別の視点から、「バカ」の定義

これに付け加えて。
社会問題アレルギーと「バカ」の定義: 国民宿舎はらぺこ 大浴場

愛知で18歳のフリーター君が中学時代の担任を刺した事件。日経新聞によれば、きっかけは、彼が宿題として提出したノートが「字がきたない」といって怒られ、殴られたこと。もしかして、この子は「ディスレクシア」(読字障害)または「ディスグラフィア」(書字障害)みたいなLDがあったんじゃなかろうか、と私なんぞはすぐ思う。ウチの子の場合、頭は悪くないのに、字をきれいに書くということがものすごく難しく、どんなにがんばってもある程度以上はできない。それで殴られたら、イヤになるよな。実際、ディスレクシアや、ウチの子のような視覚が原因のLDのために、学校でバカ扱いされて世をすね、非行に走る子は多い、との話もある。*1

少し前に、小学校の屋上の明り取り窓の上で飛び跳ねて、落ちて亡くなった小学生。もしかして、この子はADHDだったんじゃなかろうか、とつい思う。じっとしていられなくて、周りから見ればアホみたいなことをついやってしまう。本人はその衝動をコントロールできない。かわいそうに。

ネット上で物議をかもしている「没落エリート」の「B」型、学歴は高いけれどコミュニケーション能力の低い「高学歴就職難民」。この人たちの少なくとも一部は、もしかしてアスペルガー症候群ではなかろうか、とふと思う。シリコンバレーにはこの手の「変わり者」がたくさんいる。

ホントにそうかどうかは知らない。でも、見方によっては「バカ」と一言で片付けられているこういう人々は、本当は別の見方では「バカ」じゃないのかもしれない。

エジソンアインシュタインも、ADDだかディスレクシアだかアスペだか、なんだかいろいろあって、子供のころはこの種の「バカ」扱いされたらしい。スティーブ・ジョブスビル・ゲイツも、コミュニケーション能力には大いに問題がありそうで、嫌われ者毀誉褒貶の激しい人々だから、ややアスペがはいってそうである。

こういう人たちはそれでは、世の中の厄介ものとして生きるしかないのかというと、そんなことはない。こういう人がものすごい能力を発揮することだってあるのだ。逆に、大天才ほどそういう気がある。たとえ大天才になれなくても、なんとかプチ変人ぐらいにはなれるかも。

確かに、バカと言われても仕方ない人々もいる。社会現象が云々などという話も興味がない。塊として議論したって意味がない。一人一人、事情は違うんだから。

でも、もしあなたがこういう種類の「バカ」と呼ばれる子供の親や指導者だったら、せめてあなただけでも、信じてあげてほしい。本当はきっと、その子はバカじゃないのだ。特に子供のうちは、周囲の「バカ」扱いが原因で、一生立ち直れなくなることもある。逆に、誰かが信じてあげれば、「バカの悪循環」から抜け出すことができるかもしれない。

「バカ」とは何か。最近、私にはますますその定義がわからなくなっている。

*1:知り合いの子の話だが、その子はLDじゃなくて、字を書いたり細かい作業をしようとすると手が震える機能障害があり、日本ではよく先生に「字がきたない」と文句を言われ、友達にも言われることが多かった。ところが、家族の転勤でアメリカに来てからは、誰もそのことを言わない。日本語補習校でも、先生がある日「字が汚い」と言ったら、隣の席の子が「○○くんは、これでいいんだよ!」と弁護してくれたんだそうだ。そりゃそうだ、だって自分じゃどうしようもないんだから。全く、日本じゃ、なんでそれほど字がきれいでなきゃいけないんだ!それで人格が決まるんか!と、私はすぐ怒ってしまう。それで、この傷害事件に過剰反応している。