アメリカ人の育て方3.2 - 次の均衡点

渡辺千賀さんが、私の書いたものとも関連する、いつもながら面白い記事を書いてくださっている。ここに掲げてある、女性の就業率と出生率の相関グラフを見て、またインスパイアされてしまった。

このグラフを、真ん中あたりに横線を引いて二つに分けると、上(出生率が高い国)は、フランスという大例外を除いて、他はだいたい「ロクなもの食べてない国」ばかりであることがわかる。一方、俗に子沢山だと思われている伝統的カトリックの国、イタリアとスペインは、食べ物はおいしいが一番出生率も低い。

またメシの話か、と思わないで、どうかもう少々おつきあいを。

就業率と出生率の相関は、直接の因果関係があるというより、

女性の就業率が高い≒女性の社会的地位が高い

→「女が家庭を守るべき」という価値観が弱い≒女性にも子供にも多様性を認める
→「あんたもちょっと手伝いなさいよ」と亭主に言いやすい、または亭主が最初からそれが当然だと思っている≒母親の負担低下
→職場や社会のしくみもそれらの前提をもとに作られている(亭主が子供の病気のときに会社を休むのは当然、ちょっと変わった子供でも平気でやっていける、とか・・)

   ↓
育児に対する閾値の低下

という間接的な図式のような気がする。

「親に甘〜いアメリカは高出生率」で引用した竹内久美子さんの論にあるように、「食べ物に対する要求水準」と「女性に対する伝統的規範の強さ、家事負担の重さ」というのは、かなり相関関係が高いと思う。先進国ではどこも、女性の教育の向上に伴って、女性の趣味や自己実現の欲求が高くなるが、米英北欧など「家事負担がもともと少なめな国」というのは、それに比較的早く対応でき、次の段階である「母親の負担低下、育児閾値の低下、出生率の向上」という、新しい均衡点に到達しやすかった。それに対し、家事負担が多かったり伝統的規範がなかなかなくならない国では、「次」の段階になかなか進めない、ということではないかと思う。

フランスは食事はおいしいけれど、政府や女性自身の「自由化」努力によって、必死に頑張って、現在の均衡点まで来ている、ということになるかな。一方、少子化が深刻なのは、南欧や日韓シンガポールなどのアジア先進国、ロシアや旧ソ連邦の共和国など、割と最近になって、旧式の価値観が急速に崩壊した国々、ということになると思う。

日本でも、ストレスの多い東京だけでなく、地方でも少子化が進んでいるということは、伝統的価値感が崩壊しただけで次のものが出来ておらず、女性の自己実現欲求だけが高くなったのに地位は低いままだから、ということだと思う。ものすごく勝手に身近な例をとると、私の地元は東京ほどストレスが多くないし、田舎ほど嫁に厳しくない、ホドホドの近郊で、外国人が多かったりして割と先進的な土地柄である。ここでは子供が多くて大変で、小学校が年々膨張している。一方、亭主の実家はもうちょっと旧式規範が強い地方で、子供の数はよく知らないが、ご老人の介護問題で、旧来の「ご近所」や「檀家さん」の付き合いがなくなった一方、「それじゃぁちゃんとしたホームに入れてケアを・・」という割り切りもできない、宙ぶらりんで家族が孤立して大変な目にあう、という例を聞いた。

つまり、少子化対策とは、「昔に戻る」「女性の自己実現欲求を抑えこむ」ことではなく、「先に進むこと」「女性の社会的地位を引き上げること」により、次の均衡点に進む、ということだと、思うわけだな。私は。「女性が高学歴化して子供を産まなくなった」という現象に対し、「昔、子供が多かったころはこうだったから、そういう状態に戻すにはどうするか」じゃなくて、「それはそれでいいことにして、次に進もうよ」と考えたほうが現実的だと思う。で、日本における均衡点が、アメリカと同じである必要はない。「ピーナツバター・サンドイッチ」じゃなくて「トーフのぶっかけゴハン」でもいいし、均衡点が違う場所にあってもいい。でも、とにかく、昔に戻るという発想では、新しい均衡点は見えてこない。

「女性が仕事に就く」ということと、「女性の地位が上がる」ということが、どっちが原因で結果なのかはよくわからないが、まぁとにかく、それに向けていろいろやってみるしかない。でも、なにしろ変わるのが嫌な日本のこと、今から頑張っても、次の均衡点に達するまで、まだ2世代か3世代、かかるのかなぁ・・・

もう一つ、千賀さんの話に反応したかったのだが、疲れたのでそちらはまたあとで。