ビジョン・セラピー経験談(上)

現在小学校4年生の読み書き障害の息子が、3年生のときからビジョン・セラピーを受けてきた経験を、上下二回にわたって書く。視覚発達障害については、下記エントリーを参照。

視覚発達障害・ディスレクシア・学習障害(LD)・ADHDの区別と、特に「視覚」について - Tech Mom from Silicon Valley

それから、日本語の文献は私はほとんど見つけられなかったのだが、英語では下記のようなリソースがある。ご参考に。

http://www.myfamilyeyedoc.com
Parents Active for Vision Education (P.A.V.E.) – The Critical Link Between Vision and Learning
College of Optometrists in Vision Development (COVD)
"Can't See 3D Movies? How to See 3-D Eye Exercises, Magic Eye 3D, Stereograms, Stereo Views, Binocular Vision Eye Tests, Brain Games, Puzzles, Lazy Eye, Cross eyed, Vision Therapy"
VisionHelp Group - Vision Development & Rehabilitation
What is Vision therapy? FAQs, Links, references, learning disabilities, LDs, scientific studies, research, vision training, visual therapy, visual training, orthoptics, eye exercises
http://www.vision-therapy.com

他にもいろいろあるので、「vision therapy」でググってみてほしい。

我が家の息子の場合は、専門のクリニックで、大変細かく専門的な検査を行い、その結果障害が認められたので、半年間ビジョン・セラピーを行った。検査の結果では、遠視の傾向、焦点の深さの調整不良、トラッキングの不調、目・耳・口・手の連携の悪さ、ビジョン・メモリー(見たものを記憶する力)の弱さ、など、いくつか指摘された。単語の音を分解する能力など、ビジョン以外に原因のありそうな問題もあり、おそらくいくつか複合しているのではないかと思われた。こちらのほうは、学校ですでにスピーチ・セラピストとリーディング・スペシャリストがついた特別対策をやっていたので、それを継続。

ビジョン・セラピーの内容は、ものすごく多岐にわたるのでここに書ききれない。片目ずつで遠くと近くのものを交互に読んだり、レンズでストレスをかけて物を読んだり、といった目そのものの訓練、体のバランスをとりながら壁に貼った文字列を読むような身体機能訓練、ランダムな文字列からabcを順に拾っていくとか、コンピューターで小さい窓が一定のスピードで読む方向へ動いていく中に出てくる文字を読むとか、特別な装置でちょうど「もぐらたたき」のように明かりのついたボタンを次々と押していくなどのゲームっぽいもの、字を書くための手や指の動きの訓練など、なにしろものすごくたくさんあった。症状や進み具合によっていろいろなメニューがあるようだ。

セラピーは、苦手なことをあえてやらせて目の機能を鍛えるので、毎日ほんの20分といっても、子供にとっては本当に体力のいる、疲れる作業である。また、3年生になって学校(現地校)の宿題も増え、学校から帰ると「これが終わったらはい、これ、それからリーディング、それからビジョン・セラピー・・」ととにかくやたら忙しくて、遊ぶ時間がなくて本人は怒るし、やらせる親にとってもストレスが大きかった。

それで、土曜日に通っている日本語補習校では、担任と教頭先生に診断結果とビジョン・セラピーのパンフレットを渡し、なぜ彼が3年生になってもひらがなすら怪しく、音読ができず、字がかけないか、を詳しく説明し、当分は日本語の勉強の比重を落とさざるをえないこと、宿題は全部はできないことに理解を得た。たまたま、担任の先生がもとは眼科医だった、という幸運な偶然もあり、状況をよく理解してくださった。補習校を辞めることも考えたが、いったんやめてしまうと戻るのはほぼ不可能に近いので、比重を落としながら、とにかく通学は続けることにした。もちろん、現地校の先生やスピーチ・リーディングの先生にも詳しく説明した。スピーチ・セラピストの先生は、自分自身も「耳で聞いたことをノートにとる」ということがどうしてもできない、という苦労をずっと経ていた上、娘さんが同じビジョン・セラピーに通っていたこともあり、とてもよく理解していただいた。

本人は、苦労しながらも、前向きに取り組んだ。クリニックに一週間に一回通うのだが、毎日家でセラピーをちゃんとやったらステッカーがもらえて、それをためると近くの駄菓子屋さんのギフト券がもらえるという、インセンティブもあった。(これも、専門クリニックのノウハウの一つ。)またセラピーを始めて、自分でもすぐに違いがはっきりとわかってきたこと、そして何より、「自分はバカなのではない、目が悪いだけだ」ということがわかって、ものすごく気が楽になったのだと思う。

