アンチ・パラダイス鎖国 (その6)--- 日本製アニメは「東洋の魔女」時代のバレーボールか?

半年ほど前に「パラダイス鎖国」の話をブログに書いて、思わぬ反響があった。

パラダイス的新鎖国時代到来? - いいのかいけないのか?(その1) - Tech Mom from Silicon Valley

そのときは「いいのやら、悪いのやら」と煮え切らないことを書いたのだが、今はとりあえず「悪い」と言い切ってしまおう。なぜかというと、パラダイス鎖国に陥ると、世界の中で日本の産業や政治などの正しいウェイトや位置関係がわからなくなり、極端なナショナリズムに陥るとか、長期的に世界での影響力がますます低下するといった、長い目で見た悪影響があると思うからだ。一つの例は、前に書いた「アメリカ携帯端末市場における日本勢の著しい退潮」である。日本の中では繁栄している携帯電話産業が、世界の中では影響力を持てないジレンマに陥っている。

パラダイス的新鎖国時代到来(その4)- 産業編・携帯電話端末のケーススタディ - Tech Mom from Silicon Valley

もう一つ、正しいウェイトが見えなくなっている例が、日本製アニメに対する過剰な期待のように思う。携帯電話と違い、こちらは私はあまり産業として実情がわかるほど詳しくないのだが、日本のメディアで語られている希望に満ちたストーリーと、消費者として見るアメリカの現状とのギャップが大きいのだ。

日本のアニメが、アメリカのアニメ製作者に影響を与えていることは確かだと思う。そして、一時期「ポケモン」が一世を風靡したこともまた事実である。その後、日本製のアニメがアメリカのテレビにいくつも登場するようになり、今でも日本の女性デュオ、Puffyを主人公にしたアニメが人気を集めているのも、確かにそのとおりだし、そのことが「ジャパン・クール」といわれる風潮を作り出していることもウソではない。

しかし、日本製アニメがアメリカのメディアを席巻しているワケでもなく、また一時よりも影響力はむしろ低下の一途のように私には見えるのだ。

ポケモン」が大流行した頃というのは、FCCのテレビ局向けの規制変更による「子供番組」の特需(一定以上の比率で子供番組を流すと、放送ライセンスの取り扱いに優遇を与えるという政策)があったため、アメリカのコンテンツ制作が急に追いつかず、日本製のアニメを手っ取り早く輸入してとにかく流さなきゃいけない、という「プル」事情があった。一方日本側では、「ポケモン」を見ていた子供たちが泡を吹いて倒れる事件が相次いで、下手をすると放送中止の憂き目にあう可能性もあったため、製作側は「背水の陣」でアメリカ進出を決意したという「プッシュ」事情もあった。この二つがうまく同じ時期にかみあい、さらに女の子にも男の子にも受ける内容(どちらか片方だと、潜在市場が最初から半分になってしまう)という利点もあり、「ポケモン」はこの「市場の不連続(discontinuity)」期に入り込むことができたのである。この成功を見て、アメリカ側のディストリビューターも日本のアニメやヒーロー番組(「パワーレンジャー」シリーズなど)を買い漁り、これらがCartoon NetworkやFoxなどの電波に乗ったわけだ。

しかし、その後アメリカの製作側もすぐに追いつく。新しい状況とアメリカの消費者のテーストに合わせて、どんどん新しい番組が作られる。日本人に言わせると、絵が雑で大味なアメリカのアニメだが、やたらチャンネルが多い中、ダメならすぐに中止して新しいのを流す、という「大量消費、使い捨て型」の市場なのだから、それでよいのだ。そして、その中から「スポンジボブ・スクエアパンツ」のような、大ヒット・シリーズも生き残っていく。

最近の人気アニメを見ていると、ある程度共通の「アメリカ人の好きなアニメ」の傾向がわかる。ストーリーやテーマはそれぞれなのだが、ドライでシャープな、大人も笑えるギャグ・センスというのが最近は受けているようなのである。さすがに最近は飽きられてきたが、一時「スポンジボブ」に対するお父さんたちの熱狂はすごいものだったし、日本でもよく知られるディズニーの「The Incredibles」も大人が見てもあまり飽きないようにできている。女の子にも受け入れられるというのも共通点である。

