アニメと邦画に見る、テレビ局の立ち位置の違い

残念ながら、「ゲド」も「ブレイブ」も「時かけ」も「日本沈没」も見られていないが、趣味の邦画ブログサイト(いずれも英語)でこのあたりの日本での趨勢を追いかけている私には、このところとっても面白いエントリーが相次いでいる。

「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代 | デジモノに埋もれる日々
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/08/07_061846.html

特に、テレビ局が日本の映画業界に及ぼす影響について興味を持っていて、このポイントについては最近かなり熱心に書き込んでいて、私のブログをよく参照してくれるアメリカのアジア映画ブログでも、このあたりのビジネスモデルをだいぶ理解して興味をもってくれている。さらに海外の日本映画ファンにとっては一応見ておかなければいけないジブリ作品ということもあり、今日も、「夏のアニメ天王山」で、テレビ局勢(「ゲド」と「ブレイブ」)がそこそこ売り上げは上げているものの、ネット上の評判から言うと圧倒的に「時かけ」が勝っている、という話を、上記二つの記事などを参考にさせていただいて書いた。

私の感じとしては、切込隊長さんより、デジモノさんの論調に同感している。まだまだ、テレビを中心としたメジャーメディアによる大量エクスポージャーの影響というのは強いけれど、若年層向けのコンテンツになればなるほど、対象のお客さんはそれとは別の「ネット世論」の影響を受けやすい。ジブリの作品でも、まだウン十億円の売り上げがあるとは言え、「千と千尋」以降は徐々に下降線のようだし、長期トレンドで見れば、「テレビの大量エクスポージャー集中投下」のパワーというのは、相対的に下がっているのではないかとも思う。

一方、「切込隊長」さんのおっしゃる、

重要なのは商売なのであって、その商売の枠内でいかに良いものを作るかという商売人根性の喪失がコンテンツの無限消費、短命化に繋がっているんだろうと思う。


という点、同感しながらも、映画という観点では、ちょっと違う感じ方をしている。

たまたま、昨日、ようやく当地の貸しビデオ屋に出ていた「SHINOBI」を借りてきて見て、(というのも、英語の日本映画ブログで話題になっているものは、一応押さえておかなければならない、と思ったので・・)最近ニューヨークで見た「Always - 三丁目の夕日」や、こないだ日本で見た「LIMIT OF LOVE: 海猿2」などと比べ、うーむ、といろいろ思った。

フジテレビを中心とする、テレビ局の映画展開戦略に対しては、熱心な映画ファンや専門の評論家の方々などを中心に、「大衆迎合」「お金だけがすべてか」みたいな批判が多い。しかし、私個人としては、やっぱりお金のかかっている「Always」(日本テレビ)や「海猿」(フジテレビ)は、一昔前の貧弱な邦画に比べて、断然面白い。まぁ、私は映画といってもあまり芸術的なのは好きじゃなくて、かっこいい俳優がかっこよく演技していて、面白ければいい、という「大衆ファン」に過ぎないのだが、映画というのはもともと大衆文化なのであって、わかりやすくて豪華で面白いものが受けてナニが悪い、と思う。

ただ、単に「お金」だけじゃないのだ。ハリウッドは、最近やたらお金をかけたCG物が多いけれど、どうもツボをはずしていて、日本では今年特に、ハリウッド映画は低調だ。「SHINOBI」も、新型の「映画ファンド」で資金調達しておそらくはそこそこお金もかけていて、ワイヤアクションやCGをふんだんに使ってキレイにできていて、登場人物の名前が出る字幕は最初から横文字もはいっていたりして、「アメリカに売ろう」という意欲はわかるのだけれど、やっぱりどこかツボを外している。(アメリカに売るためなのだろうが、あまりに中国映画のマネッコが見え見えで、主役の仲間由紀恵が顔も髪型や服装も表情もチャン・ツィイーにあまりにそっくりだとか、それなのに中国モノよりアクションが質量ともに貧弱だとか、くそまじめにやっているのに「お、今度はX-Menか」「お、ポケモンの『ルージュラ』が出たぞ」などと、ついツッこみたくなってしまうとか、場面構成が薄くて印象があまり残らないとか・・・チャン・ツィイー仕様の仲間由紀恵の雰囲気は、美しくてなかなか良かったけれど)一方で、昨今は「寝ずの番」や「かもめ食堂」など、独立系の低予算映画も、面白ければ、ネットの伝播力で従来をはるかに上回る数の観客を集められるようになっている。「Wisdom of crowd」という流行り言葉もあるほど、大衆はそんなにバカじゃない。テレビ局は、ヤラセばかりで成功しているわけではないだろう。

