産業という名の麻薬 − 「ローマ亡き後の地中海世界」からの脱線

休暇モードが治らず困っている。またまた、塩野七生「ローマ亡き後の地中海世界(上)(下)」を読んでしまった。あー、早く読書やめないと、社会復帰できない・・・

ローマ亡き後の地中海世界(上)

ローマ亡き後の地中海世界(上)

ローマ亡き後の地中海世界 下

この著者の「ローマ人の物語」も、この「ローマ亡き」の関連著書である「海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年」も読了済みだが、この長く続いた成功国家ともいうべき「ローマ」と「ヴェネツィア」に比べ、「ローマ亡き後」千年の間の地中海世界というのは、読んでみて、「えー、こんなだったんだ!」と驚いた。知らなかった。神聖ローマ皇帝やフランス王やローマ法王が活躍して「カノッサの屈辱」とかやってる頃の「陸のヨーロッパ」と比べ、「海」の話も、イスラムやトルコの話も、そういえば学校の世界史でもあまり詳しくやらないし、物語や映画でも見たことがない。

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉 (塩野七生ルネサンス著作集)

なんせ、「聖戦(ジハード)」の名の下に、略奪と殺戮と拉致を繰り返すサラセンの海賊もすさまじいが、内輪もめに明け暮れてなすすべもなく負け続けるキリスト教陣営のほうのダメダメぶりも壮絶。ようやく連合艦隊を組んで海賊を撃破するチャンスが来ても、珍しく優秀な司令官が出現しても、やっぱり足の引っ張り合いで自滅。カタルシスが全く得られない話が延々続くので、そりゃぁ映画にはならない。しかも、こんな状態がずるずる続いたのは、海賊が狙うのが、有名人や大都市でなく、防備の手薄い名もない村の名もない庶民たちばかりだったから(財宝を奪うよりも、人をさらってきて売るのがメイン)というのも、なんだか現実を突きつけられたようで悲しくなってしまう。

私自身はカトリック教徒で、だからむしろ「十字軍」とか「9/11後のアメリカ人の対イスラムの態度」などにはついつい身内批判的になりがちなのだが、千年にわたってこんな戦いを続けてきたら、お互い様というか、根は深いな、と改めて思い直してしまった。

さて、ここからは脱線。

ひとつ面白い指摘だと思ったのが、当時の北アフリカでは、海賊があまりに儲かるので、「主要産業」になってしまった、という点だ。古代ローマ時代の北アフリカは農業国だったが、イスラム勢力下にはいり、「異教徒をやっつける」ことに思想的な後ろ盾ができただけでなく、自分たちよりも豊かで人口の多いイタリアを収奪するほうが、効率のよい商売だったために、それが定着した。そして、海賊自身の数はそれほど多くなくても、彼らの船や武器や食料の供給、さらってきた奴隷の管理や販売など、周辺産業に従事する人がたくさんできてしまう。そうすると、少々キリスト教国の海軍にやられても、そう簡単に足を洗えなくなってしまう。人々は、いまさら農業なんていう割りの悪い商売に戻る気がなくなってしまう。これに対し、例えば古代ローマ時代の蛮族も収奪が商売だったわけだが、「産業」化していなかったので、ローマに征服されて、定着・農業化政策を与えられれば、収奪をやめることができた。

サラセンの海賊産業は、いわば「麻薬」のようなものだったともいえる。海賊もそろそろダメそうだ、となってから、きれいに足を洗うまで、数百年かかっている。

まー、海賊業は、普通に考えれば犯罪そのものなので、そこから抜けようにも抜けられない体質になってしまうのはまさに「麻薬」といっていいだろう。でも、まともな商売であっても、ときどき出現する「割のいい商売」「マージンの大きな産業」が大きな裾野を形成してしまうと、その産業に依存する地域や国家はある意味で同じような状態になって、その産業が衰退しそうになっても、すんなり足を洗って次の世代の産業へと脱皮できない。それは、もしかして一種の「麻薬漬け」の状態かもしれない、とふと思った。

例えば、20世紀における自動車産業とは、ある意味でそんな「麻薬」になったのかも・・・と思ってしまう。自分で中にいたことがあるから体感するが、この産業の周辺を含めた規模と深さはすごい。ものすごくたくさんの人が、これに依存している。アメリカ政府が、なんだかんだでGMクライスラーを支援するのは、この2社が生み出す富でなく、「雇用」を守るためというのが第一義で、アメリカの自動車会社とは、いまや「雇用マシーン」としての意味しかないのか、と思ってしまう。まだそこまでいっていない日本でも、自動車産業に「依存」している度合いからいったらむしろ上かもしれないぐらいだから、麻薬中毒の危険性は相当にある。

通信産業もやや「雇用マシーン」状態がもともとあって、どこまで続くか不安だし、メディア産業はテレビ時代の「儲かりすぎ」体質のせいでまるっきりサラセンの海賊状態。どうすりゃいいんだろう?

本の中で、ひとつ解決のヒントとして、「ヴェネツィアの海賊対策」が紹介されている。「海賊を出す地域に雇用を提供する」ことである。海賊を捕まえれば、即座に帆柱から吊るして殺すが、一方でガレー船の漕ぎ手や物資の供給などの形で、海賊の出現する地域(ヴェネツィアの場合はバルカン半島)にまともな仕事を与えるという、長期的な解決法で、これは効果があった。だから、ヴェネツィアのあるアドリア海では、海賊問題は深刻にならなかった。

そういう意味では、今の不況の中では、自動車ほどの大産業に代わり「代替雇用を提供」できる、大きな新産業がまだない、ということが、アメリカでも日本でも一番問題、という気がしている。