「低成長時代」の通信政策とは − 「世界一不思議な日本のケータイ」

世界一不思議な日本のケータイ

世界一不思議な日本のケータイ

私はそれほど通信の規制に詳しいわけではないが、業界サイドから見ていて、世界の通信規制当局にもいろいろと特徴があるな、と思う。イギリスのOfcomは世界でも特殊なほど、徹底的かつ理念的な「競争促進」派であり、消費者がハッピーになるならイギリスの通信事業者が弱体化しようが何しようが構わない、といったところがある。これに対し、同じ欧州内でもお隣のフランスでは、大企業優先の体質が強く、フランス・テレコムと仲良しといった印象がある。アメリカのFCCは、理念的にはOfcomに近いが、委員会がポリティカル・アポインティーなので、時の政権の考え方も色濃く反映しており、ブッシュ政権にはいってからは、かなり大手キャリアに有利な動きをしている。(ただし、これについてはそれだけの意味でもない。詳細は後述。)

総務省の最近一連の携帯新政策(端末販売奨励金の規制、MVNO促進など)についての「解説書」ともいえる、「世界一不思議な日本のケータイ」を読んで、改めて、総務省(または谷脇さんご自身)が、最もリベラルなイギリスOfcomをモデルとしているのかな、と感じた。実際に提言されている政策もOfcom的であるし、この著書で強調されている「オープン型モバイルビジネス」という「理想」も、Ofcom的な理念であるように思える。そして、こうした「オープン化」により競争を促進することが、ユーザーにとってハッピーなことである、との前提で*1お話をされているように思う。

「オープン型モバイル環境」そのものについては、モバイル・サービスの長期的趨勢としては間違っていないだろう。ただ、それをどういう形で、どういうステップで、どういった時間軸で実現するか、という「各論」については、いろいろと別の解が出てくるはずだ。

現実問題として、90年代から2000年代初頭にかけての「ケータイの爆発的な成長期」は終わってしまった、という認識が私にはある。携帯だけでなく、固定まで含めた大きな「技術とコストの流れ」から言って、90年代半ば以降の10年ほどは、「新しい設備は古い設備に対して劇的に容量が大きく品質もよく、設備を更新すればユーザー一人当たりにサービスを提供するコストが劇的に下がるし品質も上がる」「設備を増やしさえすれば、黙っていてもユーザーが増える」「携帯はボイス、固定はインターネット*2という自明のビジネスモデルがある」という幸せなフェーズだった。つまり90年代は、ミクロ経済学でいう「ドミナントな選択肢」が出現して、旧来の技術から新しい技術への移行が「すべての人がハッピーな状態」で急速に進み、そしてそのためにキャリアなどの「提供側」が大きな投資をしても、比較的短期で回収できることがかなり確実に見通せた、幸せな時代だった。

携帯に関しての話に議論を絞ると、2G時代の携帯のデジタル化では、「ユーザーにとっては品質が向上し、料金が下がる」「キャリアにとってはコストが下がりマージンが大きくなる」「メーカーにとっては新しい製品がどんどん売れる」という幸せな状態だったので、一気に技術変化が進んだ。しかし、2Gデジタルから3Gへの移行は、市場が飽和に近くなって成長が鈍っていることに加え、回線速度が速くなる「だけ」で、キャリアにとってのコストはそれほど大幅に下がらず、ユーザーにとっては音声の品質がそれほど向上するわけでもなく、メーカーにとっては開発コストが重くなる、という、あまり「ドミナント」ではない選択肢だった。また、「携帯でのデータサービス」というのは、それ自体ではあまり自明なビジネスモデルではない。「テレコム・バブルの崩壊」というタイミング的な問題との合わせ技で、世界的に3Gへの移行は遅れた。

この先、2Gのような「みんなが爆発的にハッピーな状態」になるような技術が出てくる見通しは、当分ない。*3そのため、今後の新しいサービスや技術は、「少しずつの改良」であり、「どこかを押すとどこかが出っ張る」可能性の強いものが主流となる。イケイケドンドンの時代には、比較的小さな会社が参入する余地も大きかったし、新規参入がイノベーションを促進することも多かった。しかし、「低成長」の時代になると、そもそもコスト構造からいって新規参入は難しくなり、無理に政策的に新規参入を促しても事業が成立しないことも多くなる。

