キャンプのパラドックス
アメリカ人はキャンプが大好き。でも、我が家は、私も亭主も日本人で、キャンプには縁がなく育ってきており、キャンプというとテントとか用具を揃えて・・・と考えるだけで面倒になってしまうクチなので、これまでアメリカに住んでいてもほとんどキャンプをしたことがなかった。しかし、子供が、学校でアメリカ版の林間学校のようなものをやったり、お友達に誘われて一緒にキャンプしたりするうち、キャンプ大好きになってしまい、どうしても行きたいというので、この週末は「ミニ・キャンプ」に行ってきた。
なんせ面倒がりの親なので、ヨセミテとか本格的に遠くまで行くのは面倒ということで、コスタノアという、ハーフムーン・ベイとサンタクルーズの間にある、海岸沿いの小さいキャンプ地、我が家から車でせいぜい1時間もあれば行ける場所だ。とはいっても、そのあたりは有名な「ハイウェイ1号線」沿いの絶景の地であり、ゆるやかな丘が海に迫った、人里離れたところでもある。ところが、行ってみて奇妙なことに気がついた。
「キャンプに行く」といえば、私など、人里離れた自然の中に、自分たちだけポツンとテントを張り、林で薪を集めて飯ごうでご飯を炊いて・・というイメージをもっていた。子供の読む「しまじろう」の雑誌に出てくるキャンプもそういう描写だし、テレビなどで見るイメージもそういうものだったから、私もそういう「人から離れる」ことだというイメージを持っていた。
しかし、実際はそうではない。考えてみれば、勝手に林の中で焚き火などして山火事になったら大変だし、熊に襲われてもどこにいるかわからない人を救助するのは大変だから、森林を管理するほうからしたら、勝手なところにはいりこまれるのは困る。だから、(少なくともカリフォルニアでは)やたらめったらなところでキャンプしてはいけないはずで、だから、「キャンプ場」というのがあちこちにあり、自分でテントを持ち込むにしても、キャンプ区域を予約して行く。そうするとどうなるかと言うと、キャンプ場には、キャンプをする人たちがいっぱい集まっているのである。
今回のコスタノアは小ぢんまりしたキャンプ場だが、夏の真っ盛りでもあり、ほとんどすべてのキャンプ区域は満杯。私たちは、自分でテントを持っていないので、キャンバスのテントで作って中にベッドを備えている「テント・キャビン」というのに泊まったが、これもまたほぼ満杯。キャビンの前にある安楽椅子に座って本など読んでいると、まわりは人がいっぱいうろうろ歩いている。子供たちは自転車でその辺を走り回っている。キャンプ場の入り口には、売店とレストランがあるが、そこに行くのにみな歩くか自転車で行く。人里はなれているので、その中に宿泊している人と働いている人以外はまずはいりこんでこないので、なんとなく安全な気がして、子供たちに「その辺で遊んでおいで」とか、「売店行ってこれ買ってきて」などと言っても大丈夫な気がする。
売店とレストランのある一角には広場があり、公園にあるような遊具と、野外用大型チェスが置いてあり、子供がたくさん遊んでいる。レストランで親二人はワインテースティングをしている間、子供たちには「外で遊んでおいで」と言えば、知らない子供とチェスをしたり、一緒にブランコで遊んだりしている。
「んん?これって、どこかで見たことがある風景だな・・・?」
とふと思った。そう、まるで「日本」なのである。
「アメリカ」と一般化することはできないだろうが、我が家の近くでは、公園に子供を連れて行ってもあまり人がいないので、子供同士を遊ばせようとすると、知っている人に電話をかけて集まる「プレイデート」をしないといけない。家の前の道路は、車はとおるが、人は全く歩いていないのがデフォルト。たまに犬を散歩する人やジョギングする人はいるが、そういう「目的」のない人がウロウロ歩いていることはまずない。歩いていける距離に店がないので、買い物は車でないと行けず、子供がお使い、というのはできない。特にセットアップしない限り、そもそも滅多に人に会わない。人と人の間の距離が遠い。
でもここでは、人口密度が高く、人がそのへんを歩いていて、広場には子供が集まっていて、子供も一人でその辺を自転車で走っていて・・・
ひょっとしてアメリカ人は、「人から離れる」ためでなく、「人と触れ合う」ためにキャンプに行くのかな・・・という、奇妙な感じがした。人里離れたところに行く「キャンプのパラドックス」だな、と思ったのである。