「国家の品格」是々非々(その2) --- 格差社会編
前回もそうだったが、今回も「国家の品格」の本の感想そのものというより、このベストセラー本に便乗して、単に自分の考えを述べようと思う。
本の中で、最近はやりの「格差社会」についても触れられている。年功序列、終身雇用のやさしい世の中に戻るべきだ、という主張だと私には読めた。まぁそりゃー、できるならそうしたい、と思っている人は特に中高年層には多いだろうし、だからこれも耳に優しい論だけれど、そんなこと今更不可能だ。これは、別に小泉首相だけのせいじゃない。
行政の福祉というのは、下記エントリーにあるように、いつの時代も不完全。それが当たり前だ。日本でそれを今まで補ってきたのは、大企業なら終身雇用で窓際族とか社内失業者とかも抱え込むやり方、中小企業なら「系列」とか「談合」とかで大企業や税金から利益を補填してもらうやり方、過疎地ならば「補助金」で無駄な工事をもらってくるやり方、などなど、「会社社会主義」を頂点とした雇用保護のための護送船団方式の仕組みであった。しかし、昔のような高度成長も、農村からの安価な若年労働力の供給もなくなり、また当時のように競争相手はアメリカだけ、というワケではなく、中国や韓国やインドとも競争しなければいけなくなった今、それがいくらいいといっても、ないものねだりだと思う。
http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/761
「格差社会」の権化であるアメリカでは、別の形で行政の不備を補う。「寄付」である。
アメリカに住んだことのある方なら、ただ日々過ごしているだけで、すごい量の「寄付のお願い」や「寄付の宣伝」に出会うという経験をお持ちだろう。会社や子供の学校での寄付イベント、電話やDMによる寄付のお願い、教会の種々の福祉活動。スーパーマーケットのレジには「今日の買い物の○○%を寄付します」というチラシが置いてあって、買い物籠に入れると、自動的にその分は寄付される。テレビでテニスを見ていると、「サービスエースが一本出るたびに、いくらいくらをAmexはどこそこに寄付します」というスポンサーのお知らせ。近所の子供が、寄付集めのためにクッキーやチョコレートを売りに来る。学区の予算不足を補うために、地域でお祭りをやって、お金を集める。ここ(アメリカ人の育て方2 --- 豊かな時代に子供を育てるノウハウ - Tech Mom from Silicon Valley)に書いたように、自分でお金を持っていない子供でも、いろいろな形で「寄付集め」に参加する。従業員が認定された団体に寄付をすると、同じ額を企業が寄付する「マッチング」という制度。スタンフォードやハーバードのMBA卒業生が、NPOに対して無料で経営コンサルティングをする活動。寄付する相手やその形式はさまざまであるが、アメリカ人にとって、寄付をするとか、寄付を集めてなんらかの活動をする、という行為は、日常生活に深く根付いている。寄付を集めるためのノウハウとか、こうした活動の運営に経験豊富な人材とか、そうしたものが豊富にある。
一方、お金持ちが寄付をしたり、社会的な活動をするという行為は、社会的にとても賞賛される。世界で一番と二番の金持ちである、ビル・ゲイツとウォレン・バフェットが、全財産を寄付するという最近のニュースはご存知と思う。昔から、慈善事業や文化事業に、お金持ちが寄付することは名誉なことであり、それを皆がきちんと評価する。これは、ゲイツだのカーネギーだのロックフェラーだの、それほどのレベルでない小金持ちでも同じで、あらゆるレベルで寄付してくれた人をacknowledgeし、賞賛する。
一律的な行政では手のとどかない種々の問題に対し、個人がそれぞれの主義・主張に基づき、サポートする仕組みがある。「寄付」を効率的に集め、分配する「エコシステム」ができているわけだ。
最近、日本の格差社会の悲惨な事例には事欠かない。
先日、生活保護を受けられないと勘違いした人が、認知症の母親を殺した事件の裁判もあった。病気などで働けない方々が孤独死する話も読んだ。これって、別に最近だけの話でもなくて、昔からあったんだろうが、アメリカだったら、本当に食い詰めたら、教会のスープキッチンに行けば、なんとか食べることができるだろう、と思ってしまう。本人が動けなくても、そういう人がいるという情報を信徒から受けたら、教会の神父様は助けに行くだろう。日本では、さて、お寺とかが、そういうことをするのだろうか?「行政が悪い」と言う人は多いが、では自分がホームレスを助けるNPOを立ち上げようとか、そういう活動に参加しようとか、そういう団体に寄付をしようとかいう人は何人いるだろうか?
アメリカでは、寄付した金額を税金から控除できる仕組みがあり、前述のように、寄付した人を賞賛するような社会的な認識がある。日本では事情が異なるので、一概に、アメリカの真似をせよ、とは言えない。また、ヨーロッパなど他の国では、どういう「補う」仕組みがあるのかわからないし、日本でどういったエコシステムが最適かは私にはよくわからない。しかし、「会社社会主義」をやめて、「自己責任」型の世の中に移行するからには、別のなんらかの「補う」仕組みを作らないといけないだろうと思うし、またアメリカの例はなんらかの参考にしてもよいのではないかと思う。この先、時間は多少かかるだろうが。
そういった文脈で、今の日本でやたらに「儲けた人を引きずりおろす」風潮が強いのは、ちょっと悲しい。今回、しばらく日本にいた間に、そういった事例をいくつか見聞きした。それより、「儲けた人は格差社会是正のために、積極的に活動するよう仕向ける、そういう人をきちんと賞賛する、評価する」などという風潮にならないものか、と思う。日本でも、そういう人たちはちゃんといるのだし。
いずれにしても、「会社社会主義」に戻ろうとか、「武士道精神」や「惻隠の情」だけでは、コトは解決しないような気がするんだけどなぁ・・・
<追記>
あとでちょっと思い出したのだが、「寄付」の形態例の一つに、セレブの社会活動、というのもある。有名な俳優やスポーツ選手はだいたい誰でもやっていて、チャリティ・イベントやコンサートなどのほか、「ボクの誕生日には、贈り物のかわりにここに寄付をしてください」などとやったりするわけである。アイドルで売っていた女性タレントが、30を前にしてイメージチェンジをはかるときに、脱ぐかわりにこういうことをやる、というのもいいアイディアじゃないかと思うのだが・・ダメ?