「食通礼賛」の空気に押しつぶされる女性の憂鬱と対策

私はうつ病ではないが、うつ傾向が強くなることが時々あると自覚している。身の回りの同世代の女性にうつ病が多く、「本格的にうつ病になったら大変」と身にしみているので、本格的に病気にならないように、気をつけてあちこちでブレーキをかけている。しかし、こうして自分でブレーキをかけられるのは、私が根本的に図々しくて、家庭の中で発言権が大きいからできることだと思う。ブレーキをかける、というのは別名「怠ける」ということなので、特に専業主婦ではそれが夫や周囲に理解されないことが多く、「ただ怠けている」というプレッシャーに対して戦う気力もなく、ますます自分を追い込んでいく人が多いだろうことは容易に想像がつく。

私が最近特に辛いのは「料理」である。午後になると夕方が来るのが怖くて、仕事に集中できない。献立を考えるのも店に買い物にいくのも面倒。キッチンに立つと疲れてしまって、気を紛らわすために、いけないと思いつつアルコールに手が出てしまう。「料理がつらい」からといって、「それじゃ外に食べに行こう」と思っても、どこに行くか考えるのが面倒、子供を追い立てて車に乗せて・・と考えただけで疲れてしまう。日本ならコンビニ弁当もデパ地下もあるけれど、カリフォルニアの田舎では、テイクアウトやデリバリーはピザか中華しかなく、ピザなら亭主、中華なら子供たちが文句を言う。ちょうどいい中間解だった「Boston Market」がどんどん店舗を閉鎖していて、遠くまで行かないといけなくなってしまった。どの選択肢がいいかと妥協点を探る、毎日毎日終わりのない戦いに、もう食べること自体がイヤになってきている。普通にお腹は空くのだが、ちょっとでも手がかかるものを食べる気力がなく、そのまま食べられるものだけをやたら食べてしまう・・・

自分一人だったら、酷い時にはそうやってフルーツやクラッカーだけを食べてやり過ごせばいいのだが(時々私がツイートする、意味不明の手抜きランチがそのシグナルだと自分で気づいた)、家族がいるとそうは行かない。なんとか自分が食べたいと思えるのは汁物だが、そればかり作っていたら、がっつり肉を食いたい子供や亭主から文句がでる。肉を料理することを考えただけで、うんざりして疲れてしまうのに・・・

そんな話を昨日も友人としていたら「カイフさん、ちょっとウツ?」と言われて、やっぱそうなのかとネットでサーチしてみたら、ウツの女性の「ごはん作るのが辛い」話がいっぱい出てきて、もうすべて、全く私の気分と一致していた。「レトルトのおかゆを、温めるのも面倒で、冷たいまま食べる」、まったく私も同じだ。

ネットを見ていても、食道楽はもはや日本の「国是」である。でも私は、どの店がおいしいとか、どんな食べ物がおいしいとか、そういうTweetを見るだけでうんざりしてしまう。もちろん、他人の楽しみをとやかく言うつもりはなく、どんどんやっていただいていいのだが、自分はもうそういうサイトもレシピ満載の雑誌もツイートも、見ないことにしている。でも、食通のご亭主をもった「食べ物ウツ」の奥様だったら、いくらご亭主が配慮して「おいしいもの」を作ることを奥様に強要しなくても、奥様のほうは「おいしいものを作ってあげられない自分が情けない」と、ますます追い込んでしまうだろう。私などは、こうした「食通礼賛」の世間の空気すら、今は重い。

こちらは、味音痴の多いアメリカで、前にも書いたように「料理しない奥様」でも全然オッケー。料理できなくても「ママ友」とか「姑」とか「ご近所」とかからの空気の圧力はないのでまだよい。「家庭の食育が云々!」とのたまう人々の基準もアメリカはまだまだ全然甘い。それですら、家族のプレッシャーを感じて悪循環のキッチン・ドリンキングにはまってしまうのだから、日本での奥様方の受ける空気の圧力は想像を絶するものだと思う。私の亭主は、いろんな意味で理解があり、ゴハンもときどき作ってくれるのだが、それでも人の状況はその人にしかわからず、私の何がどう辛いのかを完全に理解することはできない。あちらにはあちらの事情もあるし、「私のことを配慮せよ」などととても言えない。もう、そこはハナから諦めている。

私が努力している対策の一つは、「分散処理」である。友人のワーキングマザーを真似て、まず洗濯を「各自」に分散した。子供たちが、自分のものは自分で洗濯する代わりに、お小遣いを少し上げてあげる、という交渉に成功。何かと機会をとらえては、「彼は自分の洗濯は自分でやっている」と盛大に褒め称える。下の子(小学5年)はまだ「一緒に」やらないとダメだが、もう少し慣れれば自分でできるようになるだろう。子供たちがやり出したら、何も言わなくても亭主も自分でやってくれるようになった。タオルやシーツなどの大物はまだ私がやらないといけないが、「明日、子供が着ていく服がない、洗濯せねば」というプレッシャーがだいぶ軽くなった。

最近はこれを料理にも広げて、朝食と休みの日の昼食は、子供たちもなるべく自分で用意して食べるように誘導。それができるように、昼食向きで各自が好きな食べ物(マカロニ・チーズとか、グリルド・サンドイッチとか・・)の作り方や、それと何を組み合わせるか(野菜やフルーツ)といったことも指導する。自分で作ったときには、多少偏ったメニューでもなるべくダメだしをしない。「自分で作れれば、好きなようにできる、好きなものが食べられる」という快感を子供たちに植えつける。それほど遠くない将来、自宅を離れたら、自分でやらなければいけないことも話す。ついでに、おいしいものを作れれば、女の子にもモテるし、それが縁で人を引き寄せることもできる、という甘い話をどんどん吹き込む。

そして最近、上の息子に料理に興味をもたせることに成功、ときどきは彼が「今日の夕食はみんなの分を自分が作る」といって、学校の帰りに材料を買って作ってくれるまでになった。シンプルだがそこそこ旨いものを作ってくれる。

私が何も言わなくても、何も決めなくても動かなくても、人が用意してくれた食べ物ならば、とにかくなんでもありがたい。

まぁ、私はこんなところだが、他にもよい対策をご存知の方があれば、教えていただければ嬉しい。(追記:友人には、漢方薬を勧められた。これも試してみる。)

本当にウツになってしまった方には、こうやって人にやらせることもできないだろうが、私のように「ウツになっては大変」とブレーキをかけている方々に、少々のご参考にしていただければ幸い。でもそれでも、やっぱりまだ辛い。まだまだ、戦いは続く。世のご同輩の皆様、病気になるのが一番悪い結果なので、無理をせず、でも周囲に察してもらうことは期待せず、怠け者と言われようとしかめつらで気分悪いと言われようと、自助努力で怠けながら、なんとかやっていきましょう。

<追記>
「食通のダンナなら、自分で作れよ」というブクマコメントがあったが、それちょっと違う。やさしい食通のダンナならけっこう自分で作ってくれる。または外で自分で食べてきてくれる。それでも、奥様当人はそれを「自分ができなくて申し訳ない」と思ってしまう。私は、ここでは「ダンナが協力しないのが悪い」と言ってるのではない。たとえ協力しても解決できないことが多い。だから、解決は難しいのだ。

うつ病死に至る病。働き盛りの主婦が本気でうつ病になったら、本人も家族も、どんなに大変なことになるか、身近でいろいろ見てるからこそ、たとえ自分が批判されてもうつ病にならないように頑張ってるし、同年代のご同輩にも、ならないように、恥を忍んでこれを書いてます。