いろいろ言われるけれど、やっぱりテレビ局で毎週毎週、大量のコンテンツを作っているスタッフやプロデューサーのほうが、のんびり芸術映画を作っている伝統的な映画監督よりも、「どこを押せば大衆が喜ぶか」というツボを心得ているように思う。長年の邦画低調の間でも、そうやってスタッフを育ててきたテレビ局が、人材と資金を映画に投入しているのは、なんだかんだ言っても、日本の映画界にとってはいいことのように思うのだ。

テレビ局の中でも、おそらくトップのフジテレビは、ネットとのかかわりの中で、今のような高価な広告で成り立つ寡占体制のテレビ業界の体制が、未来永劫続くと思っていないのかもしれない、と思う。あるいは、ちょっとアングルは違うが、NTVも似たような危機感を持っているのかもしれない。

例えば、同じ「海猿」というテーマでも、テレビドラマだけならば、広告とある程度のDVD販売という、普通のドラマのビジネスモデルに過ぎないけれど、それを映画に展開することで、劇場公開→DVD→うまくいけば海外でも販売、といった、新しいパッケージ販売ルートが可能になる。以前に書いたように、映画というのは、長年かけてできあがってきた、「映像の世界デファクト標準」だから、劇場のチケットでも、DVDでも、お客がこの金額なら払ってもいいか、と思える価格水準と分量に収まるようになっている。(ドラマでもDVDはあるが、6枚組とかのboxものになって、余程のファンでないと、買うには高すぎる)ステータスも少々違い、映画であれば、かなりマイナーな邦画でも世界の巨大映画データベースIMDbにちゃんと英語で収録されて、ある程度のデータが残って検索もできるけれど、ドラマではそれがない。(このあたりも、世界標準という意味の一つ。)いろいろな面で、ドラマより価値が長続きするような再利用の仕組みがある。(アメリカでは、それが徐々に崩壊しつつある、という話もあるのだが、それはまた別の機会に・・)上記、切込隊長さんの言う「短命化」と逆の方向に行っていて、商売人根性がうまく回っているように思える。

たとえばフジテレビは、まだ「大量集中投下」戦略がそこそこ使えるうちに、映画を通じて、芸能プロダクションでなく自社の影響力下にある「キャラクター」を育て、従来の広告モデル一本やりとは違う「エコシステム」を作ろうとしているのではないか、と思っている。日本のテレビ局は、「ポケモン」などのアニメのキャラクターを定着させ、関連グッズやゲームなどの多様な商売に展開する「キャラクター戦略」が得意で、これはアメリカのテレビ局にはない強みである。(アメリカのテレビ局ほど、番組そのもので儲からないから、なのだと思うけれど・・)それを、今度はアニメや着ぐるみのキャラクターでなく、生身の俳優や映画監督などでやろうとうことではないかと思っている。そのやり方を間違うと「亀田」氏になってしまうワケだが、うまくいけば、それほど超有名でもないバラエティ・タレントだったユースケ・サンタマリアだとか、それほど大物俳優というワケでもなかった伊藤英明だとかを主役に据えて、最大級のヒット映画を作ってしまうことができる。

フジテレビは、こうしたコンテンツを海外にも売りたいという意欲があるようだが、自社のテレビ・ネットワークがなく「大量集中投下」戦略ができない海外で、どのようにマーケティングをするのか、興味のあるところだ。

ともあれ、「アニメ」と「スポーツ」という、従来日本のテレビとコンテンツの花形だった分野では、ネットの影響でテレビの地位が相対的に地盤沈下する一方、従来マイナーだった映画の世界から見ると、テレビ局のやっていることが、ちょっと違って見えるのが、面白いな、と思った次第。