「フェアユース」についての小さな小さな事件

フェアユースの議論が日本でどうなっているのかはよく知らない。ただ私は、美術館でのフェアユースを推進する立場の友人に頼まれて講演するとか、擁護論をブログに書くとか、やっている程度。以上、情報開示。

先日、日本で著作権関係を取り扱う行政書士という方から連絡を受けた。駒澤大学の入試に私の著書「パラダイス鎖国」の一節が使われたのだが、その問題を「過去問題集」として出版するにあたり、許諾を得たい、とのことだった。入試はすでに実施済みで、その部分のコピーも送っていただいた。過去問題集は、営利目的でなく、大学自身が受験生に無料配布するものだそうで、因みに試験問題に使われたときには、何も連絡はなかった。

へぇー、じゃ試験に使うのはフェアユースなのかな、とこの件Twitterでつぶやいたところ、弁護士の友人二人からツッコミがはいり、「日本ではフェアユースの規定がなく、ただ単に試験に無断で使うのは「いい」とも「いけない」とも規定がないだけ」「日本ではフェアユースの規定がない」(詳細は下記のコメント参照)との専門的な説明をもらった。それで改めて「なるほどー」と思った。試験に出る部分など、本のごく一部なので、「引用」の範囲かとも思うが、引用とも意味が違うので、そういう意味ではグレーのようだ。

私自身は、試験問題に使ってもらうのも問題集に載せていただくのも大歓迎。本が売れるのはもちろん嬉しいけれど、そもそも印税は全くたいしたことなく、今ではもう本屋の棚にも置いておらず、この先どうせそれほど売れはしないので、私の収入はほとんど期待できない。それならば、私の書いたものが少しでも多くの人の目に触れるのはむしろありがたい。そのために、試験を作る人たちがいちいち著者に許可を得るのも大変だろう。

そして、こうして私のメールアドレスまで探し出して、「事前許可依頼」をいただいた誠意にも感謝する。掲載にあたっては、「薄謝」をいただくだけで、印税は払われないが、無料の問題集で印税もあったもんじゃないのに、全くもってありがたいことだ。

薄謝は全くどうでもよくて、もちろん本をまるまる違法コピーして販売とかされたらくやしいけれど、こうした「良心的」な使い方のために一節を使ってもらったり、引用してもらったりするのは、私にとってはありがたい。「フェアユース」の範囲が決められて、その範囲内なら自由に使ってもらう、というやり方ができたほうが、安心して使えていいのじゃないかとずっと思っている。

フェアユースというのは、「ある一定の範囲内で無断で他者の著作物や創作物を利用すること」であり、その範囲というのは「著作権の理念に照らして、著作物や創作物を社会的利益に供するために有益と思われる範囲」(法律の専門家じゃないので、コトバは正確ではないので失礼)ということになる。クリエーターを保護するための「著作権」と、そこで創作されたものを無料で広く知らしめることによる「公共の利益」はしばしば対立するので、その間でバランスをとる必要があり、「フェアユース」はバランスをとるための一つの仕組み、というのが私の理解。詳細はレッシグの本などを参照してほしい。

著作権フェアユースをめぐる議論では、どうしても「現状の著作権の仕組みで潤っている人たち」のほうが組織化されていて声が大きい。私のような泡沫作家は、フェアユースの範囲が決められたり、著作権の仕組みがよりフレキシブルになったりするほうがよいか、またはそうなっても害がなく、しかもそのほうが実は人数が多いのだが、生活がかかっているわけではないので、わざわざ賛成運動や反対運動などしない。

だから、現状がいつまでたってもなかなか変わらない。困ったものだ。

この前のエントリーで、医薬品ネット販売の件についてかみついたのも、同じフラストレーションから出ている。ネット販売のほうが、まだ楽天ケンコーコムといった「企業」が当事者だし、もうちょっと頑張れば三木谷さんあたりが行政や政治に影響を及ぼせる立場になりそうな希望もあるからいい。でも、著作権フェアユースについては、そういった「柱」もない。

それで再び、フェアユース推進運動を根性入れてできるほどの力も立場もない私ながら、弱小利害関係者として、「こんな話もあるよ」というのを表明だけしておこう、ということで。