Web2.0と対立する2つの世界(その4) 先端者は常に孤独

このところ、グーグルが凡打続きである。昨年後半から、GoogleTalkは「は?何を今頃・・」という感じだったし、GoogleBaseは大山雷動鼠一匹だったし、年初のCESキーノートは「中身なし」と酷評され、そのとき発表されたCBSの番組をGoogleVideoで配信する話は、GoogleVideoのインターフェースが悪いの使いづらいの散々言われた上、CBSにフラれてしまった。さらに、中国での言論規制問題で中国政府に屈服、米国政府からのユーザー情報開示要求問題では最初断固断ったくせに実はその後こっそり開示していたらしいということになり、地元では「言論の自由を貫けないグーグル」といって反対デモをされちゃったりして、株価まで下がっちゃっている。

グーグルは、ベンチャー企業が誰でも経験する、時代の先端Web2.0の旗手/ベンチャーの雄から「立派な大企業」へのつらい通過儀礼を今やっているところなのだろうと思う。

グーグルは、上場して多くのstakeholder(利害関係者)を得たゆえに、成長し続けなければいけない。株価を高く維持しなければ、機関投資家も株式オプションを持つ地元の従業員も離れてしまう。機関投資家ポートフォリオには「成長株」として組み込まれているので、成長が止まったら外されてしまうし、そうしたら株価が下がって従業員は家のローンが返せなくなる。(「安定株」になるには30年ほど早いし。)住み心地のよいギーク世界とテキストサーチの世界は、前に書いたように意外と底が浅いので、それ以上拡大しようとしたら、普通のメディア会社として自動車会社や電話会社の巨額の広告をとるためのセールス部隊も持たなきゃいけない。または、普通のサービス企業になる道も探るべく、課金のできる有料サービスも試したりする。海外進出もしなきゃいけないので、中国で検閲を強制されればやらなきゃいけなくなる。

しかし、独特のギーク・カルチャーがなくなったら、本来の良さがなくなるので、それを保つための努力もしている。これが成功するかどうかは注目されるところだ。

「2つの別世界」観の中で、先端者の位置にいる人は、「なんで世の中、こう遅れているんだろう。でも、あと10年ぐらいして、自分たちと同じような価値観を持った人が増えれば、世の中変わるに違いない。自分たちの時代が来るだろう。」と思うかもしれない。確かに、下記エントリーで直也さんがおっしゃるように、この方たちがその力で世界を変えていくに違いない。

2006-02-09 - naoyaのはてなダイアリー

でも、10年後になって、もしあなたが「あー、いい世の中になったなぁ、自分も特別でない、進んだ世の中になったなぁ」と思ったとしたら、もうすでにあなたは先端者でなくなっている。その時点で、普通の人たちの世界に下りてきてしまっている。

先端者の世界はmoving targetである。いつの時代も、先端者は時代の大半を占める人たちとは違う世界に住んでいる。今、時代の先端を走っているホンモノのギークは、10年後も20年後も、先端者であり続ける限り、いつの時代になっても孤独であることを覚悟しなければいけないと思う。

ここまでの話は、あくまで一般市民としてのギークの話。ここまでの議論では、「先端者」と「普通の人」の二つだけに分けて話をしているが、その中でさらに「一般市民」と「経営者」というのは違う。経営者だったら、どちらに属していても、歩み寄る努力をしなければいけないだろう。先端のギーク企業経営者なら、お客さんを増やすには普通の人に支持されなければならないし、旧産業なら10年後においてきぼりを食らわないための努力を常にしなければならない。普通の主婦をバカにしてはいけないし、ギーク世界を変人たちと切り捨ててはいけない。

両方の世界が歩み寄ろうとすると、何かと今グーグルが苦労しているような障壁があるだろうけれど。

なんだか、もうほぼ完全にWeb2.0の話でなくなってきたので、このシリーズはこれで終わります。でも、関連ある話はぼちぼちと続く予定です。