パラダイス的新鎖国時代到来(その5)- 北カリフォルニア風アジアン・フュージョンにおける寿司の地位

我が家の近くに、「食べ放題オール・アジアン・バフェ」ができたので、昨日亭主と一緒にお昼を食べに行ってみた。なんと、外まで長い列ができている。はいると、まずメキシコ人とアジア人の寿司職人が3人で握っている寿司のカウンター。普通の握りよりも、カリフォルニア巻きやスパイシー・ツナなどのアメリカ風寿司が多い。角を曲がると、驚くほど多種のおかずをとりそろえたビュッフェが延々と続く。このあたりでは普通の、中華おかずやスープが中心だが、それに韓国焼き肉、トンカツ、なます、キムチ、みそ汁なども節操なく混じっている。季節柄、デザートの一番最後のカウンターには、かき氷があり、各種フルーツのソースとともに、ゆであずきも並んでいる。

ランチで一人10ドル、「ちょっと高いな・・」と思いつつ、隣の席の白人大男のおじさんを見ると、寿司や焼き肉をぎっしり山盛りにした皿を3つほど並べて、パラレル処理をやっている。うーむ、これじゃ割り勘負けだ。よし、それじゃぁ、と寿司とかに足と中華えび揚げ、高単価アイテムで巻き返しをはかる。

向かいの席では、中国人とインド人と白人の、職場の同僚といった風情のグループが、それぞれ好き勝手なものを取ってきて食べている。このあたりは、オラクル本社の城下町なので、たぶんオラクルの人たちだろう。そういえば、オラクルの社内食堂は、インドや日本など、ありとあらゆるエスニックの食堂に分かれていると聞いたことがある。

シリコンバレー近辺のカリフォルニア風アジアン・フュージョンの雰囲気を凝縮したようなバフェである。私は、この雰囲気が大好きだ。ここなら長く住んでもいい、と思えるのは、この雰囲気のおかげだ。アメリカの中でも、おそらく北カリフォルニア独特の現象ではないかと思う。(同じカリフォルニアでも、ロサンゼルスの方ではちょっと様子が違うようである。)


ニューヨークも人種のるつぼで、中国人や韓国人がたくさん住んでいる。しかし、ちょっとこことは違う。ニューヨーク近郊で、初めて家を買うとき、不動産屋の紹介でやってきた若いローン・オフィサー(住宅ローンをアレンジする人)は、韓国系アメリカ人だった。とても優秀で、てきぱきと仕事を進め、応対もよく、感心した。彼と話すうち、自分でもあまり深く考えず、「あなたは、カリフォルニア出身ですか?」と思わず聞いてしまった。実際には違ったのだが、自分の中で「優秀なアジア系アメリカ人=カリフォルニア人」という図式があることに気が付いて、面白いものだなと思った。

ニューヨークのアジア人は、中華料理の出前か、角の韓国グローサリーか、短期間で帰ってしまう日本人駐在員のどれかでしかなかった。それぞれが別個のコミュニティを作って、お互いあまり関係なしに暮らしている。しかし、北カリフォルニアでは、政治家、企業幹部、公務員、医師や弁護士、エンジニアなど、社会的地位の高い職業に多くのアジア人が就いている。教育レベルの高い人が多い。その中に、日系アメリカ人や私のような日本人も、違和感なく納まってしまう。

本国での「反日教育」とは無縁で育ったアジア系カリフォルニア人達は、単に食べ物の嗜好や肌合いの近さから、日本人も「仲間」として親近感を持ってくれる。私も、気が付くと友人にはアジア系が多い。日本ともニューヨークとも違う、自然な関係なのである。

そして、数は少ないけれど、それなりに「高級ブランド」として尊敬されているのである。くだんのアジアン・バフェが、一人10ドルも取れるのは、寿司カウンターがあるからだ。中華だけなら、こんな値段付けはできない。

ふと考えてみると、この近辺の人口比率は、中国人:インド人:日本人:韓国人、の全人口比を上手い具合に反映しているような気がする。これもまた、なんとなく自然な感じがする原因かもしれない。

もちろん、なんとなくできあがった雰囲気だけではない。カリフォルニアの日系人は、第二次世界大戦中、日系であるというだけで、財産を没収されて収容所に入れられ、「アメリカ人」としてのアイデンティティを証明するため、敢えて危険な前線を志願して、多くの男達が散っていった、という悲しい歴史を持っている。こうした犠牲を払って、社会的地位を手に入れてきた訳で、私もいわば、その恩恵にあずかっていることになる。また、国全体としては、白人主導の中で「マイノリティ」の地位にとどまるアジア人が、数をまとめて政治的に影響力を発揮するためには、お互いにつるむのは必然の戦略であるとも言えるだろう。

いずれにしても、「世界の中での日本の存在感」を考えたときに、「入り口の目立つところに置かれ、レストランのステータスを引き上げる役割を担い」ながら、実はお客の皿の中では他の料理とごちゃごちゃに積み上げられている「寿司」って、ちょうどいいバランス感なのではないか、と私は思ってしまう。

このバランス感は、日本にいてパラダイス鎖国につかっていると、見失ってしまう感覚ではないかと思う。