通信の経済学と政策の時代認識

久しぶりにバリバリのテレコム話を書く。

日本で、NTTの再々編だか再々々編だかの可能性を含む、通信の競争政策論議がまた盛んになっているようだ。日本の論議の詳細は置いておくとして、その時によく引き合いに出される割に、ちゃんと説明されているのを報道で読んだことがない「アメリカの通信政策」について、私の考えを書いておきたいと思う。

マスコミでは競争競争と言うが、競争だけでは価格は下がらない。

通信に限らず、どの業界でもそうだが、独占企業が過剰利潤をむさぼっている場合には、競争相手を導入すれば価格を下げるのに有効だ。しかし、ある程度利潤が適正なレベルに落ち着くと、あとはいくら競合企業がたくさんあっても価格は下がらなくなる。

経済学の基礎の基礎、価格は需要と供給のバランスで決まる。今のご時世、ほっとけば通信インフラの需要はどんどん増えていくのだから、供給をどーんと増やさない限り、価格は下がらない。提供者が競争で設備を建設すれば供給が増えるのが普通だが、そうはいかないこともある。

日本の通信産業は、過剰利潤を吐き出し終わった状態にあると思う。その証拠に、携帯電話会社も固定電話会社もどんどん数が減っている。確かに、料金水準はまだアメリカなどと比べて高いところもある。しかし、それはNTTの抱える特殊性のためである。例えば、ドコモはこの10年の間に、斜陽産業になりつつある固定電話本体の人員を数千人単位で何度も受け入れただけでなく、日債銀だ山一だと、縁もゆかりもない会社がつぶれれば、その従業員を次々と受け入れた。お腹もすいていないのにエサを食べさせられ続けるフォアグラ用のカモみたいなものだ。それだけの人を食わせていくには、あの料金水準は仕方ないのだ。その役割を国家から期待されているし、だからマスコミはドコモを叩かない。先週書いたネット企業と雇用の話と、ちょうど対極にある立場なワケだ。(ついでながら、日本における品質水準がアメリカと比べてめちゃめちゃ高いことも要因と思う。)

一方で、一時は一つの地域でPHSも含め7社がひしめいていた携帯電話キャリアは、4社に集約された。利潤が吐き出された結果である。

さて、本題のアメリカの話である。アメリカで競争政策が本格的に導入されたのは、ご存知1985年のAT&T分割のときである。詳しい話は以前に別のエントリーで書いたので、経緯はこちらを参照してほしい。このときは、光ファイバーの商用化により、長距離部分の供給が激増し、回線あたりコストが何百分の一とかのレベルで劇的に下がったので、ここに膨大な過剰利潤が発生した。しかし、各家庭やオフィスに引き込むローカル回線ではこうしたコスト低下がなかったので、長距離部分だけを切り離して競争を導入することで、この部分の過剰利潤を吐き出させたのだ。

その後、90年代前半にはある程度落ち着き、一時は料金は上昇気味のフェーズがあった。しかし、90年代半ばに再度長距離部分の供給爆発が起こる。DWDMの商用化である。ただでさえ回線コストがまた下がったのに、折しもインターネット・ブームの初期の頃で、また新興キャリアが雲霞のごとくわいて、供給が爆発した。しかし、このときもローカルのコスト低下はまだ起こらない。

にもかかわらず、当時民主党政権だった米国政府は「今度はローカルの競争をやらせなきゃ」と言って、1996年通信法改正を行う。技術的なコスト低下がないにもかかわらず、インフラを持っている既存大手キャリア(ベル会社)にホールセールを義務化して、安く売れと言ったわけだ。ただでさえコストが低くなっていないのに、価格水準を人為的に安く設定されてしまったので、競争相手が本気で参入するはずがない。供給は増えない。ベル会社が、リテールで買おうとした競合相手に意地悪したというだけの話ではないのだ。

そのうち、バブルが崩壊する。電話会社は軒並みどこも苦境に陥る。そこでちょうど、「大企業の味方」共和党政権となった。新政権は、敢えてベル系への権力集中を容認した。90年代に、SBCとAT&Tの合併は一度試みられていたが、民主党政権下では、到底可能とは思えなかった。それが今は、SBC-AT&Tと、ベライゾン-MCIという組み合わせが、いともスンナリ通ってしまう。まぁ、当時まだ元気イッパイだった長距離セクターが、今や瀕死なのだから、世の中も変わった訳だが、政策の違いという面は間違いなくある。

ローカルの競争というのは、長距離の競争と比べて、顧客一人あたりの投資が桁違いに多く必要となる。だから、資本蓄積の進んだ大企業同士でなければ、供給の増加に結びつかない。

だから、ベル系を集約させ、一方でもう一つの強力大企業かつ強力ロビー勢力であるケーブル会社も集約して、この二つの勢力間での競合をさせようということだ。このために、いろいろな形でのバックアップをFCCはやっている。ベル会社の回線ホールセール義務を一部撤廃したり、ベルが映像サービスに参入しようとするときの規制面での障害を緩和する手伝いをしたり(まわりくどい言い方で失礼、でも細かく説明すると長くなるので・・)。一方ではケーブル会社の集中抑止規制も撤廃して、IP電話進出も、がんがん煽っている。

ローカルの競争相手として、ファシリティ・ベース(設備を他から借りるのではなく、自前で持っている者同士)で対抗できるのはケーブル会社、という考えはずいぶん前からある。90年代にAT&Tコムキャストを買収した時にも、陰に陽に(というより陰に陰に、かな)FCCがあおっていたが、このときは「音声電話」しか想定されておらず、コスト・技術・単価水準が見合わなくて失敗した。今度は、ブロードバンドとそれをベースとしたトリプルプレイ(音声電話・インターネット接続・映像配信)という、単価の高い競争がようやく技術的に可能になってきたので、だいぶ勝算は高くなっている。

今、日本で話題にのぼる「回線ホールセールをNTTから切り離して別会社にせよ」という話は、だから1996年改正通信法で失敗した政策を、もっと徹底的にやれ、ということと等しい。切り離された別会社は、ホールセール・セクターにおける独占企業になる。供給が増えるワケがないだろう。

だいたい、日本の通信政策はアメリカから10年遅れている。10年遅れると、技術の現状と政策が合わなくなる。今もまさに、アメリカが10年前に失敗してやめてしまった細切れ政策を、この「end-to-end IP」「サービスの統合」「通信資本の集約」に向かっている世の中でやろうとしているように見える。

「競争」が最終目的ではない。それにより「供給を増やす」ことを目的とした競争でなければ意味がないのだ。

アメリカのようなケーブル会社の存在しない日本では、NTTとファシリティ・ベースで競争できる相手を育成するのはなかなか大変だが、日本でもKDDIへの集約が進みつつある。NTTを細切れにすることより、競合相手を統合・優遇して育成することに精力を使ったほうがよさそうに思う。