Web2.0と対立する2つの世界(その1) Web2.0の世界は広がりうるのか?

最近、梅田さんとはてなの近藤さんの対談で、彼の持論「対立する2つの別世界」の話がとりあげられたそうだ。Web2.0的な最先端ネット住人の世界はどんどん加速して先へ行き、それ以外の普通の人の世界との間がどんどん広がりつつあり、その二つの世界の間に、梅田さんは橋を架けたいと思っているとおっしゃっている。

章立てでちゃんと何か書きたいと思うのだが、なかなかまとまらないので、一つ感想をとりあえず述べてみる。

Web2.0の世界は、そもそもその定義上、あまり大きくなることはできないように思う。ネット上でなんらかの行動を起こす(ボランティアで記事を書く、コメントを書く、ブックマークをつける、など)人の数というのは、全ネット人口の何%ぐらいになるだろうか?さらに、全人口の何%になのだろうか?全体から見れば、ものすごく少ないに違いない。もちろん増えていくのだけれど、絶対にすべての人がやるようにはならない。ある程度数が限られている。それなのに、最近、どのサイトでも「評価をつけてください」的なものがついている。限られた数の積極的ネット参加者が、あまたのサイトに分散してしまうような気がする。私自身も、最近ちょっと疲れてきて、そういうのを見ると「あぁ、またか・・」と思ってしまう。

ブログの力や効果はそれなりに認識しているが、サイトの数が増えれば増えるほど、一生懸命何か書いても、「総表現社会」の莫大な数のブログ群の中で、自分の言っていることが莫大な数の砂粒の中に埋もれてしまうような気が、特に最近してきた。

2.0的な「集団知」を集めるやり方は、相当に母数が大きくないとできない。グーグルのように、先行して多くの参加者を集められればいいが、あとになればなるほど、参加者を集めるのが難しくなっていくように思う。

そして、2.0の文化またはその擬似形が、先端者の世界から一般人の世界に広がったとき、すでにそれは変質を起こしているはずだ。ARTIFACTで言われているように、受身の普通の人に受け入れられたときには、マスコミ的な情報の重み付けが必要になり、中身も変質する。

ネットは多様性を生むかのように言われてきた。しかし、それは幻想であり、今後多様性を抑圧する方向性に進む可能性が高い。ネットグローバリズムだ。
 なぜ多様性があるかのように思えたか? それは、簡潔にいえば、初期にネットをやっている人がマイナー志向を持つ人ばかりだったからだ。そして、マイナー志向の人は、自分の価値観を排除されないために、自分と違う価値観を持つ人の存在を否定しない。
 しかし、「万人」とか「普通」とか何の躊躇もなく使う「普通の人」(自分流の勝手な定義でいえば、自分の価値観がない人たち。自分がどう思うかより先に他人がどう思うかが基準の人)が入ってくれば、そこには同調圧力が出てくる。

ARTIFACT ―人工事実― : ネットは多様性を生むという幻想が終わった時代に

あるいは、ある程度の品質を保つためのコストをかけた仕組みが必要になる。結局、これまでのWeb1.0的な世界とあまり変わらなくなってしまうように思う。

だから、二つの世界の間に乖離があるのは、必然なのだと思う。