「のまネコ」に見るWeb2.0時代の階級闘争

最近のまネコが騒ぎになって初めて私はこの件を知り、いろいろサイトを見ているうちに面白くなり、ネコの動画や、ニュージャージーの小太りにいさんが踊り狂うアメリカ版ビデオやそのパロディのレゴ・バージョンなどを探しだした。得意になって、息子に「どーだ、これ、面白いだろー」と見せてやったら、「あ、これ知ってる」と言われてしまった。夏休みに、従兄弟のおにいさんに教えてもらったとか。8歳と12歳のオタク・ボーイズ連合に私がかなうワケはなかった・・・

さて、のまネコ騒ぎ自体の経緯や論評はいろいろなところ(たとえばこちら)に書いてあるので省き、私はこの話の中でかいま見える「階級闘争」の話を書く。

アスキーアートのネコのキャラクターは、オープンソース的な過程で、数多くの人の手を経て出来上がってきた。そのネコが踊るFLASH動画は、最初(エイベックスがプロモーション・ビデオとして採用する前)はネット上で無料公開され、そのときのO-ZONE恋のマイアヒ」の楽曲は無断使用。さらに、この曲が日本に上陸したきっかけは、欧州で同じような経緯で、勝手ビデオが数多く作られたことだそうだ。ネコより後のことになるが、アメリカでもこのニュージャージーのおにいさんのビデオが大受けし、そのパロディ動画がこれまたたくさん作られたという。これらのネット動画は、すべて音楽を無断使用している。

Web2.0の世界で「mash up」とか「remix」とか言われるものの例と言える。正確には、異なるウェブサイトのリソースをいくつか組み合わせて新しいサービスを作ることを指す用語だが、こういったデジタル・コンテンツの組み合わせというのも当然あり得ることで、著作権的にはまぁ違反なのだが、実際には多く行われている。アスキーアートのネコと同様、別にこれを商売にしよういう考えの人はまずおらず、誰もがただ面白い、人に見てもらいたい、というだけで、趣味でやっている。

そして、このモルドバ出身ルーマニア在住(?)、欧州でも無名だったO-ZONEは、こうした著作権違反のあまたのビデオのおかげで、世界各国でヒットした。日本での一連の騒ぎのおかげで、ますます有名になったこのグループは、一番トクをしている人たちだろう。これらのビデオや、日本での騒ぎ(その世界では「祭り」と称されているらしい)がなければ、日本でヒットチャート1位などには、絶対ならなかった。

これに対し、批判の集中砲火を浴びているエイベックスは、従来型のヒット曲や大物アーティスト指向の普通のレコード会社(だと思う。私はあまりよく知らないので・・)で、従来型の著作権をベースにしたビジネスモデルで成り立っている。

従来型著作権が最も威力を発揮するのは、需要が供給を上回り、希少価値が存在するケースだ。そして、このビジネスモデルでは、十分大きな需要があり、CDの制作・流通、宣伝などの固定費を回収できる見込みのある「大物」でなければ商売が成り立たない。

一方、有名になる前のO-ZONEのような無名のアーティストは、無料配布によって宣伝するほうが有利であり、ネットを通じて行えば、テープ交換などよりもはるかに広い範囲に知らせることができる。さらに、面白いプロモーションビデオを、皆がタダで作ってくれているのだ。こういったビジネスモデルも存在する、ということがよくわかる事例となった。

現在の著作権の仕組みは、デジタル技術による大幅な制作・流通コストの低下、remix・mash upの隆盛というWeb 2.0式の環境の中で、現状に合わなくなっている、というのはしばしば指摘されていることだ。問題は、「大物」は現在の仕組みのほうがよく、「それ以外(=私の用語では「middle tail」以下の人々)」はWeb2.0式のほうがよい、というように、アーティスト達の間でも「階級」による利害の衝突がある、ということだ。

だから、なかなか話がまとまらない。

さらに言えば、同じアーティストでも、場面が違うと立場が変わる。O-ZONEがもし祖国ルーマニアですでに大物だったら、自国内では無料で配られると売上が落ちる、と心配するかもしれない。しかし、もともと販売ルートのなかった日本でネコが踊るのは、どうせこれまでゼロだったのだから、少しでも売上に貢献するからありがたい、と思うかもしれない。

・・などいろいろ考えるが、私も別に解決案を持っているワケではない。ただ、なんとか、Web2.0式の流通というのも、うまく育って欲しいものだと思う。

こういったことを、例えば音楽専門家の丸山さんなどはどう思われているのだろうか、と思ったら、ちょうど「贈与経済」の一連の話をブログに書かれていた。参考になる。

丸山茂雄の音楽予報

蛇足だが付け加えると、「恋のマイアヒ」のヒットは、いろいろな話はあるが、まずは曲自体がよくなければ、すべては始まらなかっただろう。こんな経緯など、何も知らない我が家の4歳の弟のほうも、この曲をかけたら、破顔一笑ニコニコしながら、画面に合わせて踊り出した。そもそも、遊び心をインスパイアする曲だったのだろうと思う。