「Investigative Journalism」の行方

一昨日、JTPAのセミナーにて、ウォール・ストリート・ジャーナル記者ケイン岩谷ゆかりさんと対談させていただいた。いろいろと面白い話が出たのだが、特に印象に残った一点について、ちょっと述べておきたい。(ゆかりさんの経歴や対談アウトラインについては、リンク先を参照)

ウォール・ストリート・ジャーナルは、ウェブ化当初から有料でやっており、それで「成功」している数少ない例。そんな中、2007年に同社を買収したルパート・マードックが、「いずれ紙の新聞はなくなる」として、ウェブ有料版で価値をあげるためにいろいろなことを試行錯誤している、というお話だった。その中で、記者も以前のように、ただ記事を書いていればいいだけでなく、自分でTwitterで発信したりブログを書いたりビデオの制作の携わったり、いろいろとやることが増えて大変、なのだそうだ。まだいろいろと手探りで、例えば記者にとっては常にデスクを通してから表に出してきていて、ツィッターのように誰の目を通さずに外とコミュニケーションを公の形で取るというのは初めてで、むしろひとりで炎上のリスクに立ち向かう百戦錬磨のブロガーのほうが経験があって慣れている、というご意見が面白かった。

私は、前にこのエントリーで書いたように、「広告でかせぐ新聞というビジネスモデル」が縮小した先に、「プロしか書けないような記事を書くためのプロ」をどうやって相当数確保するんだろう、という疑問をずっと持っている。私のイメージの中では、「プロの記者」と「アマチュアのブロガー」との最大の差が、特定の重要事項について、長期にわたってまとまった取材を行い、ウラを取り、一つのストーリーとしてまとめあげ、世に問うといった「investigative journalism」(日本語で何というのか不明ですみません)だと思っている。こういった仕事は、片手間でやっている素人では絶対できない。調べても無駄になるかもしれないリスクを取れなければならず、お金がかかり、普段からの蓄積も、身分の保証も必要だ。しかし一方で、素人ではできないからこそ、読者がお金を払う気にもなり、また政治や産業界における「監視役」としてのメディアの本来的な存在意義でもある。だからこそ、世界中で「記者」は身分を保証され、保護されている。プロのメディアの「付加価値の源泉」だし、だからこそプロのメディアがなくなってしまったら、民主主義社会がきちんと機能しなくなる、と思う。

こんなイメージは、ひょっとして、高校生のころ見て「ジャーナリスト」へのあこがれをかき立てた映画「大統領の陰謀」で、当時のロバート・レッドフォードダスティン・ホフマンがカッコ良すぎたせいで、そう思い込んでいるだけかも、とも思っていたけれど、どうもそういうことではなさそう、と一昨日思った。ウォール・ストリート・ジャーナルでも、一面の記事となると、こうした手法で長期にわたって取材して書く記事が多いのだそうだ。

しかし、どうやら日本の企業はこういった取材のされ方に慣れていない、つまり日本のメディアはこうした取材方法はしないようだ、というお話だった。こうしたコストのかかる取材方法が、最近のビジネスモデル崩壊によってできなくなってしまったということなのか、以前からできていないのかはなんとも言えない。でも、今やっていないということは、この先ますますできないはず、ということでもある。

アメリカでも、旧型メディアの売上はどんどん減っていて、ウォール・ストリート・ジャーナルはその中で特殊な例だろう。しかし、お話を伺っていて、アメリカはそれでも、なんとかこうしたinvestigative journalismというのが、現在もそれができる人々がきちんと訓練され続けていて、将来的に規模は縮小するかもしれないけれど、社会の中できちんと役割を果たしていけるように思えた。しかし、日本はどうなのだろうか?とますます不安になっている。

メディアのビジネスモデルは、例えば新聞では従来から、購読と広告のコンビネーションだったわけで、ウェブ上でも、「無料+広告」一辺倒から徐々に購読の比重が増していき、最終的には別の形での「購読と広告のコンビネーション」で落ち着くのでは、と私は思っている。ミクロ経済的に言えば、メディア全体の「情報取得と配信の限界コスト」が、ウェブの登場によって「配信」部分が劇的に下がったために、単価も劇的に低下してきたワケだが、その価格がついに「限界コスト(変動費)」に限りなく近づいてきて、価格がついに下げ止まるような気がするのだ。メディアの経営者が、苦境を人のせいにせず、必要な企業統合や規模縮小をきちんとやり、新しいメディアへの対応をきちんとやることで、新しいビジネスモデルへの移行ができるような気が、以前よりもするようになった。

そんな中で、日本でも、メディア産業の給料が高いなら高くてもよいので、それに見合った、他の人ではできない仕事をちゃんとやってほしいな、と改めて思う。