日本の新しい「議論の分かれない目標」

例年のように、夏休みで日本に来ている。前回来たのが3月だったので、4ヶ月ほどしか経っていないのだが、前回「こんなだったかな?」と疑問に思う「大流行現象」があるのに気がついた。それは「エコ」である。

洞爺湖サミットのせいもあると思うが、テレビでも新聞でも、企業はみな「エコ」一色だし、100円ショップでは「レジ袋がいるなら6円」と言われる。日本の家族もお買い物のときは「マイバッグ」をちゃんと持参している。お土産を手渡すときも、アメリカ式のむきだしのままでも「最近はあまり包装しないほうがいいのよ」と言われて、ホッとしたり。

私の本「パラダイス鎖国」の中で、「日本人は議論の分かれることをやるのが苦手」という話を書いたが、「エコ」というのはポスト高度成長期にはいってから久々に登場した、誰もが賛成しやすい「議論の分かれない」大型目標のようだ。

地球環境への懸念が理論的背景であるのはもちろんだが、オジサン・オバサンたちが得意な「もったいない」の精神やそのスキルが存分に発揮できるのも嬉しい。企業も、オイルショックのときに省エネ車で大躍進した時代を思い出すのか、「エコ」はチャンスと頑張っている。

こういうふうになると、日本人は強いような気がする。

アメリカでは、カリフォルニアはエコ意識が強いけれど、産油州のテキサスでは原油高で大もうけしている会社も多く、必ずしも「エコ」が全国的な「善」にはなっていないだろう。中国やロシアなどの新興国でも、資源国が多く、一筋縄ではいかない。でも、日本は基本的に純資源輸入国なので、産業もそれに最適化されていて、全国的に「エコ」でOKということのようだ。

日本ではシンプルに「エコ」が議論の分かれない目標になって、産業の元気が回復するならばそれはよいことだが、これでまた、「議論が分かれることを少しずつでも先に進める」ために体質改善をする、ということが忘れられてしまうかも、と思うと、それもまた心配なことだと思う。いつまでたっても、外から吹いてくる神風頼みでないと、産業が動かないからだ。