企業の「成長という幻想」

久しぶりに、金融関係のスモール・ビジネスを立ち上げようとしている友人(↓女です、念のため)と電話で話した。日本株の人気がないとか、昨年日本の株式市場は世界の株式市場52中、51番目の成績だったとか、日本じゃ投資先がなくて企業でキャッシュが寝ている、という話の流れで、こんな会話になった。

友「だからさぁ、成長しない安定した『キャッシュカウ』(じっとしていてもミルクが出てくる)になったら、そのお金は配当にして株主に還元すればいいのにさー、日本の企業はそれもしないから、投資家はぶーたれるわけヨ。」(当たり前のことを知らん素人に向かってめんどくさそうに説明する友)
私「そー、そーなんだよねー!」(実は目から鱗のくせに、いかにも前から知ってたように返答する私)

そりゃ、そうだわ。

ときどき、日本企業の戦略話を聞いていて、どーもしっくり来ない気分になることがあるのは、そういうことだ、と合点がいった。もう産業としては成熟産業なのだから、「成長、成長」とあせらなくてもいいんじゃない?少し前までは、団塊の世代がたくさんいて、どうやってその人たちを食わせるかということで苦労していた伝統的大企業も、彼らが卒業してもう手を離れた(完全にそういうことでもないのだが、一応・・・)のだから、もう楽隠居して、企業の寿命が尽きるまで、安定したキャッシュカウになったらいいんじゃない?と思うことがあるのだ。

私の本「パラダイス鎖国」では、「成長戦略」のほうの面から「終身雇用の罪」について書いたけれど、実はこちらの「楽隠居戦略」も日本の企業ってダメで、その意味でも「終身雇用」に罪があると思っている。本では字数が足りなくて(10万字でも足りなかった・・・)、書けなかったけれど。

これも、本の中でも書いた「これまでの成功体験に引っ張られて、成長戦略がやめられない」「これまで楽隠居の身分になったことがなかったので、どうすればいいかわからない」ことなどが影響しているだろう。「楽隠居戦略」では、若い人に対するイメージが悪くなって採用に悪影響があるとかなんとか、言いそうだけれど、そもそも「安定した地方公務員」とか(昔なら)「安定した銀行員」になりたい若者がいっぱいいるんだから、別にいいじゃないの。

隠居フェーズの産業は、どんどん統合して競争を減らし、安定してはいってくるキャッシュは、投資家へのお小遣い(配当)や、若い産業への教育投資(ベンチャー投資)などにまわせばいい。自前で無理やり、体に合わない新しいことをやろうとする必要はないんじゃないか。また、政府やマスコミも、なんでもかんでも「競争、競争」といわなくてもいいんじゃないか。

それで、がんがんベンチャー興して儲けたい「変人」組は、そういうお金もらってベンチャーを興して頑張り、安定志向の人は、安定した隠居会社で、そこそこ給料もらって、ノルマだの締め切りだの、ありもしない成長ビジネスづくりだので消耗させられることもなく、子供の相手や家庭菜園や地域ボランティアなどする時間がたっぷりある、という生活はいいと思うよ。

さらに言えば、そういうお金は「社会的事業」に還元してもいいんじゃないかと思う。それも、ハコモノつくったり、芸術品を買うとかいうだけじゃなくて、例えば、私がよくブログに書く、学習障害の子供だとか、もっと深刻な障害児へのケアなどが、日本はアメリカより全然貧弱なので、そういうことをやる、とかどうだろう。政府の仕組みでできないことを、企業や裕福な個人がもっと堂々とできるようになれば、こうした社会事業ももっと機動的にできるだろう。

貧乏な時代が長かった世代は、お金がたくさんあるときの使い方が下手なのかもしれない。

また話がそれてきたが、とにかく、「企業は成長しなきゃいかん」というのは、幻想だ。みんながみんな、成長する必要はない。企業も産業もいろいろ。むりやり延命するより、若い芽が出てくるのを育てるような仕組みに変えていくほうがいいと思う。

<追記>
下記、小飼弾さんのトラバ先に、このカラクリの解説があります。ありがとうございます。また目から鱗が落ちました。↓