ブロードバンド、著作権と経済の雑感(その2)- 著作権から経済のエコシステムへと続く妄想

ソニーBMG問題の重要ポイント

ソニーBMG問題では、次々と炎上ネタが出てきて、当地では毎日新聞が賑わっている。カリフォルニアとテキサスの集団訴訟で、そろそろ日本でも報道が出てきているようだが、相変わらず扱いは小さいようだ。

この話に関して、「著作権保護」の観点から、ソニーへの同情論まで聞こえる、といった話を聞いた。新聞が同情的なのも、同じ流れなのではないかと思う。それは、それ、別の話。この事件のポイントは、そういうことなのではない。全然、違う。

それは、「こういうソフトがインストールされますよ、されたらこれこれこういうことをそのソフトはしますよ、こういうリスクが発生しますよ、除去はできませんよ、それでもいいですか?」という情報開示が、CDを買ったユーザーに対してされていなかったことだ。開示されないどころか、わざとこうした動きを隠すような仕組みにしてあった。訴訟でも、この点が問題とされているのだ。

これよりもマイナーな問題点は、このソフトがお粗末なものであったこと。さらに言えば、その後のソニーBMGの対応が、その昔ビジネス・スクールで習った、「問題が起きたときに企業がやってはいけないこと」を、そのまんまやっちゃった、ということである。

これは、著作権イデオロギーの話ではない。単なる、企業がユーザーに対して取るべき、基本的な態度の問題なのだ。ソニーBMGは、バーテルズマンとの合弁会社だが、ユーザーにはBMGなんて何のことかわかりゃしない。ソニー、でしかない。そして、ソニーはもう何十年もアメリカで商売をしている優良企業なのだ。こうしたことへのリスクも十分理解しているはずなのだ。その企業が、何故こんなことになったのか、私には理解できない。

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著作権問題の本当のポイント

さて、前にもいくつかのエントリーで書いたように、現在の著作権保護の仕組みは、必ずしもクリエーターを保護するのに最適化されていない。いや、全く役立っていないワケではない。トップに位置するスター・クリエーターは保護される。それ以外はそうでもない。

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それよりも問題なのは、販売ルートである。何らかのコンテンツをクリエートできる人間というのは、世の中全体から見たら比較的数は少なくて、それよりもこれをパッケージ化したり販売したり代金を回収したりする役割を担う人のほうが多い。特に、販売ルートにたくさんの人がぶらさがっている。既存のコンテンツ企業は、こうした人たちの利権や雇用を守らなければならないのだ。そこがポイントなのだ。

デジタル配信によって、CDやDVDを販売するルートがやせ細る。テレビ局にはいる広告料が減る。これは、現在の仕組みの中でもすでに起こっていることで、これを守るために、現在の法律を金科玉条のようにふりかざして、反対者の壊滅を試みても、徒労に終わるだろう。それは、洗濯機が出てきたのに、洗濯板業界を守ろうとしているのに等しい。産業革命の後に、労働者が自らの就業機会を奪う機械を破壊した「ラッダイト運動」と同じことだ。

当事者は、変化に抵抗するよりも、新しい環境下でもやっていけるように、合理化して、人を減らして、別の価値を生み出す仕事にリソースを割くという、「ソフトランディング」を目指す以外、やりようはないのだと思う。長い目で見て根本的な論争をやっているうちに、時代がどんどん先へ行ってしまう。目の前の現実を受け入れて、とりあえず次のステップへと踏み出すことが必要なのではないかと思う。

チープ革命は新たなエコシステムを生むか?

ネット上でのコンテンツの繁栄は、デジタル機器やソフトの発達による「チープ革命」に支えられている。要するに、安いコンテンツでなければ、この分野で利益を生み出すことができない。そして、コンテンツの販売による利益は、ユーザーが直接代金を支払うにしても、広告でまかなわれるにしても、一本の客単価がせいぜい200円とか300円で、一本の販売数量も現在のヒット作品よりも二桁や三桁低い、という世界になるだろう。

今後、コンテンツだけでなく、ソフトウェアもそういう世界に突入するだろう。そうなったとき、現在のコンテンツ業界やソフトウェア業界で失われる雇用を吸収するだけの、新しい産業が生まれるだろうか?

私が長年お世話になっている電話業界は、3分10円を何千万人分も積み重ねることで成り立っている。その膨大さという参入障壁に守られたマージンで、何十万人の雇用を生み出している。一方、その前にお世話になった自動車業界は、一台何百万円という客単価と工場原価との間で、何万人もの従業員やさらに膨大な数のディーラーのセールスマンを養っている。そして、いずれの産業も、幅広い裾野業界を持ち、「産業連関表」に連なる膨大な数の企業を潤している。この構造が、先進国の中流階級の生活とその消費を支えてきた。雇用が消費を支え、産業が繁栄し、さらなる雇用を生み出すという循環関係ができていた。

ネットとデジタルのチープ革命の時代を迎えて、こうした中流階級をベースとしたエコシステムは、ちゃんと続くのだろうか?グーグルやアップルやヤフーは、どれだけの産業連関表を養うことができるのだろう?

私には、やや不安なのである。日本では「下流」というのが流行語になっているとも聞く。20世紀型の産業は、そう簡単に崩壊はしないだろうが、新しく台頭するIT企業は、現在の中流階級型エコシステムを支える主役になりうるのか?そうでなかったら、どういう世界がやってくるのか?

まだ回答は見つかっていない。最近、相変わらず高品質な日本車を運転しながら、こんなことをぼんやり考えている。