhoneは、しばしば比喩されるようにまさに黒船であって、短期的には混乱や反発も多いけれど、「通信がオマケ」という「次」の世界を垣間見せてくれる存在。今回日本に登場するiPhoneは、「日本の携帯ユーザーとはこういうモノだ」という、日本的な常識を打ち破って、「次」の世代に属する人々に光が当たるかもしれない。

こういう人々は、日本だけでなく、世界でも少数派。「やっぱりブラックベリーがいい」という人もいるし、「やっぱり普通の携帯がいい」という人のほうがまだまだ多いのだ。でも、アップルからすると、世界全体の少数派ユーザーをかき集めて1000万人になれば、ハードの生産量としても合格レベルになるという計算が成立するのだろう。つまり、「パラダイス鎖国」の中で私が書いた「グローバルなロングテール商売」をする「金箔職人」のようなケースだ。「世界」の空間軸に広げる発想で、「国」の枠が今も強固な携帯電話の世界で、こういった「グローバル・ロングテール」なものが日本にもようやくはいる。それが、日本の「ケータイ・パラダイス鎖国」にちょっとだけ刺激を与える黒船になるかも。それが、iPhoneに私が日本において期待する点である。