「大人」と「ウェブ世代」のはざまで考える

今朝読んだ日経新聞で、「2006年エコノミストが選ぶ経済・経営書」の第二位に、梅田さんの「ウェブ進化論」がはいっていた。ご自身でも「驚いた」とブログに書いておられるが、私も「へぇ〜!」とつい思った。推薦のことばとして、「知力ある日本の大人たち」にウェブ世界のエッセンスを教えてくれる、とあるのが面白い。私と同世代の梅田さんが果たしている役割、とくに「大人たち」からどう思われているかが、よくわかる。「大人たち」と「ウェブ世界」に住む若い人たちの間にはさまれた世代の立ち位置、と言っていいかもしれない。

「世代」ということを強く意識するようになったのは、単に年を取ったからなのか、それとも子供たちがだんだん自分よりも強くなっていくのを日々見ているからなのか、よくわからないが、比較的最近のことである。私は、ちょっと上の団塊の世代にもはいらないし、いわゆる「U35」(35歳以下)の新世代にもはいらない、中間の世代に属する。クドカンのセンスにはちょっとついていけないが、綾小路きみまろの適合世代でもない。世代全体としては、あまりパワーを持たないグループと思われているようだ。

このところ、同世代の女友達との間で、「私たちの世代の男って、ダメよね・・」という話が時々出る。酒飲み話でもあり、自分たち女性に関しては単に棚に上げているので、要するに「自分たちの世代ってダメ・・」ということと思ってよいだろう。ある友人は、日本人もアメリカ人も含む数多くの人にインタビューして記事を書くことを仕事にしているのだが、この彼女がそう言うのである。20代や30代前半の若い人たちのほうが、それより上の世代よりも、しっかりした考えを持っていて、受け答えもきちんとしている、という。

私の両親は、昭和ヒトケタ世代で、子供のころ作られた価値観が、10代で完全にぶっこわれるという経験を経てきた。それで、ウチの母はよく、「自分たちの価値観や子育て哲学には自信がない」ということをよく言っていた。こういった価値観のトラウマが、次の時代のきちんとした別の体系の価値観へと置き換わるには、おそらく一世代以上がかかるのだろうと思う。自信のなかった親世代に育てられた私も、また中途半端な価値観の中で育ってきたのかなぁ、と思う。旧時代的な、権威に服従する傾向とか、物質主義・消費社会への不安とか、そういったものを多少ひきずっていて、今はabundance(モノが豊富にあること)を前提として、何がいいことか悪いことかの判断をすべきなのに、スパッと割り切れず迷ったりする。一方、U35の人々は、それができるのだろうと思う。

アメリカは日本よりも一足先にabundanceの時代にはいって、ちょっと時代的には日本とずれているかもしれないが、まぁ、ものすごく大雑把にいうと、前述の友人の述懐は、そういうことなのかな、と思っている。

それで、まだ上の世代との共感が少し残っている私たち世代が、なにかと新世代のコトバを旧世代向けに訳してあげてるのかな、と時々思う。たまたま、梅田さんや私が職業的にそういう仕事をしているからだけかもしれないが。

異なる世界をつなぐ役まわりというのは、例えば「メディア」と「テクノロジー」の間をつなぎ、突破口をつくったスティーブ・ジョブスのように、独自の役割がある。単に間にいるだけではダメで、ジョブスや梅田さんのように、両方からリスペクトされる存在にならないといけない。ということで、これが、今日の自分への戒め。