別腹メディアと「発狂小町」の話

今回AMNに参加する話をいただいた後に、実は、とあるニュースサイトから、記事を書いてもらえませんか、とのお話をいただいた。別にAMNとコンフリクトがあるわけでもなんでもないが、「連載は一つしかやらない」と決めていて、今は「日経コミュニケーション」の連載をやっているので、申し訳ないができません、と辞退した。この自らの行動について、なんとなく自分で考察するはめになった。

確かに、AMNでも広告料の一部をいただけるのだが、金額は不安定。まぁ、はっきり言って金額の予想もしていなければ、アテにもしていない。それより昨日書いたように、立派な広告が貼りつくことと、AMNのブロガー・コミュニティの仲間になれるということのほうが、私にとっては優先度が高い。

一方、ニュースサイトでの執筆は、通常の雑誌記事のように、決まった原稿料をいただける。原稿料のレベルまで聞かなかったが、まぁとにかく、決まった売上げが見込めるわけだ。それに、こちらも高いレベルの執筆者の方がそろっている。

にもかかわらず、お断りしてしまった。ナゼダ?

連載をする、ということは、かける時間そのもの、というより、毎月決まったときまでに決まった量で一定のレベルの記事を書く、というコミットメントが重い。私の場合、自分の中で耐えられるストレス量の上限が決まっていて、子供たちがワンパク(これって死語?)なおかげで、そこでかなりのbandwidth(容量)を消費してしまう。残った耐ストレス量はどうしても本業のコンサルタント業に優先的に配分しなければいけない。記事を書くのは本業ではないので、それに毎月一定の耐ストレス量を配分するというのはリスクがある。それでも、記事を書くことで「マーケティング効果」という意味があるため、全くやらないのではなく、最も時間対効果の大きい(なるべく短くて効果の高いもの)一つだけ、ということにしている。

ところが、ブログはこの「耐ストレス量」の容量外なのだな。どうも。つまり、コミットメントがない。いつ何を書いてもいい。このところ、本業が忙しいために、マジメな記事を書く容量が全くなかったが、それでもラーメン話とかミーハー話とかを書きたくなったりする。自分のブログなんだから、なんだって構わない。それでも、書けばある程度はアクセスがあって、読んでくれる人がいる。それで、今私のやっているブログの形態そのままでいい、というAMNの仕組みならば、私でものっかることができる。

なんかややこしいことを書いたけれど、要するに、ブログなどのユーザー生成コンテンツを作っている人というのは、私のような事情の人が多いんじゃないかと思うのだ。つまりこの「ケーキは別腹」ならぬ「ブログは別腹」みたいなコンテンツ・クリエーターの側の事情に合わせた仕組みの設計じゃないと、この種のメディアはうまく行かないんだろうな、と思う。

で、こうした「別腹」ライターが書くものと、本業のライターが書くものというのは、いろんな意味で別モノなのだけれど、「メディア」という土俵で広告料のとりあいをすることになるのが現実だ。広告だけじゃない。自分で新書を書いてみて思ったのだが、ビジネス系新書のライターというのは、私のように別に本業をもっている人が多くて、あまり印税もアテにしていなくても、別の目的でやたらに本を出す。供給量が増える。価格が下がる。本を書くのを本業にしている、例えば佐々木俊尚さんのような方にしてみれば、迷惑千万じゃないかと自分でも思った。

別腹ライターとしての自分と、本業ライターとの一番の違いは「取材力」だと思う。私は、基本的に記事を書くため「だけ」に取材をすることはない。自分の体験や、仕事を通じて得た情報をもとに書くことしかできない。「パラダイス鎖国」を書いたときも、それが一番のフラストレーションだった。本当はもっと取材がしたかったけれど、時間的にも金銭的にも余裕がなかった。

取材をするには、それをすることでメシを食える時間的・金銭的余裕も、そのための訓練も立場(記者パスなど)も費用負担も必要。ユーザー生成コンテンツ全盛時代になったとしても、記事を書くため「だけ」に時間をかけて取材できる人は、やはり一定数は必要だろうと思う。

別腹ライターにシェアを食われ、伝統的メディアの食い扶持が細る中で、どうやって本業記者の取材力を維持していくんだろう?私は部外者というか「競合相手」なので、人ごととして思うだけだが、大変だろうな、と思う。でも、一方で別腹メディアの存在はいくら否定しても、どうしようもない現実なわけだ。だから、伝統的メディアも、別腹メディアを嫌うだけじゃなくて、なんとかうまく取り込む工夫をしてほしいもんだと思う。

このところひそかに愛読していたサイト、「発狂小町」が閉鎖してしまう。読売新聞サイトの読者参加型人生相談「発言小町」のまとめサイトだった。本サイトのほうは、レス数が多くなると読むのが大変だし、トピックの数も多すぎて、面白いものを探すのに時間がかかる。まとめサイトは、うまくダイジェストしてあるので、短時間で読みやすい。それぞれに、長短所があり、補完関係になることも可能だったと思う。読売新聞は、認定したまとめサイトに対し、本サイトの広告を流せる「窓」を設置する(AMN方式)、といったような方式で、共存共栄するということはできないんだろーか??と思ってしまうのだ。

<追記>
関連記事をいくつか見つけました。

発狂小町の閉鎖は発言小町というコミュニティを存続させるための読売新聞の決断なのではないか - FutureInsight.info
「発狂小町」がまもなく終了 - モジログ