で、こうした「低成長時代」であるとの認識の上で、一連の携帯電話業界の対する新政策を見ると、「誰のためにこの政策をおこなっているのか」というのが、よくわからないことがある。例えば、「端末販売奨励金」の件では、端末の販売が大幅に落ち込んでメーカーは大打撃、ユーザーにとってはほぼニュートラル(選択肢が増えたことをよいと思うか面倒が増えていやだと思うか、メーカーの投資意欲減退で新しい機種があまり出なくなることがいいと思うかよくないと思うか・・)、で、実は一番トクをしているのは、販売奨励金を削減したくても競争上なかなかできなかったキャリア、という見方もできる。果たして、それは総務省が意図したシナリオなのかどうか、興味深い。イケイケドンドン時代なら、政策の変更があっても、携帯の新規需要自体が大きいために、「奨励金あり」も「なし」も、共存できる形でネガティブを吸収し、新しいコンセプトの端末やサービスが出現するということもあったかもしれないが、今はそうはいかない。MVNOも、そもそもビジネスモデルが不透明で、谷脇さんご自身が仰るように、欧米でほとんど成功事例がない中、キャリアにコストのかかるMVNOへの開放を無理強いしても、恩恵を受けるのはごくわずかな数のユーザーに過ぎない、といった結果になる可能性が大きいような気がしている。

一方、放っておいても、アップルがiPhoneに参入したり、GoogleAndroidを仕掛けたりして、民間ベースで「横」の切れ目を入れようとする動きがある。総務省が何かやる必要があるのだろうか・・・?

ユーザーの単純なニーズがすでに一巡し、キャリアもメーカーも、膨大な投資の回収に長い時間がかかる「低成長時代」において、シンプルな「競争促進」政策が本当にユーザーのためになるのか、その根本的なところに私は疑問を持っている。アメリカのケースでは、共和党政権であるということも加わり、2001年以降は、むしろ過度の競争を抑制し、大手への統合を進め、「電話会社とケーブル」という大枠である程度の競争を確保した上で、長期の投資回収を安心してできるようにして、設備投資を促進する、という政策に変換している。「強いものをバラして弱くすることで、新規参入を促し競争を促進する」ことから、「強いものに対抗できる第二の軸を補強することで、コントロールされた競争を確保する」という立場に転換しているわけだ。

言うまでもなく、こうした疑問は上記のような私の認識と意見から出たものであり、他の考え方もあるだろう。ただ、私がユーザーの立場に身をおいてこの本を読んでも、「そうだな、こうした政策がどんどん成功したら、私の携帯はこんなに使いやすくなりそうだ、楽しみだな」という、希望・期待の気持ちがあまり出てこないように思ったのだ。

低成長時代に突入した通信業界にとって、「規制」というのがどういう意味を持つのか、どういう立場で考えるべきか。「今」という時点で、谷脇さんのおっしゃるような「今強いところをバラバラにする政策」というのが適切なのだろうか。どうも、「競争促進=ユーザーの利益=善」という図式では割り切れないような気がするのだが、違うだろうか??

なお、上記の議論は、かなり専門的な話も含み、私の種々の体験で感じていることをもとにしていて、気軽なブログだけではきちんと書ききれず、誤解を招くかもしれないので、そのうちまとめてどこかに書くことを検討しています。全部きちんと書くとこれ以上ますます膨大になるので、やや言葉足らずのところはご容赦ください。

*1:ユーザーのニーズについての客観数値などは全く提示されておらず、ユーザーの話はあまり出てこないので、「競争激化=ユーザーの利益」を自明の理として議論している、と思われる。

*2:ここでは、個別ユーザーに接続するアクセス系でなく、幹線系を担う、アメリカでいえばLevel3のような会社にとって、これまで存在しなかったグーグルのようなネット・ビジネスを提供する大型の企業ユーザーが出現した、という現象のことを念頭においている。

*3:目の前の新技術でいえば、NGNの場合なら、キャリアのコストは安くなるけれどユーザーにはあまりメリットが感じられないとか、モバイルWiMaxは速度が大きくなってユーザーは便利になるけれどキャリアのコストやメーカーのコスト効果は不透明、など