よい時代

日本のマスコミは、「現代の日本人は大切なものを失ってしまった」といった論調が好きだ。それも、失った理由として、インターネットや携帯電話がやり玉にあがることが多い。それも全く的はずれでもないのだろうが、私の感覚とは違う。私は、このふたつのおかげで、大いに恩恵をこうむっている。よい時代に生まれ合わせたと、とても幸せに思う。

ネットがなければ、今のように子育てしながら家で仕事を続けることはとてもできなかった。日本や東海岸など、時間帯の違う遠隔地のお客さまの仕事をいただくこともできなかった。携帯電話がなければ、公園で子供を遊ばせながら、急ぎのお客さんへの連絡を片づけることもできなかった。プロジェクト進行の真っ最中に、子供の冬休みが重なっても、今ならパソコンと携帯を持って、スキー旅行に出かけることができる。固定電話とファックスだけの世界だったら、生産性はおそらく今の5分の一、いやもっと少なかったかもしれない。これを「ストレスの多い生活を強いられている」と言えばそのとおりだが、こうした高い生産性がない限り、子育てしながらプロとしての仕事をすることなど、到底無理だ。

ほんの10年前、90年代の前半には、固定電話とファックスだけだった。私は会社勤めでオフィスに毎日通勤していた。最初の子供が生まれたあと、子供を保育園に預けると、いろいろな菌をもらってきて年がら年中熱を出す。そのたびに会社に電話して休む。会社に申し訳ないというストレスに加え、授乳と通勤で疲れ果てている私は、子供からもらった菌で子供よりもっとひどい病気になったが、もはや自分の病気で休んでいる余裕はなく、1ヶ月のうち3週間は熱があるのを無理して通勤している状態になった。ついに会社を半年休職した。あのままでは、とても仕事を続けることはできなかった。

休職している間に、会社は倒産して私はレイオフされた。それをきっかけに、独立して現在のコンサルタント業を始めたワケだが、おかげで子供が病気になっても、ミーティングのアポイントでもない限り、誰にも断る必要もない。昼間にテニスをして、その分夜仕事をすることもできるので、体力が回復した。二人目の子供が生まれたときは、こうした苦労は全くいらなかった。今でも、子供がいるために出張の自由度が限られ、仕事専業の人に比べればハンディはあるが、リサーチはウェブでできる、報告書はメールで送れる、人脈づくりもネットでいろいろ可能、ということで、家でなんとか仕事は続けられる。

出歩く自由が少ないので、近所に友人は少ないし、まとまった本を読む時間もない。でも、少ないニッチ時間でもネットなら、趣味のテニスや映画のことを読んだり書いたり、同好の士と連絡を取ったりすることができる。今の多忙でストレスの多い生活を、なんとかバランスをとって平穏に暮らしているのも、ネットのおかげだ。

私は、昔はよかったと思うことはほとんどない。若かった頃の自分より、今の自分のほうが好きだ。そして、ネットと携帯の時代は、ほんの10年前のそれ以前の時代よりも、ずっとありがたい時代だと思っている。