アンチ・パラダイス鎖国(その8)--- 問題は大企業のパラダイス鎖国

ある日本の大企業の方とお話する機会があった。その方はアメリカで事業開発を担当されており、日本側に状況を説明して理解してもらうのが大変、とこぼしておられた。よくある話である。私も経験がある。私がNTTにいたのは、まだNTTに国際事業が許されていない時代から、ようやく許された初期の頃にあたる。

NTTにはいった当時、特にそれを強く感じたのは、その前に勤めていたホンダとの落差が大きかったからだと思う。ホンダは、海外、特にアメリカでの販売が生命線だったので、意思決定をする立場にある人は、アメリカの状況にはよく通じていた。私が担当していたマイナーな中南米ですら、その市場のことをよく知って、情報を常に入れて、相当に感情移入までしている人が社内にたくさんいて、その人たちが意思決定やオペレーションの重要な部分を担っていた。だから、話を持ち込んでもまずは少なくとも興味をもって聞いてもらえたし、ダメならダメで、納得のいくダメな理由をきちんと挙げてもらえた。

当時国内専業だったNTTで、落差があったのは今にしてみれば当然なのだが、冒頭の大企業など、大昔から海外事業を手広くやっている大企業なのである。そういう企業でさえ、もはやアメリカや海外市場には興味を失ってしまったのだろうか、とがっかりしてしまった。この企業だけではない。この種の愚痴は、アメリカにいる日本人駐在員の常態となっていると言ってよい。ホンダは例外になってしまったようなのだ。

アニメや映画ぐらいでコトが済んでいるなら、まぁよいのだが、私が危機感を抱くのは、日本の産業の屋台骨を支える大企業が、総じてパラダイス鎖国状態になっているように見えることなのである。

国内の事業が順調なので、コストのかかる海外はあとまわし、という選択肢だって、もちろんある。アメリカは大変だから、アジアで、というのも決まり文句である。しかし、世界で勝負するならアメリカを抜きにはできないのは今でも変わらないはずだ。そして、世界でのブランドを確立して、それによる規模の経済とブランドの付加価値により厚いマージンを確保するという、正統派のグローバル大企業がなくなってしまってよいのだろうか。それとも、市場の細分化やロングテール化によって、そういう大企業は存立しえない産業の状況になってきているのだろうか。

正統派グローバル企業であっていいはずの大企業で、パラダイス鎖国が進行しても、仕方ないのだろうか、それともなんとかしなければならないのだろうか?その結果として、日本経済の世界の中でのrelevancyが低下していくのも、仕方ないとあきらめるしかないのか、それとも何とか他にやり方があるのか?

最近、何かというと、「ヒルズ族→所得格差→規制緩和政策をやったのが悪い」みたいな論調が多いが、分配の問題だけなのか?本来なら日本の富の屋台骨を支えるべきエスタブリッシュメント大企業が、パラダイス鎖国に陥って世界でブランド力と競争力が低下して、富のerosionを起こしている、つまりパイの分配じゃなくて、パイそのものが少しずつ小さくなっていること、そしてそれは大企業の認識不足、努力不足、勉強不足、という話は誰も言わないのだろうか?ヒルズ族企業が日本経済全体に与える影響なんて微々たるもの、それに比べて大企業さんたちの生み出すべき富の大きさは桁が違う。やるべきことをやらなかった大企業の不作為のほうが、よほど問題なのではないだろうか?

ここまで書いて、さっき自分でなかなかいいことを言ったのに気がついた。「感情移入」これなんだな。頭でわかっているだけでなく、相手の国とそこに住む人々への感情移入がないと、この類の仕事はやっていられない。ホンダの中南米課は、多少ひどい目にあっても、中南米が好きな人たちだったから、一生懸命やっていたし、仕事が終わればみんなでブラジル酒場でカイピリーニャ飲んでサンバを踊っていた。今、アメリカの事業開発に四苦八苦している方たちも、アメリカやアメリカ人が好きで、一生懸命やっているに違いない。でも、そういう思いを受け取ってくれる人が、日本にはあまりにも少ないのだろうと思う。「アメリカなんて、携帯もブロードバンドも遅れてて、もう何も学ぶものなんてない。日本ならこううまくいくのに、アメリカ人はバカだから(またはアメリカ市場は難しいから)ダメなんだ。」と、ばっさり切られておしまいなのだろう。経営論やマクロ経済の世界はそれとして、他の国やその国の人に「感情移入」ができないのが、企業におけるパラダイス鎖国の心理なんだろうと思う。それは、やはりまずいように思うのだが、どうなのだろ?

ついコーフンして議論が発散してしまった。申し訳ない。