過ぎゆく夏、湘南的なるもの
米東海岸をハリケーンが襲撃している。信じられないほどの天変地異が続く今年だが、これ以上被害が広がらないことを祈っている。
夏の終わり。Twitterでフォローしている、故郷の湘南や江ノ島の情報で、鵠沼海岸でTUBEが「震災復興ライブ」をやると聞き、YouTubeでその昔のヒット曲を聞いたら、懐かしさに涙が出そうになった。
私にとって、湘南の海は子供の頃からの(無料の)遊び場で、夏は大好きで、波の音と青く広い水面には特別の思い入れがある。しかし、私は彼らの「シーズン・イン・ザ・サン」がヒットしていた頃、その華やかな「湘南的なるもの」の世界とはまるきり縁がなかった。(実は17歳でアメリカに交換留学に来て以来、湘南には定住していない。)
水着姿に自信はなく、それでも海もプールも好きだからよく行っていたけれど、ゴーグルつけてひたすら泳ぐ。水の中にいれば顔も体も見えないからね。一度だけ実家近くの海岸でウィンドサーフィンに挑戦したが、沖までなんとか出たものの戻って来られなくなり、弟に救助されて以来、その後全く機会なし。これまた一度だけ、江ノ島でセイリング教室にも参加したが、朝食ったピーナツバターが全部、海のお魚さんたちのランチになって終わり。夏の浜辺でデートしたこともなければ、もちろんナンパされたこともなく、胸ときめかすほどの男性を浜で見かけたこともない。
ティーンから20代にかけて、男女がお互いに品定めをする「マーケット」に出ている間じゅう、とにかくそういうものには縁がなかった。カッコつけて、「ワタシはそんなの関係ないワ」って顔してたけど、本当はいじけていた。
それでも、TUBEの曲は好きだった。それは、私にとっては、いつかは実現するかもしれないが、とりあえず夢の中にだけある、でも自分には縁のない、仮想の「あこがれの湘南」の象徴だったのだな。今から思うと。
なので、私がTUBEを聴いて懐かしいと思う気持ちは、「あー、あの頃はよかったな」というストレートなものではなく、「あの頃は辛かったな」と、「でも夢があったな」とが混ざった、複雑なうねりとキラキラが混じったものだ。
そして今、とっくの昔に「off the market」になったおかげで、もうそんなひねくれた思いはしなくてよい。今年の夏に海に行ったときは、「スズヤ」(=海の家)と巨大な字で書かれたボディボード(注:アメリカ人である子供たちにとって、日本人がその昔「Madison Square Garden」と書かれたバッグをありがたく持ち歩いていたのと同じノリのデザインに過ぎない)を借りて、子供たちを乗せて波に合わせて押してやり、うまく波に乗れたらみんなで大喜びしたのがいい思い出だ。
負け惜しみでなく、今のほうが若い頃よりも幸せなので、こうしてTUBEを懐かしく聴くことができるようになったのだろうと思う。
今、その頃の私と同じようなコンプレックスに悩む若い女の子がいたら、「安心して」と言いたい。若さと共に失ってしまうものが少なければ、年をとって増えるよきものとのバランスは「プラス」になる。もしかしたら、男の子でも同じかな。
そして今、故郷は私にとって、「遠くにありて想うもの」となった。あの頃とはそのカタチは変わったが、「夢の世界の、キラキラした、懐かしく湘南的なるもの」は、いつの日か手に入れることができるかもしれない、できないかもしれない、はるかな憧れの世界であり続けている。