アニメの放映されるテレビ局のうち、地上波の大手4社は、見る人が多いという面もあるが、ケーブルを入れるお金のないマイノリティ向けという側面もあり、日本のアニメでも暴力要素の多いヒーローものは、ここにはいることもある。こちらでは、子供だけをほったらかしにしているので、多少暴力的でもかまわない。しかし、ケーブル・テレビは結構料金が高く、それなりにお金のある家庭でないと見ないので、そういった家庭では、親が子供の見ているものをきちんとチェックする。だから、大人が「これならいい」「自分が見ても面白い」と思えるものでないといけないのだろうと思う。

日本のアニメは、たまたま、偶然の幸運でうまく市場に入り込んだところまではいいが、その後、こういうアメリカの市場で受けるようなものを作り、バイアコムなどの強力なメディア大手に入り込むなどの、継続的なディストリビューション戦略があったようには見えない。ポケモンの後を狙った「遊戯王」はマニアックすぎて大人にも女の子にも受け入れられなかった。その後、ゴールデンタイムに流れるアニメは、すっかりアメリカ製のものになってしまった。

アメリカでは、ビジネスモデルが日本と同じにはいかない。小物好きの日本では、文具・雑貨などのキャラクター戦略で収益を上げ、さらにキャラクターの長期固定化をはかることができるが、アメリカではキャラクター文具・雑貨の市場はきわめて小さく、アニメのキャラクター戦略で可能なのは玩具とゲームしかない。「ハム太郎」をこちらで売ろうとしたとき、テレビと連動してハム太郎のぬいぐるみを玩具店で売っていたが、比較的値段の高い、買ったらそれで終りのぬいぐるみを一つか二つ売ったところで、何の足しにもならないと思った。案の定ハム太郎は定着しなかった。「継続的なキャラクター戦略の不在」だったと思う。

千と千尋」でアカデミー賞を受賞した宮崎アニメも、2005年に封切られた「ハウルの動く城」では、上映館の数が数十程度の「マニア向け公開」扱いでしかなかった。コンピューター・グラフィックスの質が高く、さらに大量の費用をかけて宣伝する、ピクサーやドリームワークスのアニメにかなわなくなってしまった。「パフィ」のアニメもそこそこ続いているが、そもそも線が粗く、ドライなユーモアのアメリカ風お子様向けアニメで、大量に消費される低コスト使い捨てアニメの一つに過ぎない。パフィにとって残念なことに、これがもう少し上の年齢層に受けていれば、CDやコンサートの売り上げにつながるのだろうが、10歳以下の子供が相手では、こういった派生ビジネスもあまり期待できない。

大人のマニア向けとして、「マンガ」や「ジャパン・アニメ」は残っている。しかし、これは「オタク」の世界の特異なサブカルチャーとして残っているだけだ。ポケモン時代の、広範囲へのインパクトはすでになくなってしまった。「ジャパン・クール」も、特異なサブカルチャーでしかない。

といったところが、消費者として見る「アメリカにおける日本アニメ」の現状だ。つまり、たまたまアメリカや他のポテンシャルの高い国が手薄だったときに、日本が頑張って金メダルを取ったけれど、その後他の国が本気を出してきたらあっというまに沈んでしまったバレーボールみたいなもの、に見えるのである。ポケモンの流行は、一過性の「東洋の魔女」だったように見えるのである。

それなのに、まだ日本の新聞などでは、「日本はアニメが強い」「日本のアニメで、ジャパン・クールが受けている」と言い募っているのを聞くし、役人がそれに便乗して税金を無駄に使って不必要な仕事を作り出しているようだ。

日本アニメのインパクトが全く意味がなかったとは言わない。日本に対する異質感は、アニメのおかげで、子供や若い人たちの間ではだいぶ弱まったと思う。ただ、このあたりは、私の住む北カリフォルニアが、アメリカの中でも特別に親日的な場所であることも影響しているので、アメリカ全体について、そうであるとは言い切れない。

とにかく、私の言いたいのは、「ジャパン・アニメでジャパン・クール」というマスコミの幻想を信じて、実態を見なくなってしまっているパラダイス鎖国な人が多いのではないかと思う、ということなのである。