ニッポンの新しい常識 - 「電車は遅れてもよい」
日本滞在を終えてアメリカに帰ってきた。今回、日本滞在中に一番驚いた前との違いは「電車が遅れる」ということだ。
ずっと住んでいる人にとっては、別に目新しい現象じゃないのかもしれないが、私にとっては郊外に長いこと滞在するのは一年ぶりで、昨年には気づかなかった点なのである。仕事で出張に行くと、都心に泊まって地下鉄で移動する。3月に出張に行った時点ではそういうことに気づかなかったので、都心と郊外電車の違いなのか、時期の違いなのかはよくわからない。
なにしろ、今回の滞在中、数回JRを利用したが、毎回、なんらかの遅れがあったのだ。最初は、人身事故で30分近く遅れていた。遅れ、といってもその前の電車から遅れているのが次々来るので、それほど不便ではないのだが、なにしろ電車の到着を知らせる電光掲示板に「遅れ」という赤い字が出ているのを、なんだか初めて見た気がした。でもまあ、人身事故ならしょうがない。
ところが、次に乗ったときは、何も理由もなく「4分遅れ」とか、また赤い字で書いてある。その次も、またその次も、自分の乗る「上り」でなく、反対ホームの「下り」が遅れている、といったケースまで含めると、とにかく毎回なんらかの遅れがあったのである。
しかも、最後はまた「人身事故」というアナウンスだった。
ふうむ、これはどういうことだ??今になって急に人身事故が増えたワケでもないだろうから、今までは、遠いところの路線で事故があって玉突き式にあちこちの路線が遅れそうになっても、途中で無理やり調整して遅れないようにしていたのが、このごろは無理やり調整というのをやめた、ということなんじゃないか、と思った。
つまり、JR西の例の大事故の影響なのだろう。事故を起こすよりも、遅れたほうがいい、というように、「運用」の基準が変わった、ということなのだろうと思う。
私がたまたまこういうケースに多数遭遇したのかと思い、念のため日本の家族にも聞いてみたが、本当にそうらしい。会社で「電車の遅れのために遅刻します」という人が、このところものすごく増えている、と言っていた。
そうかー、「電車は遅れてはいけない」という暗黙の了解が、「電車は遅れてもいい」というふうに変わったんだな。日本の「世論」も、あの事故を見て考えが変わり、「遅れる」ということが暗黙の了解になったんだな。で、電車が遅れるなら、自分も会社に遅刻するのは仕方ない、ということになった。
遅れるのが当たり前のアメリカ暮らしの私としては、まー普通になったな、というぐらいしか思わず、むしろ、かなり長いことそこに住んだのに、この駅の電光掲示板で『遅れ』という赤字を見た覚えがそーいえばない、ということのほうが、私には改めて驚きだった。
ということで、「暗黙の了解」が形成されれば、一気に基準が変わる、いつものニッポンのパターンなのであった。