アメリカ人の育て方2 --- 豊かな時代に子供を育てるノウハウ
相変わらず、日本ではニート問題などに対し、「食うに困らぬ豊かな時代になって、ハングリー精神がなくなった」とか、「日本人の心を失ってしまった」とか言う人たちがたくさんいる。まぁ、今に始まった話ではない。私が子供の頃も、親や先生の世代から、「あなたたちは、戦争の苦しさを知らないからダメだ」とか言われて、「おーそーかい、じゃぁ私たちをちゃんと教育するために、戦争を起こすのがいいのかい!」とめちゃくちゃ反感を感じたものだ。
要するに、これだけ平和でみんなが豊かな時代というのは、日本の歴史上なかったから、そういう世の中でどうやって子供のモラルを育てればいいか、というノウハウがないだけだろう。どうすればいいか自分の頭で一生懸命考えずに、豊かな時代のせいにしたら、豊かな時代に申し訳がないじゃないかと思う。
アメリカは、日本よりも豊かな時代が長いので、それなりにノウハウがいろいろと蓄積されていると思う。もちろん、アメリカの中にも貧しい人は多いが、全体としては世界一豊かな国である。それなのに、昔も今も、進取の精神に富んだイノベーターが次々と輩出される。ハングリーな移民の流入が新しい血を常に循環させている、という面もあるが、それだけでは説明できない。やはり、中流以上のごく普通のアメリカ人に、一生懸命働いて自分の生活も世の中もよくしていこうという、その精神を育てるノウハウがあるのだと思う。それは、しばしば日本でネガティブに引用される「弱肉強食の競争」や「容赦ないお金本位主義」だけでは決してない。
働くことに対するインセンティブに話を限ると、いくつか最近、「なるほど」と思うことがある。
1)募金集め活動:モノを売る活動ももちろん多いのだが、ここで取り上げるのは、「なんとかソン」というやつである。よく、エイズや乳ガン撲滅運動とかの資金集めのためにやっている、「このイベントの日に、自分は何マイル走ると約束するので、1マイルあたりいくらか寄付してください」といって募金を集めるやり方である。初めは、なんだかよくわからなかった。この人が何マイル走ろうが、私の利益になるワケでもなく、エイズ撲滅の役に立つわけでもないのに??と、この走る人の苦労と私の寄付行為というのが感覚的に結びつかなかったが、長年見慣れるうちに、なんとなくわかってきた。この「なんとか」の部分にはいろいろなものがはいる。先日、息子の学校でやっていたのは「read-a-thon」という。子供が期間中に読む本一ページあたりいくら、と親や知り合いからあらかじめ「約束」をもらう。子供がたくさん本を読めば、それだけたくさんの寄付金を集めることができる。集まった寄付金は学校の図書の購入に使う。で、学校中で一番たくさん寄付を集めた子供は、新しくできた図書館のテープカットをやらせてもらえるとか、クラス合計で一番多かったクラスは一日宿題免除(笑)とか、そういうインセンティブがつく。ストレートに自分のお小遣いに反映されるワケではないけれど、努力したものが別の「気持ちよい」成果となって、はっきり見える。単なるお金を集める仕組みとしてだけではなく、努力すれば自分が気持ちよくなる、というポジティブ・フィードバックを覚えさせるうまいやり方だな〜、と最近思うようになってきた。そして、もちろん、伝統的にアメリカ人のよい部分である、コミュニティ活動や慈善活動に関する認識(awareness)を高めることにも役立っている。
2)ベビーシッター:アメリカの高校生の間で、最も一般的なアルバイトは「ベビーシッター」である。ベビー、といっても本当の赤ん坊はあまり高校生には預けないが、幼稚園・小学生ぐらいの子供を見てもらう。高校生ぐらいだと、定期的な仕事でなく、金曜の夜に両親が食事に出かける間数時間見てもらう、といったケースで、近所の知り合いの家の学生さんに頼むか、近所の学校に張り紙を出して募集するか、という「ご近所ベース」が普通である。日本でも、高校生のアルバイトの口はいろいろあるのだが、コンビニやファストフード屋などの「商業ベース」のものが多い。アメリカでは、ちゃんとした家庭の子供は、商業ベースのアルバイトでなく、「ご近所ベース」のベビーシッターをやるのが普通だ。男の子もやる。ウチの子供たちのように元気すぎる子供だと、元気な高校生のお兄さんに何時間か遊んでもらうのは大変ありがたい。高校生でも、何か買いたいものがあったり、「サッカーの遠征に必要な費用を稼ぐ」という理由があったりすると、こうして一生懸命働く。10代の頃から、働いてお金をもらうだけでなく、子供に親しみ扱い方に慣れるという利点もあり、またきちんと仕事をするという責任感や信頼関係の大切さを学ぶこともできる。「あそこのウチの誰それは、時間通りに来なかった」とか「きちんと言われたことをやらなかった」とかいうことになると、ご近所ですぐに評判は知れ渡り、次からは仕事が来なくなるし、逆に評判がよければどんどん仕事が来る。この風習に関しては、是非日本でも採用したらよいと、以前からずっと思っている。
なかなか具体的な例が出てこないが、まぁなにしろ、小さいうちから、お勉強以外のいろいろなところで、ポジティブ・フィードバックを体内に埋め込むための小さな活動をいろいろと積み上げているような気がするのだ。別にアメリカのやり方をそのまままねする必要はないが、今の時代をどんなに嘆いても牧歌的な昔(で、実は思い出が牧歌的なだけで、実際はかなりヒドかったりする)は戻ってこないのだから、嘆いている暇があったら、何をすればよいか、私たち大人が自分の頭で考えなければいけないと思う。