違いがわかる、といっても、世の中そんなに甘くなく、すぐに勉強の上での効果が出てきたわけではない。まずは、読み書きをするときのストレスが減ったために、勉強にとりかかることを嫌がって騒いだり、気を散らして他のことをはじめたり、泣き喚いたり自分で自分を痛めつけたり、そういったことが劇的に減った。やはりこれも、「自分はバカではない」ことの認識が、とても大きかったと思う。これが第一段階で、これはセラピーを始めて2-3週間で効果が見えた。

それから、セラピー最初の頃は、特に焦点深度調整とトラッキングの訓練が多く、英語の本を読むことがだいぶできるようになってきた。現在でも、学年相応のレベルでは読めないが、とにかく本を自分から手にして読むようになったし、ときどきまだ単語を飛ばしたりするが、大筋としてそれほど苦労しないで読めるようになった。推論・理解力は普通なので、なんとか読みさえすれば、読解はちゃんとできる。ただ、目と口の連携がまだ完全ではないので、「朗読」は苦手だ。特に日本の学校では、「朗読」が金科玉条のように扱われ、よくやらされるが、こういう問題のある子供もいる、ということは理解してほしいものだ。

また、距離感・面的な空間認識が少しよくなったために、字が罫線やマスの中に少しはおさまるようになった。最初はまだ「字」の段階で、自分の思ったことを文章に書き表すところまではいかない。

ここまでが第二段階で、セラピー開始後2ヶ月ぐらいだったが、このあと長いこと、あまり目立った進歩のない、踊り場状態が続いた。ちょうど、アメリカの新学年が始まる9月からセラピーをはじめ、クリスマス時期あたりから冬の間がこの時期にあたり、ここが一番苦しかった。

3月頃に一度、成績表が出て先生との面談があったのだが、作文の成績が極めて悪く、ちょうど習い始めた筆記体で書いた字が全く読めないほどひどく、スペリングも含めて「書く」ことの点数はすべて落第点から脱していない。リーディングの先生からも、「彼は大変努力していて、あれだけやったらもっと効果があってもよいと思うのだが、なぜか結果が出ない」と言われた。今年は当地は異常に雨の多い年だったことも手伝って、冬から春先にかけては、私もかなり落ち込んでいた。私の住む町には、ディスレクシアの子供専門の学校(私立)があるのだが、そちらに行かせたほうがいいのだろうか、など、いろいろ悩んだ。本来のセラピーは、2月に終了の予定だったが、あと10週間延長することが決まった。そのときも、延長しても一体効果があるんだろうか、もう彼の問題は、ビジョンの問題ではなく、やっぱりディスレクシアか他の種類のLDか、とにかくこんなに苦労してビジョン・セラピーをするよりも、他の方法を探したほうがいいのではないか、とずいぶん迷った。また、学校でのスピーチとリーディングの特訓は、他の教科(特に、彼が得意な算数やコンピューター・ラボの時間など)を抜けてやっているので、いくらやっても無駄な訓練のために、せっかくの得意な教科がダメになってしまったら、かえってよくないのでは、との疑問も頭をもたげてきた。

この迷っている時期のエントリーが下記である。

視覚発達障害とバイリンガル環境の間に関係はあるのか? - Tech Mom from Silicon Valley

この時期のある日、亭主が息子の日本語の宿題を見てやっていて、私は他のことをしていたら、息子が荒れている音が聞こえてきた。久しぶりだったので、あわてて行ってみると、息子は泣いていた。あまりにひらがなが読めないので、亭主が業を煮やして、あいうえおを10回ずつ書け、と言ったら、息子は暴れて泣き出したという。をいをい、おとーさんや、キミはいったい、何年間この子とつきあってきたんじゃい?4歳のときからはや5年、今までひらがなを何千回何万回読んだか書いたかわからないのに、それでもできないんだから、今ここで意味のない文字の羅列を10回書いたところで、何がよくなるというんじゃい?そんなことをして、この子がますます日本語嫌いになったら、どうするんじゃい?機能訓練のストレスがあるのだから、それ以上はあまり負担がない程度に日本語は抑えておく、と決めたんじゃないかい?それより、彼の脳は、意味のあること、自分の好きな内容のものを読み書きすることで、他の子よりは3年ぐらい多くかかるかもしれないけれど、少しずつ覚えていくしかないんじゃないか、と私は思っている。そう言って亭主を説得し、息子に謝らせて、ようやくその場はおさまった、というようなこともあった。

続きはまた後日書きます。