「ウェブ時代をゆく」- もし「そんなの関係ねぇ」と思ったら

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

梅田さんの「ウェブ時代をゆく」は、かなり客観的なファクトをベースにした「ウェブ進化論」と比べると、読む人が自分の立ち位置をどこに置いているかにより、感じ方がもっと大きく違うものなのだろうな、と思う。だから、客観的な批評というエラソーなものは私には書けず、下記は「TechMom」としての私、なおかつ(引用までしていただいちゃった)梅田さんと近い立場にいる人間としての感想である。

私は梅田さんと年も同じだし、もっと地を這うような「けものみち」的なキャリアを進んできて、シリコンバレー在住のコンサルタントということで、立場は似ているのだけれど、ものの見方は違うことが時々あった。梅田さんがすごくエキサイトしていることに対して、「全体から見たら、それはたいしたもんじゃないんでは?」なんぞと冷ややかに思うこともあった。一つには、「自動車」とか「電話」とかいう、膨大な「フツーの人」を相手にする巨大産業で育ってきたために、「膨大なフツーの人」の現実の大きさ、重さ、そこで動くお金の巨大さ、そこで食っている人の規模、みたいなものを常に意識するからだ。(私のブログエントリーにも、こういう論調のものが多いのはご承知のとおり。笑)それに対して、梅田さんは常に、最先端のものや最先端の人を追いかけて、それがこの先どういう影響を及ぼすかを思慮するという、「カサンドラ」「炭鉱のカナリア」としてのご自分の立場を貫いている。そして、ある意味梅田さんのおかげで、私は「鈍重な旧守派」に完全には陥らずに済んでいると思う。

そういうワケなので、本書の中で梅田さんが繰り返し説く、「好きを貫く」生き方、ウェブリテラシーの勧め、職業観、知的生産のハウツーなどに対して、「そういうのは全体から見たら小さいこと」「大多数の人にはとてもマネできねー」「そんなの関係ねぇ」と思う人もいるだろうことは私にも想像できる。

でも、この二つの立場は、どちらが正しい、ということはない。どちらも正しく、どちらも間違っている。常に、もう一方の立場の言うことに耳を傾けておかなければいけない。だから、「そんなの関係ねぇ」と思う人ほど、この本を読んでおく価値、あるいは「そういう考え方もあるのか」と知っておく意味があるのではないかと思う。自らはまっさきに有害ガスにやられて死んでしまうかもしれない「カナリア」に自ら敢えて身をおいて、主張をしている人の言うことなのだから。しかも、この本は「ウェブ商売」の話はほとんどなく、「私利私欲」のない次元で語られている。

どちらかというと「先端」モードが全体のトーンであり、これこそが「梅田節」であると思って身を正して読んでいると、「Googleは広告産業のサブセットに過ぎない」とか、「スモールビジネスの生き方」のような、やや「フツーの人」モードがときどき混じると、ちょっと安心したりする。つまり、梅田さんは「フツーの人」側の現実もちゃんと見ていて、わかっていながら確信犯で先端モードのオプティミズムを貫いている。叩かれるリスクの少ないペシミズムを語る人はいくらでもいるけれど、体を張ってオプティミズムを貫く人は少ない。

「フツーの人」側ではあるが、日本と東海岸の「冷たくキビシイ世間」からシリコンバレーの「常軌を逸したオプティミズムに守られた世界」に移ってきた私は、そういう一種のぬるま湯(もちろん、別の厳しさがあるけれど)の中でなければ出てこないパワーというのも理解しているつもりだ。ぬるま湯出身のグーグルやアップルは、いまやその直接の雇用や売上げなどを上回る影響を経済全体に与えている。そういえば、私のいた頃、まだかすかにベンチャーの香りを残していたホンダは、ここと似た「キビシイぬるま湯」の雰囲気が多分にあった。いつの時代でも、先端的な「ぬるま湯パワー」が必要なのだろうと思うし、この本を読んでぬるま湯パワーを出力する人がたくさんいたら嬉しいと思う。

それにしても、いつもながら梅田さんの言葉に対する感覚の鋭さ、本質をとらえる力には感心する。「炭鉱のカナリア」、「パーソナル・カミオカンデ」、「雨の日に自転車に乗る」とか、またご自身の造語でなくても他の人の言ったことに反応した「知恵を預けると利子をつけて返す銀行」などといった、コトバを読み解いていくのも面白い。

なお、この本は「これからキャリアを作っていく若い人」や「30〜45歳の人」などが具体的に対象として語られているが、この適用年齢外ではあるものの、「Mom」たる私は、子供たちのことも考える。ここに語られる「今現在」のアドバイスがそのまま適用できないこともあるだろうが、梅田さんが「シャーロック・ホームズ」を参考にしたのと同じように、子供たちとの接し方を考える素材になるかもしれない、と思っている。