「日本って、フランスとかスペインとかみたいな」という感じ

この休暇中、日本でとある友人と話したときに、改めてこんなことを聞かれた。

アメリカ人から見て、日本って相変わらずエキゾチックなところなんでしょうかね?ぶっちゃけ、どんな感じなんですか?」

休暇突入前、ブログのコメントで散々叩かれるケースが続いたが、そのひとつが「日本はもうダメ」論争。私自身はこの中ではのらりくらり作戦で対処したつもりだったのだけど、「シリコンバレー在住コンサルタント」軍団の一人としてそれなりに火の粉を浴びたわけだ。それで、叩かれた以降沈黙する中で少々考えていたことともちょうど合う質問でもあったので、私は即座に答えた。

私「例えばフランスあたりみたいな、そんな感じじゃないですかね。ま、私的なおおざっぱな言い方ですけど。」
友「え?そんなにいいイメージなんですか?」
私「いいかどうかはわかりませんけどねぇ。とにかく、英語は通じなくて、カルチャーや歴史はアメリカと違う見所があって、だけど先進国だから観光に行っても途上国みたいな不潔や不便や危険はなくて安心、料理でも製品でもフランスと日本なら高級、というカテゴリーじゃないですか。だから、アメリカ人に『私はバケーションに日本に行きます』って言うと、『フランスに行きます』というのと、あまり違わない気軽な感覚で『あー、それはいいねー』と受け取られてると思います。『好き』かどうかというと、やはりまだまだフランスのブランドイメージには追いついていないと思いますけどね。一昔前のフジヤマゲイシャとは明らかに違うし、『アフリカのサファリに行きます』みたいな類の覚悟が必要なエキゾチシズムはもはやないと思います。少なくとも、私の住んでる北カリフォルニアではね。」
友「でも、それって、あまり外国と縁のない田舎の人もそうなんですか?」
私「ど田舎のアメリカ人って、超パラダイス鎖国だから、そもそもフランスもヨーロッパも全く興味の外です。隣の州さえ行ったことない人が多いんですから。そういう意味でも、日本もフランスなんかと同じでしょう。」
友「そうすると、観光ポスターで、富士山に桜とか使うのは筋違いなんでしょうか?」
私「まぁ、記号としてフランスならエッフェル塔とか、ある程度定着してるので、それは仕方ないかもしれませんね。でも、本当に日本に興味のある人というのは、かなり違うところに興味をもっていると思います。80年代の日本が強かった頃以来、日本語を習ったことがあったり、日本との接触のある人も増えたし、日本に興味を持つ点は多様化していると思います。等身大、といってもいいかもしれません。」

そういえば数年前に、スペイン旅行から戻ったばかりの女性の先輩から、「日本って、スペインぐらいがちょうど身の丈に合った感覚なんじゃないかと思う」と言われたことも、話しながら思い出した。「世界第二の経済、なんてがんばるから、つらくなっちゃうのよね。スペインって、過去には大帝国だったこともあるけど、今は没落してそこそこの経済規模で、生活レベルはそれなりに先進国で、それなりにのんびりしてるじゃない。あれぐらいが、ちょうどいいように思うのよね。」という話に、私も相槌を打った。

このリストに、「ドイツ」とか「オランダ」を加えてもいいだろう。それぞれに、似ているところがあり違うところがあり、とにかく「英語圏じゃないが、安心感のある先進国」という感覚。ただ、日本にとって不幸なのは、フランスやドイツやスペインのように、長い歴史にわたってお互いにいがみあったり協力したりしてきた「兄弟」みたいなちょうどいい仲間が近隣にない、「孤高のマイノリティ」であることなのだけれど。

世界第二の大国という地位はまもなく過去のものとなる。これまでだって、どうせ日本の外では、日本が世界第二のGDP規模だと知らない人のほうがはるかに多い。人口が多いから、フランスやスペインよりは経済規模が大きいのは仕方ないけれど、「ジャパン・パッシング」とか言われつつ、一昔前の経済摩擦時代に比べれば、このぐらいの「low key」(地味)がちょうどいいのかも、と思ったりもする。

ただし、これはたまたま、「外国人観光客誘致」という観点から始まった会話であり、「IT産業」だとか「教育」だとか「政治」だとか、別の観点から、日本がこのままでいいのかという話とは全く別ではあるのだが。

たまたま、くだんの「論争」に関して、こんなエントリーを読んだので、思い出してちょっと書いてみた。

もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい | フランスの日々