中流の崩壊

Thanksgivingの休日を利用して、シアトル近郊の知り合いの家に子供達を連れて泊まりに行ってきた。シアトルといっても、その家のご主人はマイクロソフト勤務なので、会社のすぐ近くのレッドモンドに最近引っ越したところで、今回初めて訪ねた。

その家族は3人子供がいるので、ベッドルームが5つある大きな家を買った。古い家だしあまり改造もしていないが、価格は40万ドル以下だったという。覚悟はしていたが、うらやましくてなんだか悲しくなった。

我が家の近くでは、この値段ではコンドミニアム(集合住宅)すら買えない。買えるとしたら、スペイン語ができないと住めないような地域でしかありえない。

我が家のあるサンマテオ郡の最近の住宅ミディアン価格は、新聞で公表されている数字でも80万ドル前後。でもこれは、やや誤解を招く数字である。超高級住宅地パロアルトに隣接するイースト・パロアルトという市があるが、ここはパロアルトのお屋敷の「召使い」が住むコミュニティで、ほぼ全市がスラムといってよい。サンマテオ郡全体の数字というと、こういった地域の数字も含まれる。

最近の不動産取引価格を市ごとにソートしてリスト表示した不動産屋のチラシという便利なものが時々はいってくるが、これを見ると、我が家のあるベルモント市は、スラムを除くこの一帯の普通のコミュニティの中ではほぼ真ん中ぐらいで、ここ数ヶ月の取引価格のミディアンは90万ドル。このあたりで日本人が最も多く住んでいるフォスター・シティでは100万ドルを超えている。

つまり、我が家の周辺では、前回のエントリーで書いた懸念、「アメリカの中流が崩壊したらどうなるか」という状況がすでに起こっているように思うのだ。

ブロードバンド、著作権と経済の雑感(その2)- 著作権から経済のエコシステムへと続く妄想 - Tech Mom from Silicon Valley

古くから住んでいて、不動産価格には全く関係のない生活をしている人や、独身で友達と部屋をシェアするなどのフレキシビリティのある人はよい。しかし、それ以外の、家族持ちの人にとって、シリコンバレーに住むためには、少なくとも年収がドルで6桁あって、日本円にすれば1億円以上する家を買えるだけの余裕がなければならない。でなければ、スラムに住んで、犯罪や麻薬の危険と隣り合わせで、学校のレベルも極めて低いという環境でも「まぁ仕方ない」と思える種類の人となる。この中間、例えば公務員、セールスマン、事務員、商店主、工場で働く人、修理やメンテナンスなどをする人、などといった人々にとっては、とてもじゃないけど住めない環境となってしまう。

実際、住宅価格のあまりの高さに、学校の先生、警察や消防の人などが足りないのが常態となっている。サンフランシスコ湾を渡った向こう側から通ってきたりするが、それでも住みきれなくて、学校の先生が遠くに引っ越して辞めてしまうケースがあまりに多い。

そして、何かの理由(例えば病気やケガによる失職)で収入をキープできなくなると、一気にホームレスに転落したりする。また、日本以上に学歴による選抜の厳しいアメリカ(特にこの近辺)で、いったん学校から落ちこぼれると、レベルの低い高校に行かざるをえなくなり、そのあとは麻薬と犯罪の暗い底なしの穴が待ちかまえている、あるいは少なくとも親にとってはそうじゃないかという恐怖がある。

私は、いろんな意味でこのシリコンバレーが好きなのだが、こうした状況を考えると、「なんだかゆがんじゃったなー・・」という思いもどうも拭いきれない。最近、日本はしばらく続いたデフレのおかげで、不動産価格もだいぶリーゾナブルになってきた。狭いのさえ我慢すれば、少々安い家に住んでも、それだけで学校がひどいワケでもないし、「安い家=麻薬・犯罪・底なしの穴」という図式はない。一昔前は、日本の学校で落ちこぼれてアメリカの学校に留学、というのがあったが、最近はアメリカの学校で、学校全体のスコアを上げるプレッシャーが厳しく(カリフォルニア州では、州標準テストの学校ごとの平均が発表されるので、このスコアがその学区の住宅価格と密接に関係する)、昔のようなのんびりしたものではもはやない(と、アメリカ人のお母さん達も言っている)。

前回書いたような、エコシステムの話にたどりつく前に、とりあえず、住んでいる者の感覚として、中流が崩壊するのはやはり困ったものだと思うのだ。